夜。奈央は小母や早くに帰宅した小父と一緒に夕食を済ませると、すぐに風呂に入り、そのまま自室へ向かった。いつもなら勉強机に向かい宿題や本を読んだりするのだが、ここ数日の睡眠不足を思うとそんな気にもなれず、ベッドに入ると灯りを消した。寝る時間を早くしてその分睡眠時間に充てればいいんじゃないか、そう思ったのだ。
階下からは小父や小母の立てる音が僅かに聞こえる。静かな部屋の中、奈央はその音から下の様子を想像した。水の流れる音、これはたぶん小母さんが食器を洗っている。賑やかな沢山の人の笑い声、これはきっと小父さんが見ているテレビのバラエティ番組。耳をすませば小父と小母の交わしている会話まで聞こえてきそうだ。まだ響紀は帰ってきていないが、土曜日は比較的早く仕事が終わるらしいから、きっとそろそろ帰ってくる。奈央を抜きにした、本当の、血の繋がった家族がそこに集まる。そう考えるとなんだか少し寂しい気がした。と同時に、本当に自分はここに居ていいんだろうかという気さえしてくる。遠縁の親戚とはいえ、本来自分はこの家族の人間ではない。小父も小母も歓迎してはくれたけれど、響紀はというと――
「ダメダメ!」
奈央は口にし、首を激しく横に振ってその考えを振り払うと布団を頭まで被った。
こんなことを考えているからなかなか眠れないんだ。今は何も考えちゃダメ。とにかく寝ないと、また睡眠不足になっちゃう。
ぎゅっと固く目をつぶり、奈央は深く深呼吸を一つする。何も考えないように、ただ身体を休めるためだけに。
それからどれくらいの時間が過ぎたのか、奈央にも判らない。
気づくと奈央は夢を見ていた。
夢だとはっきり判る夢だった。
そこには父がいた。
母がいた。
自分がいた。
一つのテーブルを囲んで、談笑していた。
奈央の中に、そんな記憶は一つもない。
だから、それが夢だとすぐに判った。
悲しい夢だった。
それが奈央の思い描く理想の家族だったから。
あれだけ憎んでいる母の笑顔。
そんな母と楽しげに会話する父、その間で笑う自分――
奈央はそんな家族の姿をただ遠くから傍観していた。
こんな夢を見るのは、きっと寝る前にあんなことを考えていたから。
羨ましくて、憧れて、だからこんな現実ではあり得ない夢を見ているんだ。
こんな夢、見たくはなかった。
見なければ、こんな嫌な気持ちにはならなかったというのに。
口から嗚咽が漏れた。
目から涙が零れた。
そんな光景を目にしたくなくて、奈央は激しく頭を振った。
次第に霞のように消え去る父と母の姿。
そこに一人取り残された、もう一人の自分。
その顔からは笑顔が消え去り、すっと悲しげに落とされる視線。
俯くもう一人の自分と対峙する奈央は、ただその姿を見つめることしかできなかった。
その時だった。
目の前の自分が、不意に不敵な笑みを浮かべながら顔をすっと上げたのだ。
その嘲るような瞳が――紅く輝く瞳が――奈央を射止める。
「幸せな家族」目の前の自分はそう言ってニヤリと笑んだ。「それが貴女の望み」
そこに居たのは、自分ではなかった。
自分によく似た別の誰か。
しかし奈央にはそれが誰なのか解らなかった。
いや、違う。姿形は確かに自分だ。
けど、違う。これは、私じゃない。
なら、いったい、誰――?
目の前の女の子がふふっと小さく笑った瞬間、突如辺りが闇に閉ざされた。
――え、なにっ?
どこまでも続く、闇だった。
先ほどまでそこに居たもう一人の自分の姿も、もう見えない。
その闇の中で、奈央はただ意識だけが取り残されてしまったようだった。
孤独と不安が急激に奈央の心に襲い来る。
――起きなきゃ
そう思ったとき、カリカリカリッという奇怪な音が聞こえてきた。
まるで何かを引っ掻いているような音だ。
それが闇のあちこちから聞こえてくる。
意識を向ければ、その闇の其処彼処に蠢く何かの影が見えた。
それらは闇いっぱいに犇き合い、じっと奈央の事を見つめてくる。
カリカリカリッ カリカリカリッ カリカリカリッ
――ガタンっ
「誰だ、お前! そこで何してんだ!」
突然大きな叫び声が聞こえて、奈央はばっと眼を覚ました。