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第38話

 音楽が始まり、紅凛がゆっくりと立ち上がる。両腕を左へ持って行き、次に右腕だけを水平に動かし、神楽鈴を、シャンッ! と鳴らす。


 すると、僕の方に身体を向けていた子供たちが、紅凛の方を向いた。


 ——紅凛ちゃんの気持ちが、子供たちに届いているといいな……。


 前に地元の神社で神楽を見たことがあるが、曲のテンポは神楽よりも、少し早い気がした。悪い気を浄化したり、子供たちを成仏させるための舞なので、神様に祈りを捧げる巫女舞とは違うのだと思う。


 神楽鈴を頭上に高く上げ、シャンッ! と鳴らした後に、片足を軸にして、くるりと回った紅凛は、神楽鈴を身体の左側から僕たちの方へ向けて、また音を鳴らす。


 ふわり、と暖かい風を感じた。


「あ……。紅凛ちゃんの霊力だ」


「そうですね。ちゃんと力を使えているようです」


「たった三日で、ここまで出来るようになったんですね」


「初日は覚えられなくて泣いていたようですが「諦めますか?」と訊いたら、泣くのをやめて、必死になって練習をし始めたそうですよ」


「ははっ。紅凛ちゃんらしいなぁ」


 まだ幼いので弱い部分もあるけれど、紅凛は芯が強い子だ。酷い殺され方をした子供たちを、見捨てたりはしない。


 紅凛は空に虹を描くように神楽鈴を動かし、シャンッ! と音を鳴らす。


 神様の影響で暗かった空は、いつの間にか明るくなっていた。雲の隙間からは光が差している。


 肌寒かった境内は、紅凛の暖かい霊力に包まれ、金色に輝く小さな光の粒が舞い始めた。これは霊力がある僕たちしか視ることができないものだと思うと、少し気分が良い。


「綺麗だなぁ……。ついさっきまで怖い思いをしていたのを、忘れてしまいそうですね」


「そうですね、やはり紅凛さんには素質があったようです。彼女がこの村を離れるのなら、うちの神社にスカウトしてもいいかも知れませんね……」


 御澄宮司は両手を腰に当て、紅凛を見つめる。


 わずか八歳で御澄宮司に認められるなんて、大したものだ。彼は大きな神社の宮司で、働いている人たちも精鋭揃いなのだから。


「一ノ瀬さん。もう力を使うのを止めてもいいですよ。これだけ紅凛さんの霊力が満ちていれば、子供たちが消えてしまうことはないでしょうから」


「はい、分かりました」


 ふぅ、と息を吐いて力を抜くと、身体が楽になった。長い時間、霊力を使い続けていたので気付かなかったが、かなり負担がかかっていたようだ。


 呪具の数珠も、いつもは微かに光を帯びているのに、今はただの石に見える。溜まっていた僕の霊力が、完全になくなったのだろう。


 僕が力を使うのをやめても、子供たちは消えていない。少し不安だったので、ほっと胸を撫で下ろした。


「すごいな、紅凛は……」


 そう呟く声が聞こえて振り向くと、後ろに白榮と奥さんが立っていた。


「頑張ってますね、紅凛ちゃん」


 そう声をかけると、呆然としていた白榮は、微笑んだ。


「はい。舞なんて、今ままで一度も習ったことがないんです。それなのに、こんなにちゃんと舞えるなんて……」


「霊力も使いこなせるようになったみたいですよ。今は境内に、金色に輝く小さな光の粒が舞っています」


「それは、紅凛がやっているんですか?」


「そうです。神聖な力が満ちている場所でも、たまに視ることがあるんですけど、紅凛ちゃんの暖かい霊力も感じますから」


「そうですか……」


 紅凛を見つめる白榮は、目に涙を浮かべている。


「白榮さん。あの……お願いがあるんですけど」


「はい、何でしょうか」


「僕も、子供の頃から、この世のものではないものが視えて……結構、大変な思いをしてきたんです。目の前に恐ろしい姿をしたものがいても、他の人たちは視えていない。叫べばおかしい奴だと言われてしまうので、ただ我慢するしかありませんでした。誰にも相談できなくて、本当につらかった……。でも、紅凛ちゃんには白榮さんという理解者がいる。だからどうか、紅凛ちゃんの居場所になってあげてください。ただ否定せずに、話を聞いてあげるだけでもいいんです」


 じっと見つめると、白榮は大きく頷いた。


「もちろんそのつもりです。私は霊力が少ないので、気付けていなかったこともあると思います。これからは紅凛と、たくさん話をしようと思います」


「そうしてあげてください。きっと紅凛ちゃんも、喜ぶと思います」


 紅凛へ目をやると、またこちらへ向けて神楽鈴を振った。


 暖かく柔らかい空気が顔に当たって来るのが心地良い。紅凛の霊力で、僕の霊力も少しずつ回復しているような気がする。


 ふと気が付くと、子供たちは白っぽく発光していた。所々消えかけているのは変わらないが、先ほどよりも気配がハッキリと感じられる。


「やっぱり、紅凛ちゃんはすごいなぁ……」


 呟くと、御澄宮司は「そうですね」と返す。


「これなら消えかかっている子供たちも、なんとか成仏できるでしょう」


「そうだと良いんですけど……。このまま消えてしまうなんて、悲しすぎます。なんでこんなことになってしまったんですかね……。最初に生贄の儀式が行われた経緯は分からないですけど、巫女舞でも神様を鎮めることができるんだってことが、ちゃんと伝わっていれば、どこかで生贄の儀式をやめることができたんでしょうか……」


「それは……」


 御澄宮司が、ふぅっ、と息を吐いた。


「やっぱり優しいですね、一ノ瀬さんは……」


「え?」


「たしかに無知は、大きな間違いを犯すことにも繋がります。でも、この村の人たちは、生贄など必要ない、ということを知っていたと思いますよ。まぁ巫女舞のやり方は、紅凛さんのお爺さんの代で、途絶えてしまいましたけどね」


「知っていて、やめようとしなかったって言うんですか?」


「わらべうたの歌詞にも巫女舞が出てきて、皆さんは歌詞の意味を知っていた。それに、あの巫女衣装も神楽鈴も、神社の蔵で見つけたものです。とても古い物なのに捨てずに、綺麗に保管してありました。断言することはできませんけど……私は、知っていても、生贄の儀式を続けたんだと思いますよ」


「なんで、やめなかったんだろう……」


「口減し、という言葉を聞いたことはないですか? ここは街から随分と離れています。車がなかった時代は、働きに行くことが難しかったと思うんです。細々と農業をするだけでは、子供を養うのは大変だったでしょうから、貧しい家庭にとっては、生贄の儀式は都合が良かったんですよ」


「育てられないから、殺した……?」


「そうです。ただ殺すなら非道な行いですけど、生贄にするなら仕方がない、誰も悪くない。という風に考えたのではないでしょうか。要は、罪悪感なく子供を減らしたかっただけなんですよ」


「酷い……」


「えぇ。酷いことですが、昔は様々な場所で行われていたと聞いています」


「……僕も、給料が少ないとか、もっと良い暮らしがしたい、とか思うことはありますけど、今の時代は働く所もたくさんあるし、どうしても働くことができない時は、生活保護とかあるし……。昔に比べたら、まだ良い時代なんですかね……」


「そうだと思いますよ。今に比べたら、生贄の儀式を始めた時代は、生きるのが大変だったと思います。でも、この子たちのことが視えるから、一ノ瀬さんは、仕方ないとは思えないんですよね?」


「……はい」


 霊力なんてない方がいい、と思うことも多い。でも、この世のものではないものが視えるから。その声が聞こえるから。命を粗末にしてはいけないことが分かる。


 もし、この村の人達にも死んだ子供たちの姿が視えていたら。悲痛な叫び声が聞こえていたら。こんなにもたくさんの命が犠牲になることはなかったのかも知れない。


 シャンッ!


 紅凛が神楽鈴を振る度に、重苦しい空気の澱みは消えて行った。


 境内の中は完全に浄化され、赤い靄が漂っていた地面は、白い光を帯びている。宙を舞う金色に輝く光の粒も、随分と増えた。


 低い場所で神楽鈴を、シャンッ! と鳴らし、今度は空へ向かって、シャンッ! と鳴らす。休むことなく舞を続けているが、紅凛の顔に疲れは感じられない。むしろ、楽しんでいるように見える。


 一度くるりと回って、大きく虹を描くように腕を動かし、シャンッ! と鳴らした後は、またこちらへ向かって神楽鈴を振る。


 小さな女の子だとは思えないほど、力強い巫女舞だ。


 ——僕の後ろに隠れて泣いていたのが、嘘みたいだな。本当に、すごいよ。


 シャンッ!


 紅凛が振る神楽鈴の音が、一層大きく境内に響き渡ると、目の前にいた小さな女の子が白い靄に変わり、ふわりと宙へ浮かび上がった。


 神楽鈴の音が響く度に、他の子供たちも白い靄に変わって行く。そして空へ登るように、すぅっと消えて行った。


「子供たちは、ちゃんと成仏できたんでしょうか」


「えぇ、無事に旅立ちましたよ」


「そっか……。良かった……」


 呟きながら空を見上げると、御澄宮司が僕の肩に、ぽん、と手を置いた。


 シャンッ! シャンッ! シャンッ!


 左、上、右、と神楽鈴を鳴らした紅凛は、ひらりと身を翻し、また正面を向く。そして床に片膝をついた。


 それと同時に音楽も終わった。紅凛は最後に、シャンッ! と鳴らした後、神楽鈴を両手で持ち、頭を下げる。

 その時。ふと境内が目に入って気が付いた。


 ——あ。今までと景色が違う……。


 寂しい雰囲気だった神社の境内は、鮮やかな色合いに変わっていて、怒った神様の影響で、僕には暗く視えていたことに気が付いた。霊力を持っている人間と、そうでない人間とでは、見ている景色も違うのかも知れない。




 拍手をすると、紅凛は静かに顔を上げた。


 僕を真っ直ぐに見て、唇の両端をほんの少し持ち上げたその顔は、とても誇らしげで「もう大丈夫」と言っているようだった——。





〈第一部 完〉



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