階段の方へ歩いて行った御澄宮司は、また紫色の着物を頭から羽織る。自分の霊力を隠さないと、子供たちは出てこないと考えたのだろう。
「一ノ瀬さんは目を瞑って、子供たちを呼んでください。口に出すのではなくて、心の中で念じるんです」
「分かりました、やってみます」
僕が目を瞑るのと同時に、僕の腰にしがみついている紅凛の腕にも力が入った。じわり、と温かいものが流れ込んでくる。紅凛は霊力について誰にも習っていないはずなので、無意識に力を使って、僕を守ろうとしているのかも知れない。
——こんなに小さな女子に守られてちゃダメだよな。僕も、頑張らないと。
御澄宮司に言われた通りに目を瞑って、子供たちの姿を思い出す。
赤い靄の中で僕にしがみついていた子供たちは、真っ黒な眼窩で僕を見上げていた。歪んだ口元は動いていたが、何を訴えかけていたのだろうか。
あの時はただ恐怖しか感じず、化け物を見るような目で見てしまったと思うが、あの子たちも生きていた頃は、紅凛と同じように、可愛らしい笑顔で笑っていたはずだ。
坊主頭の男の子。
肩までの長さの髪を、一つにまとめている女の子。
短い髪の女の子が何人かいた。
片腕がない男の子もいた。
他の子よりも頭一つ分、背が高い女の子がいた。
まだ赤ん坊のように小さな子も、たくさんいた。
全員が幼い子供たちで、紅凛よりも大きな子は、ほとんどいなかった。
——あの時は怖がって、ごめんね。僕が話を聞いてあげる。だから、ここへおいで……!
何度も心の中で子供たちを呼ぶ。
しばらくすると、微かな風と共に、冷たく湿った空気が纏わりついて来た。夏場のゴミ捨て場のような強烈な腐敗臭が、どんどん強くなって行く。真っ赤に染まっていた井戸水と同じにおいだ。
ゆっくり目をあけると、赤い靄が漂っていた——。
まだ視えないが、何かが周りにいる気配は感じる。
「……みんな、いるんだよね? 僕と、話をしよう」
両手を少し広げて前に出し、手の平を上へ向ける。これで合っているのかどうかは分からないけれど、なんとなく、周りの気配を感じやすい気がした。
ざわざわと、周りの空気が動いている。
そして、氷のように冷たいものが右手に触れた。
「あ……」
紅凛が小さな声を上げたのと同時に、冷たいものが触れている場所に、小さな手が現れた。
赤い靄が数ヶ所に集まり、子供の姿に変わって行く。
周りを見まわすと、いつの間にか、二十人ほどの子供がいた。やはり目がない。黒い眼窩の子供たちが、こちらを向いている。
思わず、ごくん、と唾を飲み込んだが、前のように身体が震えることはなかった。紅凛の温かい霊力が守ってくれているからだろうか。
「本当に、呼ぶなんて……」
御澄宮司が呟いたのが聞こえた。
「みんな、前にも会ったよね。僕に、聞いて欲しいことがあったんじゃないの? みんなの話を聞きたいんだ。教えて?」
僕の手の平に、小さな手を置いている女の子が、口を動かした。
『……さ……い、の』
囁くような声が頭の中に響く。
「ごめん。もう一度、教えて?」
『さむ……いの』
「寒いのか」
『さむい……』
「うん。手が、すごく冷たいもんね。寒いところにいるのかな」
『こわ……い』
『く、らい』
『おかあ……さ』
『こわい、よぉ』
『さみ、し……』
他の子供たちの声も聞こえる。はっきりとは聞こえないし、響いているが、なんとなくは分かる。
ふと気がつくと、腰にしがみついている紅凛が震えていた。
「聞こえる……。みんなの声、聞こえるよ……!」
紅凛の目から涙が、ぽろりとこぼれ落ちた。
「今までは、聞こうとしても聞こえなかったんだよね?」
「うん。でも今は……聞こえる!」
紅凛はずっと、子供たちの声を聞きたがっていたが、聞こえなかったらしい。それなのに今は聞こえるということは、もしかして、僕に触れているから聞こえるのだろうか。
じゃり、じゃり、じゃり
後ろから、土を踏む音が近づいて来る。
怪訝そうな顔をした御澄宮司が、僕の斜め後ろへやって来て、右肩に手を置いた。
「……本当だ。こんな、今にも消えそうな状態の死霊と……話ができる、のか」
御澄宮司は驚いたような表情で、子供たちを視ながら呟く。
——普通は、話せないってことなんだろうな。
「ねぇ。どうして寒いの?」
紅凛は、僕の手の平に、手を置いている女の子に話しかける。
しかし、女の子は僕の方を向いて『さむい』と呟くだけだ。
「先ほども言いましたが、この子たちは死んでから時間が経ち過ぎているし、土地神の力に捕らわれているので、別の空間にいるような状態なんです。目の前にいても、繋がっているのは一ノ瀬さんだけで、私と紅凛さんの声は、届いていないんだと思います」
「こんなに近くにいても、届かないなんて……。じゃあ、僕が紅凛ちゃんの代わりに訊きます」
僕は女の子に目を向けた。
「キミは、どうして寒いの?」
『つめた、い……くらい……か、ら』
「冷たい、暗い? 冷たくて、暗い場所にいるから?」
僕が言うと、女の子は静かに頷いた。
「でもキミたちは、神様と一緒にいるんじゃないの? あの、真っ白な場所に」
女の子は、今度は頭を横に振る。
「どういうことなんだろう。この赤い靄は神様の力のはずなのに、子供たちは一緒にいない?」
「別の場所にいるのか……?」
御澄宮司もそう呟きながら、首を傾げている。
「ねぇ、蒼汰くん。今度はあの子に聞いて。あの子さっき『こわい』って言ったの。どうして怖いのか、聞いて」
紅凛は、右脚の膝から下が無い男の子を指差した。
「分かった」
僕が手を伸ばすと、男の子は親指にそっと触れてきた。
「どうして、怖いの? 何が怖いのかな?」
『あの、ね……みいんな……こわ、い』
「みんな? じゃあ、僕のことも怖いの?」
『ない……』
男の子は頭を横に振る。
「みんなって、誰のこと?」
訊くと男の子は、また頭を横に振った。
「どういう意味だろう? みんな怖いけど、僕のことは怖くないんだって」
紅凛に目をやると、彼女はまた泣きそうな顔をしている。それがどうしてなのか、僕には分からなかった。
「もう少し、しっかりと話を聞けたらいいのですが……。一ノ瀬さんのおかげで話はできますけど、意味がよく分からないですね」
「う〜ん。まだ幼い子ばかりですからね。ちゃんと会話ができるかどうかは、また別の話ですよね」
カタ、カタカタッ
部屋の仕切りが小刻みに揺れ始めた。
色の濃い、赤い靄が地面から、ふわりと溢れてくる。
「まずいですね、気付かれたようです」
「え、神様に、ですか?」
「そうですね……」
「まずいじゃないですか! まさか、ここに来たりしないですよね⁉︎」
どうしたらいいのかと考えを巡らせていると、紅凛が叫んだ。
「みんなは、どうして死んじゃったの? どこにいるの? 教えて!」