「……最初は、田んぼの稲が枯れて、そのうちに畑の作物もダメになって、村のみんなが『これは神様に生け贄を捧げていないからだ』と言い始めたんです。しかも生贄の候補に上がったのは、紅凛でした。なんとかしないと、と妻と毎日のように話し合って……。そんな時に、神社の近くに住んでいる高齢の夫婦が亡くなったんです。最低だと思われるかも知れませんが……。私はそれを利用しようと思いました。私も、もしかしたら神様がやったのではないか、と思っていましたが『神様が怒っているのではなく、村に悪霊が憑いているせいだ』と村の人たちに言ったんです。生贄の儀式なんてやっている場合ではない、早く悪霊を祓ってくれる人を捜さないと、手遅れになるって……」
村の人たちは眉間に皺を寄せて、一斉に白榮へ顔を向けた。
「白榮さん! あれは嘘だったのか?」
「神様は関係ないと言ったじゃないか!」
「神社の人間だから、信じたのに!」
口々に言う村の人たちを、白榮は睨みつけた。
「こっちは大事な娘が殺されかけているんだ! やれることは何でもするに決まってるだろ!」
白榮が大きな声で怒鳴ると、村の人たちは気まずそうに、また俯いた。
「……本当は、紅凛と妻を連れて、村を出ようと思ったんです。でも兄の一家が死んでしまった時に、やっぱり何とかしなければ、と考え直しました。神様を守ってきた私の先祖が、こんなことは早くやめさせるべきだったんです。それなのに長い間、酷い行いを許してしまった。兄の一家が死んだのは、その罰なんだと思います」
白榮は御澄宮司に向かって頭を下げた。
「こんな村は、滅びた方がいいのかも知れません。でも、今まで村がやってきたことを何も知らない若者もいる。これ以上、見殺しにはできないんです……! どうか、力を貸してください。相手が本当に神様なら、私たちではどうにもできません。——お願いします!」
しばし間を置いてから、御澄宮司は溜めていた何かを吐き出すように、大きく息を吐いた。
「……別に、途中で投げ出したりはしませんよ。ただ私は、災いが起こる時は、その原因を作った者が自分で、災いを受けるべきだと思っているんです。それなのに、ここまで悪化した状態で尻拭いをさせられるのが、どうにも納得できなかっただけですよ」
「申し訳ないと思っています。私にできることなら、何でもしますから……!」
「……別に、白榮さんが全責任を負う必要はないでしょう。村全体でやってきたことなんですから。——まぁ、私が腹を立てたところで、生贄にされた子供たちは生き返りませんしね。やれることはやりますよ」
そう言う御澄宮司の眉間には、まだ皺が寄っている。最後までやるのだとは思うけれど、納得はしていないようだ。
「ありがとうございます……。すみません、すみません……」
白榮は何度も頭を下げた。
御澄宮司は、やれることはやると言っていたが——。ただ、どうやって解決するつもりなのだろうか。相手は、人間や動物の霊体ではなく、神様だ。
「神様って、何なんだろう……」
空を見上げながら呟くと、御澄宮司が僕の方へ身体を向けた。
「まぁ諸説ありますが……。力を持っている死霊を、人々が勝手に『神様』と呼んでいるのもよく見るんですよ。神様を鎮めてほしいという依頼を受けて行ってみれば、悪いものになりかけている死霊だった、ということは何度もあります。ただ、この村にいるのは、そういったものとは違って、人々の願いから生まれた存在のように思います。一ノ瀬さんも、人の姿に似ているけど、おかしな部分があったと言っていたでしょう?」
「はい。指が長かったり、肌が異様に白かったり、髪の色が銀髪に近かったり。目も血の色みたいに真っ赤だったので、人間じゃないと思ったんです」
「たぶん、人間の死霊が力を持っても、そんな姿にはならないと思うんですよ。長い時間を経て形が崩れてしまったとしても、生きていた頃とかけ離れた姿にはならないはずです。人々が思い浮かべた神の姿が混ざり合って、少しずつ形を成して行ったのでしょう」
「それが、あの女性……」
「そうですね。子供たちを『かわいそう』と言っているのを一ノ瀬さんが聞いていたことを考えると、最初はとても慈悲深い神様だったのでしょう。だからこそ、子供たちを生贄にしてはいけなかったんです。どうも子供たちに対する気持ちが大きいようですから、子供を大切にする母のような存在だったのかも知れませんね。それなのに、子供たちを生贄にしてしまった。そりゃあ、怒りますよね……。今まで暴走しなかったのが不思議ですよ」
「それだけ紅凛ちゃんのご先祖様たちは、霊力が高かった、ってことでしょうか」
「それもありますし、鎮める能力が優れていたんでしょうね。私が『祓う力』一ノ瀬さんは『視る力』が強いように、おそらく紅凛さんの一族は『鎮める力』が強いんですよ」
「なるほど。でも、その力の使い方が伝わっていないんですよね……」
「そうなんですよね……。ただ、今の状態からではどちらにしても、鎮めることはできないでしょうから、別の手を考えるしか……」
御澄宮司は視線を落として、酷く憂鬱そうな顔をする。何となく、本当はやりたくないことなのだろうと思った。
「紅凛さん。祭りの時に神社で、土地神の姿を視たと言っていましたが、他で視たとはありますか?」
紅凛はすぐに首を横に振る。
「ううん、お祭りの時だけ」
「祭りの時だけ? もしかして、祭りの時はいつも現れるんですか?」
「そうだよ」
「何でしょうね、それは……。ずっと櫛に封印されていたので実態ではないと思いますが、紅凛さんは姿を視ている。祭りの日は土地神の力が増して、普段は視ることができないはずの姿を、視ることができた……?」
御澄宮司が話しているのを聞いていると、不意に子供たちの姿が脳裏に浮かんだ。
人間の子供たちのために、赤い涙を流して泣いていたあの神様は、御澄宮司の言う通り、優しい神様だったはずだ。僕があの神様の立場だったら、どうするだろう。
——神様は、赤い花の歌を聞くと、怒る……。祭りの時に子供たちが歌うんだよな。もしかして……。
「白榮さん。子供たちが生贄にされていたのって、もしかして、祭りが行われた後ですか?」
僕が尋ねると白榮は「そう聞いています」と、頷いた。
——やっぱりそうか。
「御澄宮司……。神様は、子供たちを守ろうとしていたんじゃないでしょうか。子供たちが、祭りの後に殺されてしまうのが分かっていたから、祭りの日に姿を現したんだと思います。でも、封印されている状態だったから助けることができなくて、怒りがどんどん溜まって行ったというか……」
「そう、かも知れませんね……。白榮さんが、何をしてでも紅凛さんを守ろうとしたように、土地神も、子供たちを守ろうとしたのかも知れません……」
大切に想っている子供たちが、目の前で殺されて行ったのだ。怒りと恨みが積み重なって、あの神様は赤い涙を流すようになったのだろうか。
しばらくの間、目を伏せて考え事をしていた様子の御澄宮司は、徐に口を開いた。
「三日……。三日間は、ゆっくりと休んで、また力を使ってもらうことはできますか?」
「あー……。僕が、神様を呼ぶってことですよね? できるかな……」
「一ノ瀬さんに負担がかかるのは分かっているのですが、私ではあの土地神を呼ぶことはできません。それに子供を使うのは、さすがに気が引けると言うか……」
「えっ。いや、それはダメですよ! 僕がやります!」
この村には子供がほとんどいない。やるとしたら紅凛だろう。紅凛はやると言いそうな気がするけれど、絶対にそんなことはさせられない。他の子だったとしてもダメだ。
「では、よろしくお願いします。今回は、霊体を呼ぶための香は意味がないと思うので、御神体になっていた櫛を身につけてもらいます。一ノ瀬さんなら、それで土地神を呼びやすくなると思いますから。ただ、それだけではまだ確実とは言えないので——子供たちが生贄にされた時と同じように、椿の横に穴を掘ってもらいましょうか。そして一ノ瀬さんに白い着物を着てもらって、穴のそばで力を使ってもらえば、土地神が姿を現す確率は高いかと」
「僕は大人ですけど、大丈夫ですかね……?」
「子供たちが、生贄にされた時のことを思い出させて、怒らせるのが目的なので、大丈夫だと思います。やれそうですか?」
「はい、やってみます」
どちらにしても、それしか方法はないのだろう。
「それから——紅凛さんには、三日間で巫女舞を覚えてもらいます」
「えっ! 私……?」紅凛は表情を強張らせた。
その横では、白榮も目を大きくして、口は半開きになっている。
「そうです。一ノ瀬さんに土地神を呼び出してもらった後、私は土地神を消そうと思っています。もう、鎮めることはできないでしょうからね……。そして紅凛さんには、子供たちを成仏させてあげてもらいたいんです。理不尽に殺されて、消えてしまうだけなんて、惨すぎるので」
「消える……?」