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人族と魔族は長きに渡り戦争を繰り広げて来た。
その身に魔力を宿し、本来の
その事情が変化したのが数十年前、魔族をまとめ上げた吸血鬼、
ただでさえ能力差のある相手が軍団で動くようになり、人の地は次々と侵食され、人族の国は殆どが壊滅状態と追いやられ、大陸の海側に面する教国に押し込まれる中、とある修道士が対魔族用の兵器、魔鉱機関を発明。それを軍事転用し
魔力を持たない人族であってもその力を行使できる兵器であること、また、魔鉱石の交換により
そうして再び栄光の時代を取り戻すことに成功し、戦後、各国は魔族残党と残された
何はともあれ、いまが恐らく、有史以来、最も平和な時間とも言えるだろう。
「…………、」
と、束の間の退屈な時間に顔を見上げればそこには闇が広がっている。雲一つない夜空には星はなく、丸く青白い月が一つ浮かんでいるだけ。闇が世界を飲み込んでしまっているかのような錯覚さえ覚え、それがこの先にいるの存在を匂わせる。
いつだって、奴らに近づく夜は生きた心地がしない。
少しだけ早くなりかけていた呼吸を意識して落ち着かせ、知らずうちに力の入っていた肩から力を抜く。いざと言うときに動きが鈍ってしまっては命取りになりかねない。
「”――、――――”」
様子を見るために先行していた斥候が合図を飛ばす。目的地を視認出来たようだ。
俺は慎重に足音を殺し、他の連中と足並みをそろえて前進する。
今回の任務は街道から外れて小一時間歩いた先にある洞窟に住み着いている存在の討伐。近隣の村から人が攫われ、ここに引きずられていくのを調査隊が確認している。中に連れ込まれた人物の断末魔も、そこから出てくる人影がいないことも。
「報告によると
現場に残された鋭い爪痕や捕食の為に人を攫って行くところなどが過去の事例と一致していると。年のころは10もそこそこ。人であればまだ子供かも知れないが魔族の血が混ざれば十二分に脅威となる。武装していたとしても訓練を受けていない大人では対処しきれないほどに。
事実、既に行方不明者は二桁を越えている。子供だからではない、”子供の内に”狩っておかなければ手に負えなくなるのだ。
戦争が終わって既に10年。――個体によっては成人し、繁殖を行う者もいる。
魔族の脅威が去った今、再び芽吹こうとする危険因子は早めに摘むのが目下の課題であり、戦後の尻拭いとはこのことだった。
「先に行ってくれてもいいんだぜ、監察官? もしかしたら話が通じるかもしれん」
目的地が近くなったからか、少し前を歩いていた男がへらへらと笑う。
「話が通じる相手なのであれば、こんなものは必要ないでしょうね」
言って腰のナイフを僅かに見せる。とはいえ、混血児の処理は彼ら
「まぁ、万が一、話が通じたとしても私が話を付けてしまえば皆さんの取り分がなくなりますけどね」
彼らは亜人の殺害で生計を立てており、それ以外の生き方が出来ないならず者達でもある。俺の監察対象は標的だけではなく、そういう”法外の領分”で生きる者たちも含まれている。殺しの勢いで略奪や凌辱に走るものはそう少なくはない。生死の狭間で生きるという事は心に負担をかけ、精神をすり減らしてしまうから。この傭兵もまた俺に軽口を叩きながらもその目はギラつき、笑ってはいない。
「楽が出来るに越したこたぁねぇが、俺たちゃこのために大金はたいて新装備揃えたんだ。奴を血祭り義上げて、アンタにゃ俺達が金額以上の仕事をしたって報告してもらわねーといけねーなっ」
「そこはご安心ください。でもまぁ、骨ぐらい拾いますよ。連れ添ったよしみです」
「そりゃいいっ。死体の後片付けは面倒だからなぁ?」
ここが酒の席であれば大袈裟に笑って見せたかのように両の手を開いてジェスチャーする。
何とも豪快な男だと思った。これまでで関わってきた傭兵の中ではまだ比較的話の通じる部類に入るだろう。男は戻ったら酒を一杯奢ると肩を組んで笑うが生憎俺は未成年だ。飲めない(そして、飲んだらきっと殺される)。
「それじゃ、無駄話はまた後でな」
そういって男は他の仲間に合図を出し、先行していく。彼らはずっと組んできたチームだと聞いていた。
斥候が一人に軽装備の男が二人、弓を構えた女が一人に重装歩兵が一人――、合計で5人の傭兵集団。標的が狼の血を引く亜人であれば既に感づかれている可能性もあるが、幸いにも風向きは進行方向側から吹き続けている。斥候がヘマをしなければ計画通り寝込みを襲えるだろう。
報告には白昼堂々村を襲っては人を攫っていたとあった。余程自分の力に自信があるのか、それとも、姿を目撃され、傭兵が派遣される事すら想像も出来ないほどに”出来上がってしまっている”のか。現状では判断が付かない。用心に越したことはなく、出来れば眠っているところを始末したいのが彼らの思うところだろう。
念のために背後にも警戒しつつ、俺も状況が把握できるところまでは前進する。
どれだけ準備をしてこようが、結局は出たとこ勝負だ。不測の事態に何処まで対応できるかで生死の境が決まると言っても良い。小石に躓いた事が誰かの死に直結するなんてことは日常茶飯事だ。
そうこうしている内に暗がりの中に薄っすらと暗闇の中にひび割れた洞窟が浮かび上がって来る。
登るには一苦労しそうな崖の合間に生まれた亀裂は人が二人並んで入れるほどのもので、周囲の草木が踏み荒らされていることから標的の根城だという事が分かる。それがなくとも獣独特の匂いというか、得体の知れないプレッシャーって奴が滲み出ていて息が詰まりそうだ。
傭兵連中はそれに気付いているのかいないのか。狼人間にしては重すぎる気配に臆することなく先ほど話しかけて来た男が斥候の代わりに合図を出し、それに従って後続の二名は洞窟の正面に陣取り弓を構える。その護衛には全身を鎧に包んだ戦士が一人付き、斥候は司令塔のバックアップへと回ようだ。穴を取り囲むのではなく、あくまでも一人一人の死角を潰して取り掛かるスタイルのようだ。
堅実で一番生存率が高い。良いチームだと思った。俺は連中から少し離れた所で腰のナイフの柄に指を這わせつつ、姿勢を低くする。
――さて、鬼が出るか蛇が出るか。
襲った獲物をその場で捕食するのではなく、連れ帰るという習性は狼人間には見受けられない特徴だった。故に、もしかすると――。
「…………」
繰り返し期待に膨らんだ予感を諫める。
その可能性は限りなく低い。そういった情報を追ってこれまでにも何度も空振りを繰り返している。
だが、無駄になるかもしれないと分かってはいても無視することは出来なかった。俺は”そいつ”を追って
チリチリと痺れるような緊張感の中、彼らはタイミングを見計らっていた。耳を澄ましているのに虫の声ひとつ聞こえてこないのはこの森に住み着いた
しばらくすると周囲に流れていた風が一瞬止み、完全な沈黙が訪れた。この期を待っていたとばかりに互いに目くばせし、斥候は茂みから洞窟の入り口まで疾走する。バックから取り出し火をつけたのは丸い球でそれを洞窟の中へと投げ入れる。薄い雲が月明りを覆い隠していく中、導火線の燃える音は徐々に小さく、消えていく。恐らくは煙玉だ。洞窟内を燻しておびき出すつもりなのだろう。
洞窟自体はそれなりの広さがあるようには見える。しかし、だからといって薄暗い洞窟内に乗り込んでは数の理が機能しないだろうし、暗がりでは夜目の利く奴らの方に利が傾く――。ならば中に潜む獲物は外に引き摺りだし、数で囲むのが最も賢いやり方でありセオリーだ。
実際、そういった手口を取る傭兵は多い。逆の立場で寝込みを襲われればこれほど厭らしい手もないだろう。
ただ、一点、落ち度があったとすれば、彼らの運が悪かった。――それだけだ。
「…………――――、」
俺がその影に気が付いたのは本当に偶然だった。視界の端で雲に隠れた月が姿を見せる。その影の一点が雲がなくなったというのにその場に残り、次の瞬間には消えていた。
瞬きの合間を駆け抜けた風のようにそれは木の葉を揺らし、枝を軋ませる。
そうして、耳を引き裂くような悲鳴は上がった。
「 」
否、引き裂かれたのは細い腕だった。
つがえていた矢は衝撃で夜空に放たれ、それは空中で爆散して周囲を照らす。空から舞い落ちてくる残り火は噛み千切った片腕を口に咥えたまま殆ど垂直の崖に”着地”する姿を浮かび上がらせた。
「――――っ……」
心臓が高鳴り、即発されるかのように全身の血が湧き立って燃えるようだった。
背丈は低く、まだ子供の様だ。歳の数は12か13ぐらいだろうか。まだ身体が出来上がっていないようにも見える。
だが、火を灯したかのように狙いを定める瞳と、肉を粗食する牙は人の子供が到底持つようなものではなく、当然、人の地肉を貪る為のモノだ。
言葉を失う俺を他所に怒号とも取れる合図をリーダーが叫び、腰から抜いた長剣のトリガーを引く。すると内蔵された
――これが
相手が
間合いを詰めるのではなく詰められていた。傭兵達は負傷した仲間を庇いつつも応戦する。しかし奴は貫く刃を易々と弾き、飛び込む矢じりを躱して吠え、牙を剥く。
「ようやく、見つけた……。見つけたぞッ……」
早くなる鼓動を抑え込むのは不可能だった。アレは俺が長年追い求め、その存在を認識していながらも一度も遭遇する事の出来なかった存在だったから。
――魔族に作られし人族の成れの果て。
怒号と絶叫が木霊する中、脳裏に浮かんだ二つの青い目に右肩の古傷を抑え、俺は奥歯を噛み締めた。――焦るなッ……、大丈夫。大丈夫だ。
自分に言い聞かせ呼吸を整えてから前を向く。相手が亜人だろうが、魔族の犬だろうがやることは決まっていた。
後手に回りながらも応戦する傭兵達を眺める。暗闇の中で赤く燃える刃は走り、火花を散らしつつそれらは虚しく宙を舞っていった。一人、また一人とその爪と牙の前に鎧を切り裂かれ、腕を噛み千切られていく。
――そんな中で獣の瞳と目が合った。
まるでおもちゃで遊ぶような、獣の瞳ではなく、ヒトの、子供の独特の、無邪気な目。
「マジで、最悪だッ……」
吐きそうだ。
――
こうなってしまったら俺が割って入った所で腕一本助けることが出来るかどうかの違いでしかない。そうしている間にも足が転がり、苦悶の表情を浮かべながらも彼らは叫ぶ。
俺は、英雄じゃない。蛮勇でもない。だから、見届けることしか出来ない。出来ないのだと繰り返し、ぎゅっと噛み締めた奥歯から血が滲み出ていた。
すみません――、心の中で謝り、それと同時に気持ちは高揚しつつあった。
ようやく目の前に現れた
鞘から短剣を引き抜く。既に最後の一人は意識を失った仲間を背後に庇いながらも決死の想いで特攻をかけるところだった。
俺に助けを求めようとはせず、奴に向かって武器を振るう――。
報告書には、何処までも立派な傭兵だったと書かせてもらおうと心に決め、俺はその行方を見守ってから地面を蹴った。
どうせ、もう聞こえていないだろうが一応告げておく。
骨は、拾うつもりなので、安心して眠ってくださいと。
そうして視界は