抉られた肩が熱を持ち、ズキズキと脈打つ痛みに自然と歯を食いしばっていた。膝に手を着き、何とか顔を上げるると周囲を見回す。
既に火は辺り一面に広がっており、退路は塞がれている。締め付けて来る熱気に額の汗が零れ落ちた。
――油断した。
一言で言ってしまえばそれだけの話だ。生死の境目を彷徨うような戦いを終え、疲弊した頭ではその危険さに気付けなかった。
いつだって、そういう奴から死んでいく。死にそびれ、なんとか生にしがみ付いたその先で、あっさりと、命を落とす。
見上げた夜空に星はなく、燃え上がる炎が微かに世界に輪郭を生み出していた。
それはかつての光景と重なる。
俺がここにいる理由。俺が、命を奪い続けていた理由――。
あの時、俺はまだ6歳にも満たなくて。外の世界がどういうものなのかも良く分かっていなかった。――知らなかった。
ヒトと奴らの間で行われていた争いを。戦争を。知らず、育ち、そして巻き込まれた。……奴らの
自分がそこに存在していることすら認識できないような漆黒の闇の中、唯一、満月が静かにが頭上で輝いていて、膝をつき、絶望していた俺にゆっくりと歩み寄って来るその存在は”
闇の縁取りの中で静かに細められる碧い目と紅い指。爪を舐め、牙の覗く頬から伝い落ちるのは赤い血液だ。突然訪れた恐怖に言葉すら発することが出来ず、そんな俺に「周りを見ろ」と奴は告げた。
その言葉は見えていなかった現実を浮き彫りし、周囲を塗りつぶしていた暗闇はただの暗がりなどではなく幼い頃から自分に良くしてくれた人たちの成れの果てだという事を知る。共に暮らしていた人々の輪郭は溶け合い、混じり合っていた。蠢くこともなく、声を上げることもなく。それでも俺は、その人たちを”正しく認識していて”。次々とそれまで自分に良くしてくれていた人々のかつての営みが浮かんでは塗りつぶされていった。紅く、どす黒い。肉塊によって。記憶は変わって行く。
ただ理解を拒み続けながらも自分にはどうしようもないのだと既に諦め切っていた。もうじき自分もこの光景の一部になるんだろうと茫然とそいつを見上げていた。
――この惨劇を生み出した闇の塊を。
それから逃げ出そうとも抗おうともせず、その瞳に吸い寄せられるようにして、口を開ける。碧く、見下す、二つの瞳を。
いまなら言える。どうせならその首筋に噛みついてやればよかったのだと。それでみんなの仲間入りが出来たのならそれでよかったんだと。
――嫌な記憶だ。いまはもう塗り替えることは出来ず、忘れることも出来ない過去。それを、今際の際で思い出すのだから本当に嫌になる。だが苛立つのはあの頃から俺は何も変わっていないことだ。こうして再び同じような
「くッ……はッ……、」
なんとか身体を起こし上げようとするが呼吸が重い。
燃え上がる炎のせいだけじゃない。周囲を黒く塗りつぶしていくほどの魔力が影響している。俺の前に降り立って女、そいつは”妖狐”と呼ばれる化け物だった。
魔族の中でも特に魔術に長け、転生を繰り返しながらその力を蓄えていく妖狐は尾の本数でその格が定められるというバケモノ。
ゆらゆらと影を生み出しながら金色の尾が何本も揺らめいていた。こんな化け物ギツネの噂、聞いたこともなければ前例もない。化物、厄災、悪魔――。言葉は違えど各地で語り継がれ、恐れられる伝説の一体であることを否応なしに思い知らされる。
「マジで運が悪いなっ……」
土壇場で使用した”
だが、眼前に迫る死と、こんなところで死ねるハズもないという焦燥感に呼吸は熱く、血は沸騰する。
「……ほう?」
そんな俺を妖狐は見下ろし、妖艶な笑みを浮かべていた。
奴が、なにか呟く。
「…………?」
耳の中にまで血が溜まっているのか、上手く聞き取ることは出来ず、それを察した妖狐は愛おし気に俺の耳元まで顔を近づけると囁いた。
「それほどにまで、何故ゆえ死を望むのか」と。
白く艶やかな首筋に牙を突き立ててやろうかと首をねじるが、それを成すまでに身は退かれる。紅く燃える瞳に、言葉は出てこない。
細い指先が俺の顎に触れ、それは冷たく、頬を伝う血をそっと拭っては自分の口元へと運んだ。まるで「美味」だと告げるかのように目を細めて。
「 どうして死を望む。お主は、何故、死を欲する? 」
言葉が、響き渡る。
流し続けた血の影響で徐々に目は霞み、思考も奪われつつあった。
だからこそ、単純な答えしか浮かんでは来ない。
俺が殺し続けた理由。俺が、死にそびれ続けている理由。
それはただ、
「喰われ続けるのがッ……嫌なだけだッ……」
想いとは裏腹にか細く、命乞いでもするかのような声しか出なかった。
膝が震え、杖代わりにしていた剣からも手が滑り、地面に突っ伏すような形で倒れ込む。
徐々に色を失っていく世界で、そいつは銀色の髪を炎に煌めかせて微笑んでいた。
冷徹に、そしてただただ美しく。俺を抱え起こすと口づけでもするかのように瞳を近づけて来る。宝石よりも美しく、炎よりも煌めく、その瞳を。
「 ならば、我を喰えばいい 」
囁かれた言葉に頭の芯が痺れるような感覚に陥り、白い首筋に自然と体は動いていた。
殺されない為に。
殺す為に。
繰り返して来た行動を、身体は覚えている。
「だが、気を付けろ。”私は、毒じゃぞ“」
「――――――――、」
そうして俺は、彼女を喰らい、また一つ、命を奪った。
これは屍の上を歩む話。
俺が、屍の中に沈むまでの物語だ。