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樹下の空蝉

 痛かった。

 汚かった。

 うるさかった。


 たくさんのセミが、ないていた。



 高い木々に覆われた庭に立って、私はじっとなき喚くセミの姿を探していた。

 太陽の光はとても暑くて、痛くて、私の身体を焼いていく。

 家の中から聞こえてくるのは、お母さんの喚く声。

 中で何が起こっているか、私にはわからない。

「邪魔だから外に出てなさい」

 そんなお母さんの言う通り、私はただ、裸で庭に立っていた。

 ミンミン、ジワジワ……

 セミの鳴き声は重なり合って、お母さんの声と交じり合って、私の耳はおかしくなってしまいそうだった。

 ジジッ――と近くの木から音がして、ボトリと何かが落ちてきた。

 私はそれに歩み寄り、腰を屈めて覗き込む。

「……セミ」

 木から落ちてきたセミは仰向けで力なく足を動かし、じっと私の眼を覗き込んだ。

 そこへ、

「何を見ているんだい?」

 優しげな声がして振り向くと、眼鏡をかけたお兄さんが立っていた。

 お兄さんも裸で、その額や身体には大粒の汗がたくさん流れていた。

 開け放たれたふすまの向こう側では、お父さんとお母さんが抱き合っているのが見える。

 お母さんは、相変わらず大きな声で叫び声をあげていた。

「あぁ、セミ」

 お兄さんは言って、私の隣に腰を下ろす。

 その体からは、お母さんのニオイと、生臭い何かのニオイが漂ってくる。

 私とお兄さんはしばらく弱々しいセミを見つめていたが、不意にお兄さんがそのセミに指を伸ばして、

「見ててごらん」

 その途端、

「――ひゃっ!」

 私は思わず声を上げた。

 それまで大人しくしていたセミが突然ジャージャー鳴いて暴れ出して、私の顔のすぐ横をばっと飛んでいったのだ。

 セミはそのまますぐ近くの木にぶち当たって――再び地面にボトリと落ちた。

 そしてそれっきり、ぴくりとも動かなくなった。

「驚いたかい?」

 問われて、私は小さく頷く。

 それからそのセミのすぐ近くに、茶色い何かが落ちていることに気が付いて、

「これは?」

 それを拾い上げながら、お兄さんにきいてみた。

 とても軽いその茶色いものは、形こそ虫のようだったが、中身が完全になくなっていた。

「それは、セミの抜け殻だ」

「抜け殻?」

「そう。今死んだセミも、そこから出てきたんだ」

 私はその抜け殻をじっと見つめた。

 中身のない目玉が、じっと私を見つめ返した。

 何もない身体。

 空っぽの身体。

 その時だった。

「あっ」

 お兄さんが突然、私の身体を押し倒したのだ。

 前のめりに倒れた私は、目の前の木に両手をついて。



 気が付くと、私は地面にうつぶせになって倒れていた。

 背後からは、お兄さんの乱れた息が聞こえていた。

 何があったのか、私はまったく覚えていなかった。

 ただ、お腹の違和感と痛みだけがそこにはあった。

 私の身体から流れ出ていく何かを感じながら、けれど立ち上がる気にもなれなくて、ただただ暑い地面に倒れたままで、私はじっと地面を眺めていた。

 目の前には、死んだセミと、その抜け殻が落ちていて。



 痛かった。

 汚かった。

 うるさかった。


 私の心も、空っぽだった。




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