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宮野首香澄は玲奈たちの住まう市内の片隅、市街地の方へ面して家々の建ち並ぶ、山の上の古い住宅地の中にあった。いったいいつ建てられたのか判らない、それなりに年季の入った日本家屋。家の周囲には高い土塀、古びた門扉には凝った意匠が施されており、身内である玲奈も何となく入りづらい、格式の高そうな佇まいだった。
いつもは祖母である香澄の方から玲奈の家まで訪ねてくるのだけれど、件のお化け桜と学ランの男子について相談するべく、玲奈は数キロ離れた山の上に建つ祖母の家まで、わざわざ歩いてやってきた。当初玲奈は自転車でここまで来ることを考えていたが、祖母宅に至るまでの長い坂道を考えると非常に億劫で、結局徒歩を選んだのだ。結果的に、歩きでも自転車でも疲れることに変わりはなかったのだけれども。
玲奈は祖母宅の前で一度、自分がのぼってきた坂道を振り返った。眼下には高いビルが建ち並び、自分が通っている三つ葉中学、姉の通っている鯉城高校の姿が確認できた。他にも桜の名所である黄金山や新しくなった駅と走り抜けていく新幹線、そして遠くには海が見渡せた。
「――玲奈ではないか」
その声に、玲奈はふと我に返って祖母宅の方に身体を向けた。
胸元の大きく開いた白いニットに、太ももを露わにしたとても短い黒のミニスカートを穿いた若い女の姿がそこにはあった。
長い髪は白に近い金色、それをゴムでひとまとめにして後ろに垂らしている。しっかりと化粧の施されたその顔はとても美しく、まるで海外のモデルさんのようだなと玲奈は思った。
そのモデルのような若い女性を、玲奈はよく知っていた。
「あ、タマちゃん」
タマと呼ばれたその女は、嬉しそうな笑みを浮かべながら玲奈の頭に手をのせて、
「どうした? 一人で来たのか? 珍しいな」
まるで親戚の子を可愛がるように、くしゃくしゃと玲奈の髪をもみくちゃにしながら激しく撫でた。
玲奈は「もう、やめてよ!」と口にしながらも、笑い声をあげながらタマのその腕にしがみついた。
彼女の名前はタマモ。玲奈が本当に小さなころ、それこそ赤ん坊だった時から彼女は祖母宅に頻繁に出入りしていた。たぶん歳は姉である麻奈と同じくらい。麻奈と一緒に大学へ行き来しているところを見ると、きっと同じ大学に通っているのだろう。幼稚園の頃から一緒に遊んでもらっている玲奈にとって、タマモは三人目の姉だった。
タマモはひとしきり玲奈を可愛がると、
「もしかして、香澄に用事か?」
「うん。おばあちゃん、いる?」
いるぞ、と答えて、タマモは重そうな門をぎぃっと開いた。その門をふたりしてくぐると、伸び放題荒れ放題の木々や草葉が迎えてくれた。外から見える姿は綺麗で立派なのに、中に入ると一転してジャングルか山奥のようなのは相変わらずだな、と玲奈はその緑を見ながら思う。祖母曰く、あえてこのように好き勝手に草木を伸ばしているのだという。それなのに、不思議と家そのものは緑の浸食を受けておらず、いつ見ても手入れが行き届いており、一見すると高級旅館か何かのようだ。この家に、祖母はたったひとりで住んでいた。
ふたりは四方八方から伸びる草葉を避けるようにして前庭を抜け、玄関の引き戸を開いて広い土間に足を踏み入れた。そして声を掛けることなく、タマモはさも当たり前であるかのように靴を脱いで上がり框に足を掛けると、「なぁ、玲奈」と振り向きながら声を掛けた。
玲奈は小首を傾げながら、
「なに?」
するとタマモは少しばかり考えるように口元に指をあてながら、
「――お前、今いくつになった?」
「まだ、十二歳……あと二ヶ月で十三歳」
「ふむ、そうか」
と頷いて廊下を歩きだすタマモに、玲奈は、いったい何だろう、ただ歳を聞きたかっただけなのかな、と思いながら靴を脱ぎ、タマモの後ろを追うように廊下を進んだ。
数歩進むと廊下はすぐに左右に分かれ、その手前には黒い木製の衝立が置かれていた。猛々しい龍のあしらわれたそれは、玲奈の胸くらいまでの高さがあって、物心つく前からそこにあった。幼いころ玲奈はその龍がなんだか恐ろしくて、なるべく見ないように目をそらしながらここを通っていたのを覚えている。今でこそあまり気にはならないが、それでもこの龍には他を寄せ付けない、独特の雰囲気が確かにあった。祖母によれば、この衝立は魔よけの意味があるらしい。玄関からやってきた魔を退ける力があるのだとかなんとか言っていたのを玲奈は覚えていた。あの時は本気にはしなかったけれど、結奈から死者たちの存在を知らされ意識するようになった今となっては、実際にそれだけの力がこの衝立にはあるのだろうと信じずにはいられなかった。
その廊下を右に曲がり、その先の突き当りをさらに左に曲がると、右手側に大きな庭が見える。庭と言っても前庭と同じで伸び放題の荒れ放題。そこに見えるのはやはり好き勝手に枝葉を伸ばした木々に雑草ばかりだった。
……いや、違う。そればかりではない。その中にも、ちらほらと色を付けて咲く花々の姿が玲奈には見えた。その花がどのような名前の花々なのか、玲奈には全く判らなかったのだけれど、緑ばかりの中で咲く赤や黄色、薄紫や白い花たちはとても際立って美しかった。
そしてその荒れ果てたような姿の庭には大きな池があって、そこには金色に輝く鯉が二匹、優雅にゆらゆらと泳いでいた。この池の水も不思議と澄んでいて、廊下から遠く見えているだけなのに、底の方まで透けて見えるほど清らかで透明だった。周りの木々から落ちたのであろう数枚の葉が、まるで小舟のように水面を揺蕩っていた。
これだけ大きな庭や池を、けれど塀の外から見ると想像もできないような形にちゃんと整え続けるには、それなりに手入れをしているのは間違いないだろう。一見すると荒れ果てているように見えているだけで、実はあえてそのようにデザインしているだけなのでは。小学校も高学年になったころ、不意に麻奈がそう口にしたことがあった。けれど香澄はその質問に、ただ「それは秘密よ」と答えてお茶目にウィンクして見せただけだった。
そしてふたりが廊下を進んだ先の小さな部屋に、その香澄は正座して座っていた。
小さな座卓を前にして、赤い座布団を下に敷き、浅黄色の着物を着た祖母の姿はとても上品で美しく、玲奈の姿を見てほほ笑んだその顔は、とても優しく可愛らしかった。
「――いらっしゃい、玲奈ちゃん」