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祖母宅からの帰り道、玲奈はただただ鬱々としていた。
何が、とは言えなかった。とにかくこの数週間で目の前に付きつけられた思いもよらない事実に、言い表しようのない感情がふつふつと次から次へと湧いては彼女の表層を覆い隠し、まるで今にも雨が降りそうな曇天の空の下を歩いているかのような、そんな憂鬱な気分にさせた。にもかかわらず、実際の空はどこまでも青く、千切れた雲が点々と漂っているものの、その陽射しはとても強く、暑くて仕方がなかった。
住宅街の坂道を下りながら、玲奈はふと立ち止まり、後ろを振り向いた。遥か坂の上には祖母の家が仰々しく鎮座しており、うっすらとこちらを見つめる香澄の姿が見えた。香澄も玲奈が振り向いたことに気が付いたのか、表情はまったく見えなかったものの、恐らく笑顔で手を振っているのであろうことはなんとなくわかった。玲奈も手を振り返し、そして再び坂道を下っていった。
祖母である香澄は、あれ以上玲奈には何も教えてはくれなかった。いや、あれ以上のことを教えられたところで、この時の玲奈にそれを理解し、受け止めるだけの余裕などあるはずもなかったのだけれども。
結奈のこと、麻奈のこと、香澄のこと、そして、タマモのこと。
いったいどうして自分や結奈には他の人には見えないものが視えるのか。香澄はいったい何を知っているのか。どうしてタマモは狐の姿に変身できるのか――いや、タマモの場合、狐が人に化けている……?
なんにせよ、ただそれだけでもあり得ないような話ばかりだ。それと同時に、本来なら自分の見ている世界はあり得ないものなのだ、と思い込もうとしている自分もいた。
結奈に訊くまでそれが普通だと思っていた。世の中には『そういう人たちがいるのだ』と思い込んでいた。そちらの方があり得ない世界なのだというのであれば、私はそれをよく理解しておかなければならない。そう玲奈は考えていたのである。
いずれにせよ、例のお化け桜と学ランの男子の件はタマモがどうにかしてくれるという。タマモがいったい何者で、何をしてくれるのか全くわからなかったけれど、何も知らない自分が何かをするより、よほど頼りになるだろう。
だから私は、家で大人しくしていればいい。おばあちゃんやタマちゃんに言われた通りに。
「……」
玲奈は坂道を下りきると、駅の方へ向かって足を進めた。
玲奈の家は駅前の大きなマンションの一室で、小学五年生の頃に隣の町から引っ越してきた。丁度その時に麻奈はひとり暮らしを始め、だから今一緒に住んでいるのは父と母、そして結奈と玲奈の四人だった。とはいえ、麻奈の住んでいるアパートも駅を挟んだすぐ向こう側にあり、しょっちゅう家に帰ってきては一緒に夕飯を食べたりしているのだけれども。
玲奈はそんな自宅マンションの前で立ち止まり、大きなため息を漏らした。そして胸に手をあてて、自分の通う中学校が建つ方に顔を向けた。
今頃タマモは、あのお化け桜のところだろうか。あの学ランの男子に、矢野桜に関わらないように話をしてくれているのだろうか。それとも、テレビや漫画で見るような、除霊的な何かを、彼に――?
モヤモヤして仕方がなかった。何もできない自分に、何もしない自分に、何もしてはならないと言われた自分に、何故か胸が締め付けられる思いだった。自分だけ蚊帳の外にされたような気がして、玲奈はその感覚にどうするべきか悩んだ。
関わるなと言われた。
放っておけと言われた。
大人しく普段通りにしていろと言われた。
そうした方が良いのは解っている。何も知らない自分が、何の役にも立たないであろうことくらい、理解しているつもりだった。
だから、自分は香澄たちの言う通り、大人しく、家にいるべきで。
それなのに、脳裏に浮かぶのは、矢野桜を助けてくれという、村田のあの嬉しそうな表情で。
『頼んだぜ! 宮野首!』
その言葉が、妙に心に突き刺さって、仕方がない。
玲奈は大きくため息を一つ吐くと、踵を返した。
そうだ、見るだけだ。
タマモがあの学ランの男子に対して、いったいどんなことをするつもりなのか、それを確かめるために見に行くだけなのだ。
関わるつもりはない。
何かをするつもりもない。
ここで無責任に他人任せにするんじゃなくて、私は頼まれた本人として、その結果をこの目で確かめに行くだけなのだ。
玲奈はそう自分に言い聞かせると、大きく一つ頷いて、三つ葉中学へ向け、走り出した。