目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第35話

 櫛の欠片を両手で包み込み、目を閉じる——。


 手の中にある櫛に意識を集中させると、櫛が氷のように冷たくなって行った。今までにないくらい、強い霊気を感じるのは、御澄宮司が言っていた通り、神様と波長が合っているということなのだろうか。


 ——地面の奥の方から、嫌な気配を感じる。かなり広い範囲だ。だから地上のものじゃなくて、地下水が赤くなったんだろうな……。


 白い世界にいた神様の姿を、脳裏に思い浮かべながら、僕はゆっくりと、息を吸い込んだ。


「かん かん かんなのカミさんは

赤い花ほしいともうします


かん かん かんなのカミさんは

白い花いらぬともうします


赤いはこには 赤いれて

白はちぎって すてましょう


雨がなくとも おどりはならぬ

花がなくとも おうたはならぬ


かん かん かんなのカミさんにゃ

赤いお花をあげましょう……」


 歌い終わった瞬間に、冷たい風が背筋を撫でた。


 ぞわり、と全身の肌が粟立つ。


 周りの木々が、ざわざわと音を立てて揺れ始めたのが分かった。


 ぽとっ ぽとっぽとっ

 何かが落ちる音がする。近いので、椿の花だろう。


 空では、ゴロゴロと低い音がしている。

 まるで神様の怒りを表しているような音だ。


 目を瞑っていても、赤い靄が立ち込めているのが分かる。


 冷たく湿った空気が纏わりつき、息を止めたくなるような、不快な匂いに包まれた。


 ——あと、もう少し……。


 なぜそれが分かるのか、自分でも不思議に思う。しかし確実に、嫌な気配が膨れ上がっているのが分かった。神様が、地上へ出て来ようとしている。


 声は出さずに、櫛に向かって心の中で語りかけた。生贄にされた子供たちが、おそらく最後に思ったであろうことを、神様に願う。


『神様、お願いします。助けて。助けて——』


 ゴゴ、ゴゴゴゴゴ……

 腹に響くような低い音が、どんどん大きくなって行く。


 地面の奥深くから、嫌な気配が一気に近付いてきた。


「うわっ!」


 突然、強風に煽られて、地面に倒れ込んだ。


「いったぁ……」


 まだ風は強いが、とりあえず起き上がりたい。このままでは、穴に落ちてしまう。


 両腕に、ぐっと力を入れて、上半身を起こす。




 ぴちゃんっ




 起き上がると同時に後ろから、水滴が落ちる音が聞こえた。


 ——あ……。後ろに、いる。


 全身が総毛立ち、無数の小さな針で刺されているような痛みを感じる。身体は勝手に震え出した。


『もういい……もういい……』


 頭の中に、女性の声が響いた。

 前に聞いた、神様の声だ。


 身体の震えを必死に抑えながら、おそるおそる振り向く——。




 銀色に近い、長い白髪が揺らめいていた。


 白い陶磁器のような真っ白な肌は、血の気を感じない。


 赤い着物を着た、三十代くらいの女性に見えるが、背丈が人間の女性の、倍ほどはある。


 目は赤く、指と首が、人間のそれよりも随分と長い。


 血のように赤い涙を流しながら、神様は境内の真ん中に立っていた。


『ゆるさない……』


 横を向いている神様の視線の先へ目をやると、御澄宮司が神様の方へ向かって、ゆっくりと歩いていた。紫色の着物は、もう持っていない。


「やっと、お会いできましたね」


 神様の少し手前まで行って立ち止まる。


 御澄宮司と神様を比べると、やはり神様の方が随分と大きい。その様子を見ただけで、不安はより大きくなった。本当に、あんなに強大な相手と闘うことができるのだろうか。


『よくも、子供らを……!』


「子供たちを殺したのは、私ではありませんよ?」


 御澄宮司は小首を傾げる。


『ゆるさない! ゆるさないぃ……!』


 神様が叫ぶと、バリバリッ! という耳をつんざくような雷鳴と共に、境内の隅にある杉の木が、真っ二つになった。


 メキメキ、メキ……ドンッ


 倒れた木から、煙が上がっている。


「やはり、話は通じないようですね……」


 御澄宮司は姿勢を低くして、呪具の刀に手をかけた。


「一ノ瀬さん。——少し、下がっていてもらえますか?」


「あ、はいっ!」


 境内の入り口まで走って振り向いた時、御澄宮司が刀を抜いた。


 紫色の靄が刀から溢れだし、御澄宮司の隣に集まって行く。


 その靄は次第に大きな塊になり、ぐにゃりと動くと、若く美しい女性の姿になった。御澄宮司によると、彼女は紫鬼という名前らしい。


 紫鬼は紫色の長いローブを羽織り、目深にフードをかぶっている。そして柄も刃も真っ黒な、大きな鎌を手に持っている。自分の身長と変わらない大鎌を、彼女は軽々と片手で持ち上げていた。


『どうして、殺した!』


 神様は両手を空へ向かって上げる。


 黒い雲が引き寄せられ、神様と御澄宮司の上に渦を巻くように集まって行った。


 ——雲まで操ってる……。人間の霊だったら、あんなことはできないよな。紛れもなく、あの女性は神様なんだ。本当に大丈夫なのかな、御澄宮司……。


 心配だが、僕が行ったところで足手まといになるだけだ。


『ゆるさない!』


 神様が勢いよく両手を振り下ろすと、視界が真っ白になり、ドォン! と大地が震えるような爆音が響いた。雷が落ちたのだ。


「くっ……!」


 土煙が風に流されて行くと、御澄宮司は後ろに移動していた。


 彼がいた場所には、大きな窪みが出来ている。


 ——嘘だろ……? あんなのが当たったら、人間なんか、ひとたまりもないじゃないか。


「紫鬼!」


 御澄宮司が叫びながら、刀を右横に構える。


 その隣で紫鬼も、黒い大鎌を御澄宮司と同じように右横に構え、地面を蹴った。


 ヒュン、と立てながら、大鎌が右から左へ振られる。


『うぅっ!』


 神様は後ろに仰け反って鎌を避けた。嫌がっているようだ。


『おのれ! おのれぇ!』


 ドオォォォン!


 神様が叫ぶと、地面が激しく揺れた。


 神社も揺れて、ギシギシと軋む音がする。

 周りにある木々から、小枝や葉が落ちてきた。

 空では雲から雲へ、稲光が走っている。


「チッ!」御澄宮司が舌打ちをした。


 地面が激しく左右に揺れている。彼は倒れないように、なんとかバランスをとっているが、僕は立っていられずに、地面に両手をついて座り込んだ。


「ううう……」


 揺れが収まり、神様に目をやると、身体の前で両手を重ねて、手の平は地面に向けている。


 ——今度は何をする気なんだ?


 揺れに驚いて、心臓の鼓動が速くなっている。こめかみから、つうっと冷たい汗が流れ、手の甲に落ちた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?