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第22話

 白い布に包まれた赤ん坊が眠っている。

『かわいそうに……』

 女性のか細い声が、頭の中に響いた。

 白い手が横から伸びてきて、赤ん坊の頭を撫でる。

 ——僕の手じゃない……?

 女性の手に見えるが、随分と指が長い。

 それに、少し透けているような気がする。




 急に景色が変わった。

 小屋のように簡単な造りの家の中だ。壁板の隙間から外が見える。

 着物姿の幼い女の子と、両親らしき大人の男女。

「ごめんね……ごめんね」

 母親が畳の上に座り、幼い女の子を抱きしめている。

 その横では、父親が胡座をかいて座り、項垂れている。

『どうして……』

 先ほどと同じか細い声が、頭の中に響く。




 また景色が変わり、草だらけの畑が見えた。

 野菜は枯れているものが多い。

 汚れた着物を着た幼い女の子が、素手で土を掘っている。

 小さな芋が出てくると、それを生のままで齧った。

 ——お腹が空いてるのかな、随分と細い子だ……。

 手も痩せ細っているので、骨の形が分かる。

『あぁ……かわいそう……』

 女性が啜り泣く声が響いた。




 暗い場所に変わった。物がたくさん置いてある部屋だ。

 白っぽい着物を着た男の子が、部屋の隅で膝を抱えて泣いている。

『もういい……』

 頭の中に響く女性の声が震えている。

 幼い男の子を、ゆっくりと抱きしめる手が視界に入った。その手は、やはり白く透けている。

 ——あの手は、誰の手なんだろう?

 何度も見える長い指をした手と、泣いている女性の声。どうして泣いているのだろうか。


 どんな人なのか、気になる。姿を見てみたい——。




 白い世界に変わり、赤い靄が漂っている。下は水面だ。


 長い白髪の女性が水面に座り込んで、両手で顔を覆っている。


『かわいそうな子……』声が響いて聞こえた。


 ——ずっと聞こえていた声は、あの女性の声だったのか。


 ただ、女性の姿に違和感がある。


 銀色に近い白髪だが、老婆ではない。

 もっと若いような気がした。

 それに人間の手にしては、随分と指が長い。首も長い。

 肌も白い陶磁器のように真っ白で、血の気を感じない。


 ふと、御澄宮司が、この村に災いを起こしているのは、人間や動物の死霊ではないかも知れない、と話していたのを思い出した。


 ——御澄宮司が言う通り、あの女性は人間じゃない気がする。人間の形に似た『何か』だ……!


『うっ……うぅっ』嗚咽が聞こえる。


 ——泣いてるのか? なんだか苦しそうな声だ。


 女性はずっと両手で顔を覆っているので、表情が分からない。


 さぁっ、と女性の周りから、赤い靄が濃くなって行った。井戸の中から出ていた靄と同じで、真っ赤だ。


『……誰だ!』


 女性が少しだけ顔をこちらへ向ける——。


 鮮血のように赤い目が視えた。

 頬を流れる涙も赤い。

 漂っている赤い靄が一気に濃くなり、視界が遮られても、赤い目だけは視えている。


 突然、身体中に耐え難い痛みが走った。火で焼かれるように、ジリジリと痛む。思わず叫んだが、声にはならなかった。


 女性の赤い目が、僕を睨みつけている。


『ゆるさない……!』


 ずっとか細かった女性の声が、大きな声で頭の中に響いた。




 ——右手が、痛い。


 はっ、と気がつくと、苦しげな御澄宮司の顔と天井が目に入った。


 しかも、僕が御澄宮司の首を右手で掴んでいる。指の関節が痛いほど、力が入っているのが分かった。


「え……?」


 御澄宮司が僕の手を振り払う。


「うっ、ゲホッ! ゲホッ!」


 苦しそうに咳き込む御澄宮司を見ていると、僕まで呼吸をするのが苦しくなってきた。


「僕、が……? なんで」


 身体が震えた。


 僕は何をしていたのだろうか。首に食い込むほど、強い力を入れていたが全く記憶がない。


「だい、じょ、ぶ……ゲホッ! はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 すごく苦しそうだ。そうさせているのが自分だと思うと、恐ろしくて身体が冷たくなってくる。


「ちがっ……。一ノ瀬さん、は、悪く……ゲホッ! ない、ですか、ら」


 御澄宮司が僕の腕を掴んで言う。


「でも、僕が……」


「違、うんです。一ノ瀬さんの、せいじゃ……はぁっ、はぁっ、ないんです」


 何度も深呼吸をしてから、御澄宮司は、携帯電話のライトをつけた。


「いきなり部屋の電気をつけると、目に良くないような気がするので……」


 バッグの横に置いてあったティッシュを数枚引き抜くと、御澄宮司は僕の両目の横を、何度も交互に拭う。ティッシュが、どんどん濡れて行くのが分かった。


「目、痛くないですか?」


 そう言われて初めて、目の奥が脈打つように痛いことに気が付いた。


「目の……奥が痛い、です……」


 普通に喋ろうとしても、声が震える。


 御澄宮司は僕の顔の前に、ティッシュを持ってきて見せた。


「えっ、何で」


 ティッシュは薄暗くても分かるほどに、全体が赤く濡れている。


「一ノ瀬さんは『ゆるさない』と言っていたのを覚えていますか?」


「僕がです、か?」


「そうです」


「いえ、全然……。ゆるさないと言ったのは、あの、女の人です」


「女の人?」


「でも、人間じゃないかも知れなくて。な、なんか……おかし、くて」


 赤い靄の中からこちらを睨む、真っ赤な目。思い出すとまた激しく身体が震えた。


「大丈夫ですから、落ち着いて。何を視たのか、教えてもらえますか? ゆっくりでいいので」


 布団から起き上がって座り、御澄宮司に渡されたペットボトルの水を飲むと、少しだけ呼吸をするのが楽になった。


「最初は、子供が出てきたんですけど……。何だろう、あの女の人の視界、なのかな……。いろんな子供が出てくる記憶のようなものを視て、あの女性の声も聞こえたんです。かわいそうとか、もういい、とか言っていました。何度か白く透き通った手が視えて、あの視え方からすると、声の主の手だと思います。ただ……」


「ただ、何ですか?」


「指が、すごく長いなって……。指が長い人もたまにいますけど、そんなレベルじゃなくて、関節一つ分、長いというか。とにかく、変だったんです」


「だから、人間の霊体ではないと感じたんですね?」


「はい……」


「その後は?」


「その後は——あっ! 僕……あの手が誰の手なのか、気になって……」


「視ようとしてしまったんですね。だから、向こうの領域に意識が入り込んでしまった」


「そう……かも、知れないです」


「姿も視たってことですよね? 何がいましたか、そこに」


 思い出したくない。見た目だけなら、ホラー映画に出てくる化け物の方が恐ろしいと思う。それでも、あの赤い目を思い出すと、身体の震えが止まらなくなる。


「銀色に近い白髪の、長い髪で……。肌が、異常に白くて。指や……首も、普通の人間の、倍くらいの長さでした。あと……目が。目が、血の色みたいに真っ赤で」


 ふうっ、と御澄宮司がため息をついた。


「話を聞く限り、やはり人間の霊体とは思えませんね。その赤い目の女性がどこにいたか、分かりますか?」


「場所は……。周りは真っ白だったので、どこにいるかは分かりません。白い世界に、井戸と同じ赤い靄が漂っていて、その女性は水面に座っていました」


「水面? それは——はぁ。厄介だな……」


 御澄宮司は、眉間を押さえて俯いた。

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