赤いフィルターがかかっているような世界。
微かに、モスキート音のような高い音が聞こえる。すごく耳障りな音だ。
古い神社の境内で、巫女姿の幼い女の子が、赤い匣を持って立っている。匣に描かれているのは、鮮血のように真っ赤な椿の花だ。重なるようにたくさん描かれている。
風が吹いたのか、女の子の髪が右へふわりと揺れた。映像をスローモーションにして見ているかのように、ゆっくりとした動きだ。
子供たちが、巫女姿の女の子の前に駆け寄り、一列に並んだ。
何かを口ずさみながら、子供たちは、小さな巫女が持っている匣に、赤い椿の花を入れて行く。
——何を言っているんだろう。歌のような気もするな……。
椿を匣の中に入れて行く子供たちは、楽しそうに笑っている。
しかし、匣を持った巫女姿の女の子は、何の表情もない。
——なんで女の子は、あんな表情をしているんだろう……。音が聞こえたら、分かるのかな。声が聞こえたらいいのに。
子供たちの声が遠くで聞こえ、段々と近付いて来る。
かん かん かんなのカミさんは
赤い花ほしいともうします
かん かん かんなのカミさんは
白い花いらぬともうします
赤いはこには 赤いれて
白はちぎって すてましょう
雨がなくとも おどりはならぬ
花がなくとも おうたはならぬ
かん かん かんなのカミさんにゃ
赤いお花をあげましょう
——この、わらべうたのような歌……どこかで聞いたような気がする。そうだ、神社で倒れた時に聞いた歌だ。
子供たちの笑い声がした後、また声が聞こえなくなった。モスキート音のような高い音だけが聞こえる。
巫女姿の女の子が、小さく口を動かした。
——聞こえない……。何を言っているんだろう。
そして、表情のない女の子の目から、一粒の涙がこぼれ落ちた——。
「何で」
自分の声が聞こえて瞼を開くと、暗い天井が見えた。夢を見ていたようだ。
「うぅ……」重い身体をなんとか起こす。
——神社で倒れた時に聞いたのは、やっぱり歌だったんだ。椿の歌だよな? なんで金子と白榮は、あんな反応をしたんだろう……。
二人とも、僕が歌の一部を呟いたことで、かなり驚いた様子だった。
金子は知られたことを焦っているような。
白榮は歌詞をどうやって僕が知ったのかに興味があるような。
改めて歌詞を全部聞いても『この村独自のわらべうた』というような印象を受けただけで、特に何も感じない。
—— 一応、書いておこうか。
バッグの中をゴソゴソと漁り、仕事で使っている手帳とボールペンを取り出す。電気をつけようかどうしようかと迷ったが、豆電球の明かりで何とか書けそうだ。
「かんなのかみさん……この村が『神無村』だから、村の神様って意味かな……? あと——」
小さな声で呟きながら、続きを書こうとした時。スゥッと襖が開いた。御澄宮司だ。
「あ、うるさかったですか? すみません」
「いいえ、まだ起きていましたから。声が聞こえたので、何かあったのかと思いまして」
——心配してくれたのか。
「夢で記憶のようなものを視たんです。神社の……祭り? みたいな光景で、巫女さんの格好をした女の子がいました」
「それは、神社で倒れた時に視た、と言っていた子ですか?」
「そうですね、あの子だと思います。前は一人でしたけど、今回は他にも子供がたくさんいて、赤い匣を持った女の子の前に並んでいたんです。そして、わらべうたみたいなのを歌っていて……」
「どんな歌だったか、覚えていますか?」
「あ、はい。それを今、書こうとしていたんです。一字一句そのままというわけではないんですけど、大体の内容は、こんな感じでした。『かんなのカミさんは、赤い花がほしいともうします。白い花は、いらない。赤い匣には赤を入れて、白はちぎって捨てる。雨がなくとも、おどりはならぬ。花がなくとも、うたはならぬ……』みたいな感じでしたね」
「なるほど……」
御澄宮司は腕組みをして、視線を落とす。
「この村の神にまつわる歌、のようですけど、赤い花と白い花は何でしょうね?」
「多分、椿の花のことです。神社にある椿は一本の木に、赤い花と白い花がついていますから。夢の中でも、匣の中に赤い椿の花を入れているようでした」
「神社にある椿の花を、神様に捧げる……。雨がなくとも踊りはならぬ、ということは、雨乞いの歌みたいなものでしょうかね? 大昔は水道なんてなかったので、雨が降らない時は、遠くの川まで水を汲みにいかなければならなかった。でも雨が降らなければ当然、川の水位も下がるし、畑全てに水を撒くのは不可能。だから神に祈りを捧げ、雨を降らせてもらう、という考えだったようです。でも、雨乞いの儀式はよく耳にしますけど、子供たちが歌をうたって花を集めるだけなんて、随分とお粗末な祈りですね……」
「たしかに……。まぁ、この村には川がたくさんありますし、山が崩れた場所には大きな川があったので、困ることはなかった、とか……」
「そうかも知れませんが、ではなぜ、わざわざ雨乞いの歌を作ったのか。という疑問が湧いてきますし、歌があるのに『花がなくとも、うたはならぬ』って、何なんでしょうね」
「うーん……意味が分からないですね。金子さんたちが作られた時のことを知らないってことは、ずっと昔から伝えられてきた歌ってことですよね? それなら、絶対に何かの意味があると思うんですけど」
「その通りです。それに、一ノ瀬さんが歌の歌詞を言った時に、金子さんと白榮さんが随分と動揺していたでしょう? あのことが、どうしても引っかかるんですよね」
「僕も、それは気になっているんです。知らないって言っていましたけど、本当は何かを知っているんでしょうね。まぁあの様子だと、訊いても教えてくれないでしょうけど」
「そうなんですよね。仕事を依頼してきたくせに、重要なことを言わないって、何なんでしょうね……」
御澄宮司は頭を左右に振りながら、大きなため息をついた。
——そりゃあ、ため息をつきたくもなるよな。僕も、早く帰りたいよ……。
解決しないと帰してもらえないのは分かっているので、協力するしかないのだけれど。
ふと、神社の境内で倒れた時に視た光景が、脳裏によみがえった。
「でもよく考えると、なんだか変なんですよね……」
「何がです?」
「前に神社であの女の子を視た時にも、あの場所に霊がいたわけではないって、御澄宮司は言っていましたよね? そうかも知れないんですけど……。あの子は、僕の方を向いて、歌を口ずさんでいたんです。それは何となく、僕に伝えたいことがあったように感じるんですけど、今回の夢は、客観的に視ているような感じだったんですよね。昔、神社であったことを、ただ視ているような……」
「録画された映像を視ているようだった、ということですか?」
「そうですね……あっ。それか、その現場を見ていた人の視点、だったかも知れません」
僕が言うと、御澄宮司は目を大きくした。
「どうして……そう思うんですか?」
「何となく、気分が重くなるような感じがしたんですよね。僕の感情じゃなくて。本当に、何となくそんな感じがした、っていうだけなんですけど」
「誰かの記憶を視せられた……?」
そう呟くと、御澄宮司は畳へ視線を落とした。眉間に皺を寄せて、何かを考え込んでいるようだ。
——どうしたんだろう?
歌のことよりも、僕が言ったことの方が気になっているようだ。確かに、同じ子を視ているのに、視え方が少し違うのはおかしいような気がするけれど、僕は歌の方が気になっている。
普段の生活の中でも、この世のものではないものや、物に残っている記憶を視ることが多々あるので、慣れてしまっているのだろうか。
「ふぅ……」たくさん喋ったせいか息苦しくなり、小さく息を吐いた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、夜中なのに喋りすぎたんだと思います。ちょっと息苦しくなってしまいまして」
「……それだけですか?」
「そういえば、身体がだるいし、なんとなく頭が痛いんですけど、これは寝起きだからだと思うんですよね。それに、まだ眠いし……」
時計に目をやると『01:03』と表示されている。
「まだ一時ですね。二時間くらいしか寝てないのか。もう一回寝たいけど、眠れるかなぁ?」
「考え事をしていると、眠れなくなりますよね。でも眠気があるのなら、目を瞑っていれば、いつの間にか眠っているかも知れませんよ」
「そうですよね。夢のことは考えないようにして、目を瞑っておきます」
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
襖が閉められた後に、布団に寝転がった。やはり身体がだるい。
——寝て起きたら治るかな……? 風邪を引いたわけではなさそうだけど、なんでこんなにだるいんだろう。
目を瞑ると、部屋の中が、しん、としていることに意識が向いた。襖が閉まっただけなのに、急に誰もいなくなってしまったような寂しさを感じる。隣の部屋も静かだ。御澄宮司も、もう寝ることにしたのかも知れない。
リィリィリィ……
チリリリ、チリリリリリ
微かに虫の鳴き声が聞こえる。都会では聞かない音だ。
——何の虫だろう。
虫の鳴き声に耳を澄ませていたが、すぐに意識を手放した——。