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第36話

 神様の周りの地面には、赤い靄が漂っている。かなり濃い色の靄だ。


 ゴポ、ゴポポ、ゴポッ


 地面から、赤い水が湧き出てきた。井戸の水よりも、もっと色が濃い。それは段々と広がり、血のように赤い水溜まりが出来て行く。


 ——神様というより、あれは……。


 不気味な光景に、ごくりと唾を飲み込んだ。


『ゆるさない! あああっ』


 神様が手の平を、御澄宮司へ向ける。


 ザァッ、と音を立てて、赤い水溜まりが地面を這うように、御澄宮司の方へ広がって行った。


「紫鬼、飛べ!」


 そう叫んで、御澄宮司は横へ飛んだ。


 紫鬼も上へ飛んで、そのまま高い位置で浮いている。


『逃げるなぁ!』


 神様が手を動かすと、赤い水は御澄宮司を追うように広がって行った。


 ——水を動かしてる……。そういえば御澄宮司が、あの神様は水神なのかも知れないって言っていたな。


「くそっ!」


 追ってきた水を躱した御澄宮司は、走って岩の上に飛び乗った。彼が赤い水に捕まらなくて良かった——と安心していたが。


 ザザアァァァ


 岩にぶつかった赤い水は、そのまま岩に巻き付くように、上へ登って行く。


「何なんだ、この赤い水は!」


 御澄宮司が飛び降りると同時に、岩は赤い水に包み込まれた。


 そしてすぐに振り向いた彼は、大きく刀を振る。


「ん……?」


 一瞬、眉間に皺を寄せて、御澄宮司はまた走り出した。その後も、右手の甲を気にしているような仕草をしている。


 ——どうしたんだろう?


「紫鬼!」


 刀を右上に構え直して御澄宮司が呼ぶ。


 すると、宙に浮いていた紫鬼が、ものすごい速さで神様へ向かって行き、大鎌を振り下ろした。


『ぎゃあぁっ!』


 両腕で大鎌を受けた神様の悲鳴が響き渡る。


『おのれぇ!』


 神様が右手を大きく振りかぶり、爪で紫鬼を攻撃した。


 紫鬼は上へ飛んで攻撃を避けたが——左足首の辺りが大きく抉られている。


 ——紫鬼の脚が……!


 傷はゆっくりと塞がったが、大丈夫なのだろうか。


『ゆるさない! ゆるさないぃぃぃ!』


 左右の腕を交互に大きく振りながら、神様は二人の方へ迫っていく。


「だから、殺したのは俺じゃないと言っているだろう!」


 苛立っている様子の御澄宮司が、左下から右上へ刀を大きく振り上げ、紫鬼も同じように大鎌を振り上げる。


『うぅっ!』


 神様が左手を押さえて、後ろへ下がった。


 ——あっ! 当たった!


 少しは有利になるかと思った瞬間。御澄宮司がふらついた。


「うっ……」


 彼は右手の甲を見て、眉間に皺を寄せる。


「くそっ! そういうことか」


 ——何だろう。さっきも右手を見ていたよな?


 御澄宮司が刀を構えると、神様はさらに一歩下がった。


「やっと分かったよ。ほんの少し水が散ってきただけでも、力が抜けて行くような感じがする。この禍々しい霊気を含んだ赤い水は、命を奪えるんだろう? だから、殺された人たちの死因が判明しなかったのか」


 ——命を、奪う……?


 もし御澄宮司が、あの岩のように赤い水に包み込まれていたら。そう考えると、背筋を冷たいものが這い上がった。


『ああああああああ!』


 叫び声を上げながら、神様が右の手の平を御澄宮司へ向けた。


 ザザァァァッ


 赤い水がまた地面を這って、御澄宮司を追う。


 彼は赤い水を躱しながら逃げているが、先ほどよりも動きが鈍い。また岩の上に飛び上がったが——。


「……ッ!」


 足が水に飲み込まれそうになった。


 ——どうしよう、このままじゃ御澄宮司が……。でも相手は神様だし、あの水は自在に動かせるみたいだし、どうすればいいんだよ!


 考えている間も御澄宮司は、赤い水を躱しては神様を攻撃しているが、紫鬼の大鎌は神様に当たらない。


 紫鬼は呪力と霊体が混ざり合い形を成しているので、霊体に近い存在だが、御澄宮司は生身の人間だ。体力が尽きれば、あっという間に赤い水に包み込まれてしまう。


 ——どうにかしないと……! そうだ。別に、あの赤い水をどうにかする必要はないんだ。神様の意識を逸せることができたら、きっと何とかなる!


 神様がこちらを向いていない時を見計らって、僕は走り出した。




 椿の木の陰に辿り着き、隠れて様子を窺ってみたが、神様は僕に気付いていないようだ。


 ——よかった……。


 ふぅっと安堵の吐息を吐き、深い穴を覗く。先程よりも濃い、赤い靄が充満していた。強烈な腐敗臭に思わず息を止めたくなるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 ——蝋燭も、霊を呼ぶお香も今はないけど、これだけ霊気が濃いなら、僕の力だけで呼べるような気がする。


 僕は地面に膝をつき、両手を穴の中へ伸ばす。まるでドライアイスの冷気の中へ手を入れているようだ。指先から、どんどん冷たくなって行く。


 ——みんな、この下に身体があるんだよね? おいで。僕に姿を視せて……!


 深い穴の奥に意識を集中させると、左手首にある呪具の数珠が、紫色の淡い光を放った。


 穴の中に溜まっていた赤い靄が、ふわりと浮かび上がり、僕の周りに広がって行く。まだ視えていなくても、何かがたくさん動いているのが分かった。


 赤い靄は次第にいくつもの塊になり、子供の姿になって行く。


 横にいるのは記憶を視せてくれた、一番背の高い女の子。

 両脚に小さな子供たちが掴まっている。

 座って、穴の中に足を垂らしている男の子。

 こちらではなく神様の方を向いている子。

 背中にも、冷たい小さな手の感触が伝わってくる。

 後ろにも、何人かいる気配がした。


 二十人近くいる子供たちは、改めて視てみると、男の子よりも女の子の方が、圧倒的に多い。村の人たちはあの歌の通りに、多くの女の子を生贄にしてきたのだろう。


 ——よし、呼べた。後は神様がこっちを視てくれたら……!


 必ず、隙ができるはずだ。おそらく一回しか通用しない。御澄宮司は、僕の意図に気付いてくれるだろうか。

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