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第28話

 子供たちに紅凛の声は届かない。ただ、僕を見ているだけだ。


「ねぇ、教えてよ!」


 ——多分これが、紅凛ちゃんが一番知りたかったことなんだ。聞かなきゃ!


 僕は、正面にいた女の子に手を伸ばした。他の子よりも背が高い。おそらく、紅凛と同じ年頃のような気がする。それなら、詳しい話を聞けるかも知れない、と思った。


「教えて! キミはどうして死んでしまったの? 今、どこにいるの?」


 女の子の左腕に手を伸ばしたが、触れなかった。女の子は霊体なのだから同然だ。


 前のめりになり、身体が女の子に近付いた瞬間——。


 目の前が、赤い世界に変わった。




 椿の木を見ていた時と一緒だ。赤いフィルターがかかったような光景。不快な耳鳴りの音しか聞こえない。




 僕は境内の中を、椿の方へ向かって進んでいる。

 随分と低い位置から視ている景色だ。


 椿の前に着くと、根元には大きな穴があいていた。

 穴は、かなり深い。


 中には、真っ赤な椿の花がたくさん落ちている。


 僕は振り返った。

 後ろには、大人の男性がたくさんいる。


 何かを言われて、もう一度穴の中を覗いた時。

 背中を、ドン、と強い力で押された。


 景色がぐるりと回転して、暗くなった。


 また、背中に痛みが走る。身体のあちこちが痛い。

 目を開けると、土の壁が視えた。穴に落ちたのだ。


 上に顔を向けた。


 大人たちは眉間に皺を寄せて、木の板を持っている。

 誰も、こちらへ手を伸ばしてはくれない。


 目の前に水の膜が張り、大人たちの顔がよく視えなくなった。


 黒い塊が、上からたくさん降ってくる。

 僕は両手を顔の前にかざした。


 小さな手をすり抜けた黒いものが、顔に当たる。


 土臭い。

 顔が痛い。

 口の中が、土の味がする。


 足が動かなくなり下に目をやると、土で埋まっていた。


 足が冷たい。

 身体もどんどん動かせなくなって行く。

 苦しくて、息が吸い込めない。


 空にかざした、小さな手だけが視える。


 そしてまた黒いものが降ってくると、何も視えなくなった。


 暗い。

 寒い——。




「蒼汰くん!」

「一ノ瀬さん!」


 大きな声に、はっとした。


 ゆっくりと顔を上げると、薄暗い地下室に戻っている。


 赤い靄も、子供たちの姿も、なくなっていて、倒れている蝋燭だけがあった。


 ——今のって……。


「一ノ瀬さん、こちらを向いてください」


 御澄宮司が白いハンカチで、僕の顔を拭う。


 目を瞑ると、温かいものが頬を流れ落ちた。


「急に動かなくなりましたけど、何かを視たんですか?」


「あ……。多分、あの女の子の記憶です」


「やっぱり……。今みたいなことをすると、危険ですよ」


「今みたい、って?」


「一ノ瀬さんは、女の子が死んだ理由と、今どこにいるのかを知りたいと思いながら、あの子に触れたんじゃないですか? 記憶を視せられたのではなく、一ノ瀬さんが自分の力を使って視た。ただ死霊を呼ぶのとは桁違いな、強い力を使ったんですよ。学んでいないのに、無理に力を使うのは、危険なんです!」


 眉間に皺を寄せてそう言った御澄宮司は、ハンカチを僕に見せる。


 白いハンカチは、赤く濡れていた。


「蒼汰くん、目が……!」


 紅凛が怯えたような表情で、僕の顔を覗き込んでいる。


「また、昨夜と同じように、目から血が流れているんです。訓練を積んでいる私でも視ることができないものを、無理やり視たんです。身体に負担がかかって当然なんですよ。体調は?」


「体調……。そういえば、頭が痛いですね……。でもそれよりも、寒くて……」


 両手を顔に近づけると、震えていることに気が付いた。


「とりあえず、上へ行きましょう」


 御澄宮司に支えられて立ち上がったが、足元がふらつく。


 ——あの子は、もっと寒かったんだろうな……。


 土に埋もれていく様子が脳裏によみがえる。


 思わず、ぎゅっと目を瞑ると、また温かいものが頬を伝って行った。




 物置部屋の隅には、座布団が敷き詰められていた。


「蒼汰くん、ここに寝て!」


「紅凛ちゃんが持って来てくれたの? ありがとう」


 身体がつらくて寝転がりたかったので、ありがたい。


 仰向けに寝転がると、鼻の奥から喉へ、何かがドロリと流れた。錆びた鉄のような匂いが鼻に抜ける。


「うぇっ」気持ち悪くて思わず息を吐いた。


 ——血の味がする。大丈夫なのかな、これ……。


 少し不安になったが、近くに病院はない。病院や店があるような街へ行くには、車で二時間ほどかかるだろう。


 ——まぁ、しばらく寝ておけば、治るよな……?


「一ノ瀬さん、目を瞑ってもらえますか?」


 御澄宮司がまたハンカチで僕の顔を拭う。


「もしかして、結構酷い顔になってます?」


「このまま帰ったら、金子さんが腰を抜かすくらいには。服も血で汚れているので、着替えた方がいいでしょうね」


「うわぁ……そうします」


 目をあけると、御澄宮司と紅凛が、顔を引き攣らせて僕の顔を覗き込んでいた。


「もう、大丈夫ですよ。しばらくの間こうしていれば、治ると思いますから」


「……すみません」


 なぜか御澄宮司が、苦しげな表情で言う。


「僕が無理に視ようとしてしまったんですから、自業自得です。どうして御澄宮司が謝るんですか? それよりも、さっきの女の子……あっ」


 ふと、子供に聞かせることではないかも知れないと思い、紅凛に目をやると、彼女は、真っ直ぐに僕の目を見つめている。


 なんとなく、僕が今から言おうとしていることが、分かっているような気がした。


「紅凛ちゃんは、知りたいんだよね。それが、すごく嫌な話だったとしても」


 紅凛は、静かに頷いた。


「境内にある、椿の木……。あの横に、大きな穴が掘ってあって、誰かに押されて落ちたんだ。後ろには大人がたくさんいたけど、誰も助けてくれなくて、それどころか、上から土をかけられて……そのまま、埋められたんだ」


 紅凛の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「あの子……殺されたんだね」


「……うん」


「椿の木の下にいるんだね」


「うん」


「だから、暗くて寒いんだね」


「うん……」


「やっぱり、あの子たちは殺されたんだ……! 酷いよ。嫌い! こんな村、大っ嫌い……!」


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