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バッと見開いた目には薄暗い天井が広がり、辺りはしんと静まり返っていた。全身が小刻みに震え、心臓はばくばくと大きく跳ね続ける。吹き出した汗に濡れた全身が、とても気持ち悪かった。
奈央は眼だけで周囲を見回し、どうやら自分の悲鳴で目を覚ましたらしい事に気付くまで、数十秒を要した。
現状を把握しようと必死に努め、悪い夢を見ていたのだと理解した奈央は息を整えると深い溜息を一つ吐く。どうしてあんな夢を見てしまったのだろう、と瞼を閉じ、右腕で両眼を覆った。
これではまるで、響紀が死んでしまったかのようじゃないか。縁起でもない。
そう思いながら、奈央はゆっくりと上半身を起こした。周囲を見回し、寝る前と何も変わらない自室の様子に安堵し胸を撫で下ろす。
奈央はベッドから立ち上がると、まずは部屋の電気を付けた。ぱっと明るくなった電灯に眩しげに目を細め、ついで壁掛け時計に顔を向ける。時刻は午後九時過ぎ。夢とほぼ同じ時刻を指し示している事に不安を覚えた奈央は、思わず自分の頬を抓りあげた。その痛みにこれが現実であるのだという確信を得、もう一度ベッドに背中から倒れ込む。
蛍光灯が発する白々とした光を何となく見ていると、急にお腹の虫がぐぅっと鳴った。そう言えば今日はお昼ご飯も食べていない。流石に何か食べようと思った時、家の中がひどく静かな事に奈央は気付いた。いつもなら小母もすでに帰宅している時間だし、何より夕食後のお風呂に入っているような時間帯だ。それなのに物音一つしないのは、いったいどういう事だろうか。
奈央は立ち上がると自室の扉まで歩み寄り、恐る恐るノブを捻った。覗き込むようにしてその隙間から廊下を見れば、ひっそりとした闇が階下へと続く階段まで広がっている。
小母はまだ帰ってきていないのだろうか。しかし、それにしても遅過ぎる。
奈央は自室から廊下に出ると、暗い中を階段に向かって歩いた。どんなに耳を澄ませてみても、階下からは何の音も聞こえてはこない。やはり小母はまだ帰っていないらしい。何かあったのだろうか?
奈央は階段の灯りをつけると、ゆっくりと下へ降りた。降りてすぐ目の前の玄関を見てみれば、小母の靴はそこにはなく、奈央が帰宅した時のままの状態だった。
奈央は右へ曲がり、すぐ脇の居間に体を向けた。開け放たれたままの襖の向こうには同じく闇が広がり、普段からは想像もつかない寂しさに満たされていた。
何とも言えない不安が奈央の中に生じ、それを誤魔化すように小母の代わりに晩御飯の準備をしておこうと考えた。居間の前を通り過ぎ、その隣の台所に足を踏み入れる。電気を付け、さて何を作ろうかと冷蔵庫を開けたところで、
「……っ!」
背後に何者かの気配を感じ、奈央はその動きを止めた。その息遣いが耳に入り、思わず目を見張る。生臭いすえた匂いが鼻を突き刺し、奈央は息を飲み込んだ。手がガタガタと震えだし、それを嘲笑する声がすぐ後ろから聞こえた。
誰、と思う間も無く奈央の胸を後ろから弄る、ごつごつした手の感覚があった。その遠慮のない手の動きに怯え、奈央は助けを求めて声を張り上げようと口を開きかけ、けれど家の中には誰も居ない事実を思い出し、絶望する。
どうする? どうすればいい?
奈央は胸を弄ばれながら、必死に耐えることしかできなかった。背後からは尚も男の下卑た嗤い声が聞こえ、その生臭い息に気が遠くなりそうになる。
このままこの男に押し倒されて強姦されるだなんて、絶対に嫌だった。もしここで抗わなければ、好きにされてしまう。その恐怖に打ち勝つように、奈央は拳を強く握り締めた。
そうだ。自分の身は、自分で守らなきゃ……!
奈央は大きく息を吸い込み、
「――やめてっ!」
大きく叫ぶと体を捩って手を振り払い、背後の男目掛けて力いっぱいに拳を叩きつけようと振り返り、「……えっ」と思わず言葉を失った。
そこには、誰の姿も見当たらなかったのである。
不安のあまり、誰かがいると思い込んでいただけなのだろうか。
そうは思ったけれど、着衣の乱れや確かに誰かが奈央の胸を弄った感覚がそこにはあって、奈央は不安以上の恐怖を感じずには居られなかった。今でも其処かしこの闇に紛れ、見えない誰かが自分の事を見ているのではないかと思うだけで身が震えた。
思わず両手を胸に掻き抱き、周囲を見回す。今や物音ひとつせず、先ほどまで鼻を刺していたあの不快な臭いすらそこにはなかった。