響紀はその声が自分にかけられたものとは思えず、けれど周囲に誰も居ないことを不思議に思った。
こいつはいったい、誰に向かって話しかけているんだ?
眉間に皺を寄せる響紀に、その巫女は軽く首を傾げてから、箒を片手に響紀のところまで歩み寄ると、もう一度、響紀に向かって微笑んだ。
「御祈願ですか?」
眩しいほどの笑顔はそれだけで神々しく、白い肌は滑らかでとても美しかった。紅い唇は瑞々しく、思わず吸い込まれてしまいそうだ。窮屈そうな胸元に思わず目がいってしまったが、響紀はそれを誤魔化すように、
「あぁ、いえ――その……」
と、どう説明すればいいのか解らず目を逸らした。
しどろもどろになりながらも、響紀は「おやっ」とそれに気付き、首を傾げながら再び巫女に顔を戻す。
やっぱり見えている? この巫女には、俺の姿が見えているのか?
どういうことだ? こいつも死んでいるのか?
それとも、巫女だから死者が見えている――?
考える響紀に対し、その若い巫女はどうしたんだろうといった様子で響紀を見つめる。
「……あの」と巫女が口を開こうとした時だった。
「何をしてるの? ミヤノクビさん」
奥から同じく箒を手にした別の巫女が現れ、今目の前に立つ巫女――ミヤノクビという名前らしい――に声を掛けた。
「そんなところにひとり突っ立って、なにかあった?」
その途端、ミヤノクビと呼ばれた巫女は「えっ――」と口にし、響紀の姿を上から下までまじまじと眺め、やおら眉間に皺を寄せると、睨みつけるような視線を寄越した。
先ほどとは打って変わって低い声色で、
「――さっさと失せなさい。ここにあんたの居場所はないわ」
そう吐き捨てるように口にすると、くるりと響紀に背を向けて、何事もなかったかのように境内の掃除を再開するのだった。
響紀はそんな巫女の様子に一瞬呆気にとられたが、けれど確かにこの巫女には自分の姿が見えているのだと、小躍りしたくなるほど嬉しかった。
この巫女に話しかけた別の巫女には俺の姿がまるで見えていないようだったが、このミヤノクビという巫女は俺の姿がはっきりと見えているのだ。
響紀はどこか救われたような気がした。もしかしたら、この巫女が俺のことを助けてくれるんじゃないか、そんな気がしてならなかった。
唯一見つけたこの巫女――ミヤノクビの存在を、響紀はなかったことになど到底できなかったのだ。失せろと言われて失せるつもりはない。
ここに居場所はないと言われても、俺の居場所は他にもないのだ。
響紀はこちらに背を向け、せっせと地を掃くミヤノクビに近づき、もう一度声を掛けた。
「――なぁ、俺の姿が見えてるんだろ?」
無視。
「実はな、この後どうしたらいいのか解らなくて、困ってるんだ」
無視。
「天国や地獄ってのがあるんなら、ぜひそっちに行きたいんだよ」
無視。
「ここに来る途中でさ、なんかよくわからん変な奴らにも会ってんだよ、俺」
無視。
「顔の潰れた女だろ、頭と足しかない女の子だろ、あと後頭部の潰れた爺さん」
無視。
「それに高校ん時に行方不明になった友達――って言っても、そこまで仲良かった覚えはないんだけどな、そいつや沢山の人間の体をぐちゃぐちゃにして捏ねたような、肉の塊みたいなやつに追いかけられたりしてさ」
無視。
「まぁ、極めつけはあの黒い服着たおん――」
と、そこまで話を続けて、ようやくミヤノクビは響紀の方に体を向けた。
やっと真面目に話を聞いてくれるつもりになったのか、と期待していると。
「――悪いけど、ここ、神域なのよ。とっとと消えてくれる?」
言うが早いか箒で響紀の立つ場所をざっと一振り掃いた、その瞬間。
「……えっ?」
気付くと響紀の体は境内の外――拝殿脇の車用門の外にあったのだ。
何が起こったのかまるで理解できず、目を瞬かせていると、数メートル先の、先ほどまで響紀らが立っていた場所にまだミヤノクビの姿があって、彼女はまるで汚いものを見るような眼で響紀を一瞥し、足早にその場を去っていった。
響紀はその後ろ姿を、門の外からただ呆然と眺めていることしかできなかった。