神様の周りの地面には、赤い靄が漂っている。かなり濃い色の靄だ。
ゴポ、ゴポポ、ゴポッ
地面から、赤い水が湧き出てきた。井戸の水よりも、もっと色が濃い。それは段々と広がり、血のように赤い水溜まりが出来て行く。
——神様というより、あれは……。
不気味な光景に、ごくりと唾を飲み込んだ。
『ゆるさない! あああっ』
神様が手の平を、御澄宮司へ向ける。
ザァッ、と音を立てて、赤い水溜まりが地面を這うように、御澄宮司の方へ広がって行った。
「紫鬼、飛べ!」
そう叫んで、御澄宮司は横へ飛んだ。
紫鬼も上へ飛んで、そのまま高い位置で浮いている。
『逃げるなぁ!』
神様が手を動かすと、赤い水は御澄宮司を追うように広がって行った。
——水を動かしてる……。そういえば御澄宮司が、あの神様は水神なのかも知れないって言っていたな。
「くそっ!」
追ってきた水を躱した御澄宮司は、走って岩の上に飛び乗った。彼が赤い水に捕まらなくて良かった——と安心していたが。
ザザアァァァ
岩にぶつかった赤い水は、そのまま岩に巻き付くように、上へ登って行く。
「何なんだ、この赤い水は!」
御澄宮司が飛び降りると同時に、岩は赤い水に包み込まれた。
そしてすぐに振り向いた彼は、大きく刀を振る。
「ん……?」
一瞬、眉間に皺を寄せて、御澄宮司はまた走り出した。その後も、右手の甲を気にしているような仕草をしている。
——どうしたんだろう?
「紫鬼!」
刀を右上に構え直して御澄宮司が呼ぶ。
すると、宙に浮いていた紫鬼が、ものすごい速さで神様へ向かって行き、大鎌を振り下ろした。
『ぎゃあぁっ!』
両腕で大鎌を受けた神様の悲鳴が響き渡る。
『おのれぇ!』
神様が右手を大きく振りかぶり、爪で紫鬼を攻撃した。
紫鬼は上へ飛んで攻撃を避けたが——左足首の辺りが大きく抉られている。
——紫鬼の脚が……!
傷はゆっくりと塞がったが、大丈夫なのだろうか。
『ゆるさない! ゆるさないぃぃぃ!』
左右の腕を交互に大きく振りながら、神様は二人の方へ迫っていく。
「だから、殺したのは俺じゃないと言っているだろう!」
苛立っている様子の御澄宮司が、左下から右上へ刀を大きく振り上げ、紫鬼も同じように大鎌を振り上げる。
『うぅっ!』
神様が左手を押さえて、後ろへ下がった。
——あっ! 当たった!
少しは有利になるかと思った瞬間。御澄宮司がふらついた。
「うっ……」
彼は右手の甲を見て、眉間に皺を寄せる。
「くそっ! そういうことか」
——何だろう。さっきも右手を見ていたよな?
御澄宮司が刀を構えると、神様はさらに一歩下がった。
「やっと分かったよ。ほんの少し水が散ってきただけでも、力が抜けて行くような感じがする。この禍々しい霊気を含んだ赤い水は、命を奪えるんだろう? だから、殺された人たちの死因が判明しなかったのか」
——命を、奪う……?
もし御澄宮司が、あの岩のように赤い水に包み込まれていたら。そう考えると、背筋を冷たいものが這い上がった。
『ああああああああ!』
叫び声を上げながら、神様が右の手の平を御澄宮司へ向けた。
ザザァァァッ
赤い水がまた地面を這って、御澄宮司を追う。
彼は赤い水を躱しながら逃げているが、先ほどよりも動きが鈍い。また岩の上に飛び上がったが——。
「……ッ!」
足が水に飲み込まれそうになった。
——どうしよう、このままじゃ御澄宮司が……。でも相手は神様だし、あの水は自在に動かせるみたいだし、どうすればいいんだよ!
考えている間も御澄宮司は、赤い水を躱しては神様を攻撃しているが、紫鬼の大鎌は神様に当たらない。
紫鬼は呪力と霊体が混ざり合い形を成しているので、霊体に近い存在だが、御澄宮司は生身の人間だ。体力が尽きれば、あっという間に赤い水に包み込まれてしまう。
——どうにかしないと……! そうだ。別に、あの赤い水をどうにかする必要はないんだ。神様の意識を逸せることができたら、きっと何とかなる!
神様がこちらを向いていない時を見計らって、僕は走り出した。
椿の木の陰に辿り着き、隠れて様子を窺ってみたが、神様は僕に気付いていないようだ。
——よかった……。
ふぅっと安堵の吐息を吐き、深い穴を覗く。先程よりも濃い、赤い靄が充満していた。強烈な腐敗臭に思わず息を止めたくなるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
——蝋燭も、霊を呼ぶお香も今はないけど、これだけ霊気が濃いなら、僕の力だけで呼べるような気がする。
僕は地面に膝をつき、両手を穴の中へ伸ばす。まるでドライアイスの冷気の中へ手を入れているようだ。指先から、どんどん冷たくなって行く。
——みんな、この下に身体があるんだよね? おいで。僕に姿を視せて……!
深い穴の奥に意識を集中させると、左手首にある呪具の数珠が、紫色の淡い光を放った。
穴の中に溜まっていた赤い靄が、ふわりと浮かび上がり、僕の周りに広がって行く。まだ視えていなくても、何かがたくさん動いているのが分かった。
赤い靄は次第にいくつもの塊になり、子供の姿になって行く。
横にいるのは記憶を視せてくれた、一番背の高い女の子。
両脚に小さな子供たちが掴まっている。
座って、穴の中に足を垂らしている男の子。
こちらではなく神様の方を向いている子。
背中にも、冷たい小さな手の感触が伝わってくる。
後ろにも、何人かいる気配がした。
二十人近くいる子供たちは、改めて視てみると、男の子よりも女の子の方が、圧倒的に多い。村の人たちはあの歌の通りに、多くの女の子を生贄にしてきたのだろう。
——よし、呼べた。後は神様がこっちを視てくれたら……!
必ず、隙ができるはずだ。おそらく一回しか通用しない。御澄宮司は、僕の意図に気付いてくれるだろうか。