響紀は病院の敷地を出ると、雨の降る重たい空の下、再びあの神社に向かった。
昨日結奈と出会ったのも、この時間帯だったはず、きっと今なら居るはずだ。
ところが神社の前まで来て、響紀はそこから先へ進めなかった。足が竦んで動けないのだ。
石鳥居を挟んだ参道の向こう、長い石段の上に佇む拝殿から、風のように浴びせかけられる威圧感に、響紀は一歩も足を前へ動かせなかった。いまだにあの神様は怒っている。それが響紀の身にひしひしと感じられてならなかった。
仕方なく響紀は結奈に会いに行くのを諦めた。先へ進めないのであればどうしようもない。ここで彼女が降りてくるのを待ってもいいが、しかしこの威圧感の中を、この場で待ち続けるなど、耐えられそうになかった。いったいいつまで怒っているんだ、この神様は。心が狭すぎだろう、と思いながら響紀は一度病院の方へ戻り、その先の駅へと足を向けた。特にあてがあるわけではないが、さりとて行くべき場所があるわけでもない。人の中に混じっていれば、自身がすでに死んでいるということを忘れさせてくれるだろうと考えたのだ。あの人混みの中では誰も他人なんか見ちゃいない。それはつまり、生きていようと死んでいようと、誰にも関係がないということだ。
見慣れた街並みは何一つ変わった様子などなかった。変わってしまったのは響紀自身。生者から死者へとなった。しかしこうしていると本当に自分が死んでしまっているのか、にわかには信じ難かった。すれ違う通行人と目が合わないのは生前と同じ。降りしきる雨に濡れるのも、自分の足音が響くのも何一つ変わらない。自分が死んでしまったという事実が、まるで嘘のようだと思った。
駅裏の新幹線口に着き、響紀はすぐ側に最近建てられたスーパーや各種病院、銀行や飲食店が入る如何にも高そうなマンションの軒下に身を寄せた。すぐ脇にスーパーの入口があるが、中には入らない。死者となってからというもの、腹が空かないから飲食物に興味が湧かなかった。口にしたのは唯一、あの御神井の水くらいだろうか。
響紀は思いながら、ぼんやりと通勤通学でひっきりなしに往き来する人々の姿を眺めていた。どうかすれば、あの中に自分がいてもおかしくないというのに、今の俺はこいつらとは違うのだ、という事に僅かばかりの寂しさを感じた。
あの喪服の女に殺されなければ、或いはこの人々に混じって俺も……
その時だった。
ふと目の前を見知った姿が横切ったのだ。
肩に鞄を下げた一人の女。昨日とは違い、涼しげな水色の上着を羽織り、白いスカートから覗くその足は、昨日蹴り飛ばされたことが信じられないくらいに女性らしくて。その女は大きく膨らんだ胸元を揺らしながら、響紀に気付くことなく通り過ぎていこうとする。
「あ、待って……!」
咄嗟に響紀はその女の腕を掴み、呼び止めていた。
女は一瞬驚いたような表情で「きゃっ!」と叫び後ろに倒れそうになるが、何とかバランスを保ち、焦ったような顔を響紀に向けた。
「な、なんだ、あんたか……」
そう言って胸を撫で下ろす彼女に、響紀は言った。
「急に呼び止めてすまん。お願いがあるんだ。俺を助けてくれ、結奈」