「御澄宮司……」
紫色の着物を頭から羽織った御澄宮司が、こちらをじっと見つめる。
すると突然、紅凛が木箱から飛び降りて、僕の前に立った。
「ねぇ! 蒼汰くんに何をしたの? こんなに急に霊力が強くなるなんて、おかしい! 神様が住んでいるところが視えたのだって、絶対におかしいよ! 普通は、そんな場所は視えないはずなのに。あなたが蒼汰くんに何かをしたんでしょう!」
「……そうだとしても、キミが腹を立てる理由が分からないですね」
「ほら、やっぱり!」
紅凛が勢いよく振り返り、僕を見る。
「蒼汰くん! この人と一緒にいちゃダメだよ! やっぱりこの人は、悪い人なんだよ!」
「あ、紅凛ちゃん、落ち着いて……」
今にも御澄宮司に殴りかかりそうな勢いなので、紅凛の右手首を掴んだ。
「それよりも、やっと会えましたね、紅凛さん。一ノ瀬さんと会っているのは知っていましたが、ずっと避けられていたので。どうして私を避けていたのか、教えていただけませんか?」
「嫌いだからに決まってるでしょ! あなたはみんなの話も聞かずに、消そうとする。平気で酷いことをしようとするから、嫌いなの!」
「みんな、とは死霊のことですか? 私は、この村に災いを起こしているものを祓うために呼ばれたんです。当然でしょう。それに、キミの前ではまだ力を使っていませんが」
「ポケットに、みんなを消すためのお札を持ってるでしょう? 出してなくても、分かるんだから! それに、その手に持ってるものも、すごく嫌な感じがする!」
着物に隠れているので気付かなかったが、御澄宮司は呪具の刀を持っている。
「御澄宮司、どうして刀を……?」
僕が訊くと、御澄宮司は刀を前に出した。
「その子が悪いものに操られていたら、斬ろうと思ったんですよ」
「えっ、紅凛ちゃんは操られてなんかいません。大丈夫です」
「……そのようですね」
御澄宮司が刀をさげたので、ほっと胸を撫で下ろした。
呪具の刀は、現実に存在するものは斬ることができない。刀の呪力を使って、霊体や邪気を切るものだと分かってはいるが——それでも、子供を斬るところは見たくない。
ちらり、と紅凛の横顔を見ると、まだ御澄宮司を睨みつけている。御澄宮司のことが、どうしても気に入らないのだろう。
——これは、手を離さない方がいいんだろうな……。
「そういえば、紅凛ちゃんはいつも、御澄宮司が近付いて来たら気付くのに、今日は気付かなかったね。御澄宮司、その紫色の着物って、もしかして……」
「えぇ。普通は死霊に対して使うものですが、こちらの霊力を勘付かれないようにするためのものです」
御澄宮司は、頭から羽織っていた着物を外して、裏地を見せた。
着物の裏地は、光沢のある白い布が使ってあり、真ん中には魔法陣のようなものが描かれている。僕は、前に御澄宮司が、同じような模様が描いてある布を使っているのを、見たことがあった。
——紅凛ちゃんと会うために、そこまでするなんて。紅凛ちゃんと会っていることを、もっと早くに言った方がよかったのかな。でも紅凛ちゃんは、知られたくないようだったし……。
考えを巡らせていると、御澄宮司が口を開いた。
「では、話の続きです。紅凛さんは、村の人たちを殺しているのが土地神だと、最初から知っていましたね? 先ほど、そういった話をすると怒られる、というようなことを言っていましたが、人が死んでいるんです。せめて、この神社の神主に伝えるべきだったと思いますが、どうして言わなかったんですか?」
「……」
紅凛は何も答えない。
「待ってください、御澄宮司。僕も、そうした方がよかったとは思いますけど、心霊的なことって、やっぱり言いづらいですよ。何も視えない、感じない人たちに何を言っても通じませんし、下手をしたら、頭がおかしいと思われるし。しかも、村の人たちを殺しているのが、この村を守ってくれるはずの神様だなんて。そんなの、言っても誰も信じませんよ」
「普通なら、そうだと思います。でも、力があるものを祀っている神社なら、何を祀っているか、伝えられていたはずなんです。一ノ瀬さんも、御神体になっていた櫛が、割れていたのを見ましたよね?」
「はい」
「あれには、封印の術のようなものが、かけられていました。もちろん霊力が強い人間でないと、そんな術は使えませんから、この神社の先祖は、霊力が強い人間であったと考えられるんです。そして、力は子孫へ受け継がれるものです。もちろん、個人差はあると思いますが……。当代の神主も、多少なりとも霊力があったでしょうから、紅凛さんが言えば、話くらいは聞いてくれたと思います。それに、たとえ神主に霊力がなかったとしても、紅凛さんは話せる立場だったんですよ。紅凛さんは神主の、姪なんですから——」
「え、姪?」
「そうです。紅凛さん、あなたは白榮さんの娘ですよね?」
「……」
紅凛は何も答えずに俯いて、ぎゅっと拳を握りしめる。
「紅凛ちゃん、そうなの? 別に隠すことじゃないんだから、教えてよ」
僕が言うと、紅凛は首を横に振った。
「違う……。私はもう、娘じゃないって言われたんだもん……」
「娘じゃない? どうしてそんなことを……。何でそんなことを言われたのか、紅凛ちゃんは理由を知ってるの?」
「私は神社で、神様のお世話をするんだって……。だから、もうお父さんとお母さんの娘じゃないって、村のおじさんたちが言ったの。私……いやだって言ったんだけど、お父さんとお母さんも、行きなさいって……」
「もしかして、ずっと神社にいたの?」
「うん……。神社の地下室に、閉じ込められてたの」
「そんな……。僕は、紅凛ちゃんが稽古か何かを抜け出して、神社に隠れているんだと思っていたんだ。閉じ込められていたなんて……。でも、どうやって外に出て来ていたの?」
「地下室の壁はボロボロだから、木の板が外れるところがあるの。そこから出て、蒼汰くんに会いに行ってた」
「……何で」
思わず紅凛を、後ろから抱きしめた。胸の奥が締め付けられるように苦しい。
「何で言ってくれなかったの? そんな酷いことをされていたなんて……」
「言っても、行くところなんてないもん。もう、お家には帰れないんだから……」
——どうして気付いてあげられなかったんだろう。こんな小さい子が、地下室に閉じ込められていたっていうのに……。
「紅凛さんは地下室で、何かをするように言われていましたか?」
御澄宮司がそう言いながら、部屋の中へ入って来た。
「……女の人の形をした木の人形があって、それにお祈りをしなさいって言われてた。でも、あの人形にお祈りをしても意味がないから、何もしてない……」
「人形は神とは繋がっていない、ということですか。まぁ、キミなら視たら分かるでしょうね」
「みんな、バカみたい……。そんなことをしたって何の意味もないのに。この村の人たちは、おかしいんだよ」
「そうですね、私もそう思います。でも、仕方がないんですよ。彼らはこの世のものではないものたちが視えないし、声も聞こえないんですから。だからこそ、霊力を持ったものが、伝えなければならかったんです。この神社の神主は、どのくらいの霊力があったんですか?」
「叔父さんは……普通の人より少しだけ強い、くらいだった。多分、叔父さんより、お父さんの方が少しだけ強いと思う。お父さんも視えてないけど、たまに何かがいるのには、気付いてたみたいだったから。叔父さんは、ほとんど分かってなかったような気がする」
「なるほど。それは……後継者選びを間違えましたかね。兄弟の霊力の差がさほどなかったので、安易に長男の方を後継者にしてしまったのでしょう。ですが、紅凛さんが強い霊力を持っていることを考えると、神主は、弟の白榮さんにするべきだったと思います。十二年前に、前の神主が亡くなり、そこから白榮さんも神社から出て行ってしまったことで、段々と封印の力を、抑えることができなくなって行ったのでしょう」
——後継者、か……。
「でも、白榮さんは大した霊力を持っていないと思うんです。近くにいる時も、霊力を感じませんでしたから。そんな白榮さんが神主になっても、封印を抑えることは、できなかったんじゃないですか?」
「白榮さんが無理でも、紅凛さんがいます。霊力が強い紅凛さんが、あの櫛の近くにいれば、早い段階で異変に気付いたでしょうし、紅凛さんの霊力が櫛に溜まっていくので、封印が破られることもなかったでしょう」
「そういうこと、ですか……」
今まで抑えることができていたということは、おそらく昔は『霊力が強いものを神主にしなければならない』ということが、徹底されていたのだろう。
しかし、白榮兄弟は霊力が弱かった。それでは紅凛の霊力が飛び抜けて高くても、そのことに気付けない。ある程度の霊力がある人間でないと、他人の霊力を感じることができないからだ。
強い霊力を持っていた、紅凛の祖父にあたる前の神主が、紅凛が生まれるまで生きていてくれていたら、こんなことにはならなかったのかも知れない。
「それで、紅凛さんは、土地神と話をすることはできないんですか?」