子供たちに紅凛の声は届かない。ただ、僕を見ているだけだ。
「ねぇ、教えてよ!」
——多分これが、紅凛ちゃんが一番知りたかったことなんだ。聞かなきゃ!
僕は、正面にいた女の子に手を伸ばした。他の子よりも背が高い。おそらく、紅凛と同じ年頃のような気がする。それなら、詳しい話を聞けるかも知れない、と思った。
「教えて! キミはどうして死んでしまったの? 今、どこにいるの?」
女の子の左腕に手を伸ばしたが、触れなかった。女の子は霊体なのだから同然だ。
前のめりになり、身体が女の子に近付いた瞬間——。
目の前が、赤い世界に変わった。
椿の木を見ていた時と一緒だ。赤いフィルターがかかったような光景。不快な耳鳴りの音しか聞こえない。
僕は境内の中を、椿の方へ向かって進んでいる。
随分と低い位置から視ている景色だ。
椿の前に着くと、根元には大きな穴があいていた。
穴は、かなり深い。
中には、真っ赤な椿の花がたくさん落ちている。
僕は振り返った。
後ろには、大人の男性がたくさんいる。
何かを言われて、もう一度穴の中を覗いた時。
背中を、ドン、と強い力で押された。
景色がぐるりと回転して、暗くなった。
また、背中に痛みが走る。身体のあちこちが痛い。
目を開けると、土の壁が視えた。穴に落ちたのだ。
上に顔を向けた。
大人たちは眉間に皺を寄せて、木の板を持っている。
誰も、こちらへ手を伸ばしてはくれない。
目の前に水の膜が張り、大人たちの顔がよく視えなくなった。
黒い塊が、上からたくさん降ってくる。
僕は両手を顔の前にかざした。
小さな手をすり抜けた黒いものが、顔に当たる。
土臭い。
顔が痛い。
口の中が、土の味がする。
足が動かなくなり下に目をやると、土で埋まっていた。
足が冷たい。
身体もどんどん動かせなくなって行く。
苦しくて、息が吸い込めない。
空にかざした、小さな手だけが視える。
そしてまた黒いものが降ってくると、何も視えなくなった。
暗い。
寒い——。
「蒼汰くん!」
「一ノ瀬さん!」
大きな声に、はっとした。
ゆっくりと顔を上げると、薄暗い地下室に戻っている。
赤い靄も、子供たちの姿も、なくなっていて、倒れている蝋燭だけがあった。
——今のって……。
「一ノ瀬さん、こちらを向いてください」
御澄宮司が白いハンカチで、僕の顔を拭う。
目を瞑ると、温かいものが頬を流れ落ちた。
「急に動かなくなりましたけど、何かを視たんですか?」
「あ……。多分、あの女の子の記憶です」
「やっぱり……。今みたいなことをすると、危険ですよ」
「今みたい、って?」
「一ノ瀬さんは、女の子が死んだ理由と、今どこにいるのかを知りたいと思いながら、あの子に触れたんじゃないですか? 記憶を視せられたのではなく、一ノ瀬さんが自分の力を使って視た。ただ死霊を呼ぶのとは桁違いな、強い力を使ったんですよ。学んでいないのに、無理に力を使うのは、危険なんです!」
眉間に皺を寄せてそう言った御澄宮司は、ハンカチを僕に見せる。
白いハンカチは、赤く濡れていた。
「蒼汰くん、目が……!」
紅凛が怯えたような表情で、僕の顔を覗き込んでいる。
「また、昨夜と同じように、目から血が流れているんです。訓練を積んでいる私でも視ることができないものを、無理やり視たんです。身体に負担がかかって当然なんですよ。体調は?」
「体調……。そういえば、頭が痛いですね……。でもそれよりも、寒くて……」
両手を顔に近づけると、震えていることに気が付いた。
「とりあえず、上へ行きましょう」
御澄宮司に支えられて立ち上がったが、足元がふらつく。
——あの子は、もっと寒かったんだろうな……。
土に埋もれていく様子が脳裏によみがえる。
思わず、ぎゅっと目を瞑ると、また温かいものが頬を伝って行った。
物置部屋の隅には、座布団が敷き詰められていた。
「蒼汰くん、ここに寝て!」
「紅凛ちゃんが持って来てくれたの? ありがとう」
身体がつらくて寝転がりたかったので、ありがたい。
仰向けに寝転がると、鼻の奥から喉へ、何かがドロリと流れた。錆びた鉄のような匂いが鼻に抜ける。
「うぇっ」気持ち悪くて思わず息を吐いた。
——血の味がする。大丈夫なのかな、これ……。
少し不安になったが、近くに病院はない。病院や店があるような街へ行くには、車で二時間ほどかかるだろう。
——まぁ、しばらく寝ておけば、治るよな……?
「一ノ瀬さん、目を瞑ってもらえますか?」
御澄宮司がまたハンカチで僕の顔を拭う。
「もしかして、結構酷い顔になってます?」
「このまま帰ったら、金子さんが腰を抜かすくらいには。服も血で汚れているので、着替えた方がいいでしょうね」
「うわぁ……そうします」
目をあけると、御澄宮司と紅凛が、顔を引き攣らせて僕の顔を覗き込んでいた。
「もう、大丈夫ですよ。しばらくの間こうしていれば、治ると思いますから」
「……すみません」
なぜか御澄宮司が、苦しげな表情で言う。
「僕が無理に視ようとしてしまったんですから、自業自得です。どうして御澄宮司が謝るんですか? それよりも、さっきの女の子……あっ」
ふと、子供に聞かせることではないかも知れないと思い、紅凛に目をやると、彼女は、真っ直ぐに僕の目を見つめている。
なんとなく、僕が今から言おうとしていることが、分かっているような気がした。
「紅凛ちゃんは、知りたいんだよね。それが、すごく嫌な話だったとしても」
紅凛は、静かに頷いた。
「境内にある、椿の木……。あの横に、大きな穴が掘ってあって、誰かに押されて落ちたんだ。後ろには大人がたくさんいたけど、誰も助けてくれなくて、それどころか、上から土をかけられて……そのまま、埋められたんだ」
紅凛の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「あの子……殺されたんだね」
「……うん」
「椿の木の下にいるんだね」
「うん」
「だから、暗くて寒いんだね」
「うん……」
「やっぱり、あの子たちは殺されたんだ……! 酷いよ。嫌い! こんな村、大っ嫌い……!」