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第34話

 最初は、食べて寝るだけだと、そのうち眠れなくなりそうだ。などと考えていたが、結局、回復のための三日間は、ほとんど眠っていた。


 自分で思っていたよりも、疲れていたのかも知れない。


 御澄宮司に起こされたのは、昼前だった。二人で昼食を食べた後、用意されていた着物に着替える。紅凛が着ていたのと同じで、着物も帯も、真っ白だ。


「生贄にされる時の格好だって知らなくても、これを着せられたら、なんかおかしいなって思うよな。いつも着ているものと違って、柄も模様も色も、何もない、真っ白でさ……」


 不安な気持ちのままで過ごして、それは段々と恐怖に変わり、死んで行ったのだろうと思うと、胸の奥が押し潰されるように痛くなる。


「あの神様も、苦しかったんだろうな……」


 人間のせいで悪いものになってしまっただけで、元々は、この村を守ってくれる優しい神様だったはずだ。本当にもう、元に戻すことはできないのだろうか。




 着替え終わって廊下へ出ると、御澄宮司は神社がある方角を眺めていた。平安時代の貴族が着ていそうな、濃い青の狩衣に着替えている。前髪を上げて、黒い烏帽子をかぶっているので、凛々しく整った顔がよく見えた。


 御澄宮司が、狩衣を着て仕事をしているのを初めて見た時は驚いたが、普段から神職の装束を着ているので、割と動きやすいらしい。札などの小道具を袖に入れておけるので、便利だとも言っていた。


「一ノ瀬さん、準備はいいですか?」


「はい、大丈夫です」


「では、行きましょう」


 いつもより、御澄宮司の表情が硬いような気がした。


 腰には呪具の黒い刀を差している。御澄宮司は本当に、あの神様を斬るつもりでいるのだろう。


 ——御澄宮司は、こんなことはしたくないはずだ。でもやらないと、村の人たちは皆殺しにされるだろう。……紅凛ちゃんも、こんな風に悩んでいたんだろうな……。


 紅凛も「どうしたらいいか、分からなかった」と言っていた。全てを知った今だからこそ、その気持ちがよく分かる。


 子供たちを殺してきた村への怒りと、それでも村の人たちを死なせたくないという気持ち。どちらを優先すればいいのだろうか——。




 神社に着くと、境内には細いしめ縄が張られていた。しめ縄につけられた白い紙が、風に吹かれてゆらゆらと揺れている。


 ——紙垂があると、一気に祭りっぽくなるんだな。


 霊力を悟られないようにするための紫色の着物を、頭から羽織った御澄宮司と一緒に、誰もいない境内を歩く。


「なんか、すごく嫌な感じがしますね……」


 電気の刺激を受けているように、身体中にビリビリとした痛みを感じる。何かに睨み付けられているような気がして、思わず境内の中を見まわした。


「こちらの思惑通り、土地神が怒ってくれているようですね。これなら、出てきてくれるでしょう。一ノ瀬さんは子供たちと同じ白い着物を着ているので、襲われることはありませんから、安心してくださいね」


「本当に、大丈夫かなぁ……」


 大人だとバレて、あっという間にあの世行き、なんてことになりそうな気がする。


「大丈夫です。土地神が現れたら、すぐに、どこかへ隠れてくださいね」


「はい……。御澄宮司は、大丈夫なんですか? 相手は神様だし……」


「まぁ、神と呼ばれるほどの力を持っている相手なので、絶対に大丈夫、とは言えませんけど……。でも、このまま放っておくわけにはいきませんからね。あの土地神は、この村が滅びるまで、止まることはないでしょう。それに、もしかしたら、村を滅ぼしても止まらない、という可能性もあります。それなら今、力ずくで止めるしかない。一ノ瀬さんがどう思っているかは分かりませんが、人が大勢殺されるかも知れないと分かっていて放っておくほど、薄情ではないですよ、私は」


「別に、御澄宮司が逃げ出すとは思っていませんけど……」


 話をしていると、椿の前に辿り着いた。


 木の横には、僕の身長と同じくらいの、深い穴が掘られている。


「これは、村の人たちが掘ったんですか?」


「えぇ。村のお年寄りたちは若い頃に、儀式に立ち会ったことがあるそうなので、同じように穴を掘ってもらいました。この穴に落とされたら、幼い子供たちは、自力で出ることはできませんよね……」


「深い穴の中で、上からどんどん土が降ってきて……。あの女の子の記憶を思い出すと、僕でも怖いですよ。なんであんな酷いことをしようと思ったのか、僕には理解できません」


「そうですね。理解しようとも思いませんよ……」


 穴の底には、井戸と同じように、赤い靄が漂っている。土の匂いと、真夏のゴミ捨て場のような強烈な腐敗臭を感じて、着物の袖で鼻を押さえた。


「あの赤い靄のにおい……。金子さんたちは分からないようでしたけど、ここは臭いと言っていましたよ。穴を掘りながら、他の人たちも口々に臭いと言っていました」


「ここは、子供たちが埋められた場所ですよね。もしかして……。あの赤い靄のにおいは、遺体が腐敗した匂いと、似ているってこと……ですか? でも、いくら地面の奥深くと言っても、においは段々と薄れていきますよね?」


「そうですね。それでも、村の人たちは臭うと言っていましたからね。何十年何百年経っても、まだ恨みが残っているような、そんな風に感じましたよ。今回は雰囲気を作るためなので、この深さの穴にしましたけど、実際には、もっと深かったそうですよ。たしかに、まだ骨は出てきていませんし、この深い穴の、さらに奥深くに、子供たちが埋まっているんだと思います」


 子供たちが村を恨んでいるのなら、もっと気持ちが楽だったと思う。あの子たちからは、悲しい、寂しい、怖い、そんな気持ちしか感じられなかったことが、余計につらい。


「一ノ瀬さん、これを」


 御澄宮司がハンカチを開き、赤い櫛の欠片を僕に手渡した。 


「この場所は霊気が濃いので、この櫛を持ったままで土地神を呼べば、出てくる可能性は高いと思います」


「はい」


 赤い櫛の欠片を手に取ると、まるで何かが上から覆い被さってきたかのように、身体が重くなった。


「これ、結構きついですね……」


「えぇ。ハンカチは、霊気を遮断するように作られているので持っていられましたが、私も直接持つのは、つらいです。一ノ瀬さんがもう無理だと思ったら、すぐに手放してください。それから、もし呼べなくても気にすることはありませんから、無茶はしないでくださいね。ダメなら、また別の手を考えますから」


「分かりました。——実は、ずっと考えていたんですけど……。あの歌で、呼ぼうと思うんです」


「赤い花の歌ですか」


「はい。祭りの時に子供たちが歌って、祭りが終わると生贄の子が殺されていたのなら、歌が聞こえたら、怒って出てきてくれるんじゃないかなと思って」


「たしかに、出てくる確率は上がりそうですね。覚えたんですか? あの歌」


「そんなに難しいメロディじゃないので、歌えそうです」


「すごいですね、私は無理です。では……私は一度、境内の外に出ますね」


「はい」


 御澄宮司が境内の外に出るのを見届けてから、右膝を地面につけた。

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