視線を上げると、紫鬼と神様が戦っている。
「御澄宮司!」
腹に力を入れて叫ぶと、御澄宮司はすぐに気が付いて、こちらへ向かって走り出した。
——良かった、気付いてくれた!
神様も、御澄宮司と紫鬼を追って来ている。鬼気迫る表情で走って来る大きな神様を視ていると、逃げ出したくなるが、ぐっと奥歯を噛み締めて、その場に留まった。
今、力を使うのを止めるわけにはいかない。子供たちはこのまま、ここにいてもらわなければならないのだ。
上手くいかなかったらどうしよう。そればかりを考えて、冷たい汗が首から胸の方へ流れて行く。顎から滴り落ちた汗が、地面に模様を作る。
穴の手前まで来た御澄宮司は、ダンッ、と音を立てて地面を蹴り、横へ飛んだ。すると。
僕の目の前で、神様が止まった——。
『あぁ……』
穴の向こう側にいる神様の表情が、和らいで行く。
そして、先程とは全く違う穏やかな表情で、子供たちを見つめた。
——やっぱり、子供たちに対しては、優しいんだ。今なら、話ができるかも知れない。
「神様! あなたは優しい神様のはずです! もうこんなことはやめてください……!」
力の限り叫んだが、神様はゆっくりと首を動かしながら、子供たちを見つめるだけで、僕の声には何の反応も示さない。
「神様! お願いします!」
もう一度叫んでみたが——やはり神様は、子供から別の子供へ、ゆっくりと視線を移すだけだ。
僕の声が、全く届いていないのが分かった。
「ダメ、なのか……」
子供たちと話ができたので、神様にも届くかも知れないと期待していた。しかし神様は、僕の方を視ようともしない。
「一ノ瀬さん、諦めてください」
御澄宮司の低い声が聞こえるのと同時に、神様の右肩から腹の左側へ、紫色の光が走った。
『あぁ! あ……』
苦しそうに顔を歪め、神様がゆっくりとこちらへ向かって倒れ込む。
僕は思わず奥歯を噛み締めた。胸の奥が苦しい。
身体に残る紫色の光は強くなり、神様の目から、血のように赤い涙が流れた。あの涙は、怒りの涙なのだろうか。それとも、悲しみの涙なのだろうか——。
倒れながら両手を広げた神様は、子供たちを包み込むようして、霧が散るように消えて行った。
先ほどまで神様がいた場所の後ろには、御澄宮司と紫鬼の姿がある。
「……僕にもっと力があれば、どうにか……できたのかな……」
一気に身体の力が抜けて、地面に手をついた。
「もう、遅すぎたんですよ……。生贄の儀式なんて、してはいけなかったんです。もしくは、土地神を祀っていたこの神社の者が、早くにやめさせるべきだった。私たちにできることは、もうなかったように思います」
そう言いながら御澄宮司が刀を鞘に収めると、紫鬼は紫色の靄に姿を変え、刀の中に戻って行った。
——分かってるけど、でも。人間が酷いことをして神様を怒らせたんだ。神様はただ、子供たちを守ろうとしただけなのに……。
生贄の儀式を始めた人たちは、とっくの昔に亡くなっている。最後の儀式が行われたのも、村のお年寄りたちが若い頃だ。彼らは言われるがままに従うしかなかっただろう。やらなければ、村で暮らせなくなっていただろうから。
やり場のない怒りは、無力感へと変わって行った。
「落ち込んでいるのは分かりますが、そのままの状態にしておいてくださいね? 一ノ瀬さんが力を使うのを止めると、子供たちが消えてしまいそうなので」
「えっ!」
驚いて顔を上げ、気が付いた。周辺にあった赤い靄がなくなっている。子供たちはもう、神様の力で守られていないのだ。
先ほどよりも、子供たちの気配が薄くなっている気がする。手足の先など、身体の一部が消えかかっている子もいた。
「まだ消えないでね。紅凛ちゃんがくるまで、頑張って!」
御澄宮司はどこかへ電話をかけている。神社の人たちに連絡をしているのだろう。
しばらくすると、ざっ、ざっ、ざっ、と数人が砂を踏む音が聞こえた。
御澄宮司の神社の人たちは、全員が神職の装束を着て、手には太鼓や横笛、銅拍子などの楽器を持っている。
紅凛が着ているのは赤と白の巫女装束だ。頭には白やピンクの花がたくさんついた華やかな花簪をつけ、手には神楽鈴を持っている。
「ご苦労様。早速始めてもらえるかな? 一ノ瀬さんの力が尽きる前に」
御澄宮司が神社の人たちの方へ身体を向けたまま、横目で僕を見る。何だか目が笑っているような気がした。
「も、もう少しなら、大丈夫です……」
呪具の数珠に力が溜まっていたから何とかなっていたものの、実は限界が近付いてきている。顔には出さないようにしていたつもりだが、御澄宮司は気付いていたようだ。
「承知いたしました」
神社の人たちが、四十五度くらいの角度で、すっと頭を下げる。
紅凛は緊張しているようだが、俯いてはいない。顔を上げて、背筋もピンと伸びている。たった三日間で、随分としっかりしたように思えた。どこからどうみても、立派な巫女さんだ。
「紅凛ちゃん。巫女さんの衣装、すごく似合ってるよ。僕は動けないから、子供たちと一緒に、ここから見てるね」
僕が言うと、紅凛は無言で頷いた。口元に力が入っているので、やはり緊張しているのだろう。
神社の人たちが拝殿の前にある賽銭箱を動かし、扉を全て外すと、小さな舞台ができた。大人が舞うには少し狭いかも知れないが、八歳の紅凛には、ちょうどいい広さに見える。
奥に神社の人たちが座り、紅凛は手前で正座をした。巫女舞を始めるようだ。