御澄宮司は顔色を変えずに言う。箸を止めずに野菜炒めを口へ運んでいるが——。
——こういう時って、なんて言えばいいんだろう……。
戸惑っていると、御澄宮司が僕を見た。
「もう随分と前のことですから、気にしないでくださいね」
「あ……。はい」
「そう言っても、一ノ瀬さんは気にしますよね。言うべきではありませんでした」
「すいません。なんて言ったらいいか、分からなくて……。あの、聞いてもいいんでしょうか……。死霊に殺されたって、どういうことですか?」
味噌汁を一口飲んでから、御澄宮司は口を開いた。
「……中学校の卒業式を前にした頃に、差出人不明の、抱き人形が送られてきたことが始まりでした」
「抱き人形?」
「赤ん坊の姿をしていて、幼い子供たちが抱いて遊ぶために作られた人形があるんです。送り主の情報は何もなくて、中に『供養してほしい』と殴り書きがしてあるメモがあって。父がダンボールの蓋を開けると、包みもなく無造作に入れられた抱き人形があったんですけど、見た瞬間に、とても嫌な気配を感じました」
箸を皿の上に置いて、御澄宮司はお茶を口に含んだ。
「前に、私は悪意があるものに対しては敏感だ、と言ったのを覚えていますか?」
「はい、覚えています」
「あの頃の私は、他の人たちも同じように、この世のものではないものの気配が分かるものだと思い込んでいたんですよ。だから、抱き人形から嫌な気配を感じていたことを、父には言わなかったんです。当然、父も分かっているのだろうと思っていましたから……」
「お父さんは、お祓いはしなかったんですか? メモが入っていたんですよね? 供養してほしい、って」
「抱き人形が届いた日の夜には、祓いの儀式をしたんですよ。でも、嫌な気配は消えていませんでした。そういう、念が強い場合は、何度か儀式をやるはずなのですが……。気配に気付いていなかった父は、お焚き上げの日が来るまで、何もせずに放置してしまったんです。たしか、人形が届いてから、一週間くらい経った頃だったと思いますけど……。その日、私は街に出掛けていたんです。夕方になって神社へ戻ると、上から押し潰してくるような、重く冷たい霊気を感じて。すぐに、あの抱き人形だと思い、父のところへ向かうと——父は正気を失って暴れていました。床には母と、巫女が二人、倒れていて……」
「えっ、それって……」
「そうです。母を殺したのは、死霊に取り憑かれた、父なんですよ」
両手で包み込んでいる湯呑みを、見つめながら言う御澄宮司を見ていると、胸が締め付けられるように苦しくなった。穏やかな表情をしているが、思い出したくないに決まっている。
「私はなんとか父を止めようとしましたが、その頃はまだ未熟で、効果が弱い札が幾つか使える程度だったので、父に取り憑いている死霊を祓うことはできませんでした。結局、分家の者たちが来て対処してくれたのですが——その頃には、母と二人の巫女は、すでに亡くなっていました。父も、正気が戻って事態を理解した後に、首を吊って……。私が、抱き人形から感じる嫌な気配のことを、早く父に伝えていれば、あんなことにはならなかったはずです。……死霊だけではなく、私のせいでもありますね」
「そんな……。別に御澄宮司は悪くないでしょう。まだ中学生だったんです。自分は気付いているけど、大人は分かっていないかも知れない、なんて、考えるはずがありません。しかも、お父さんも宮司で、霊媒師もしていたんでしょう? 気付いていると思うのが普通です!」
僕が言うと、御澄宮司は驚いたような表情をして顔を上げた。
「ありがとう、ございます……。あの頃に一ノ瀬さんと出会っていたら、何かが違っていたのかも知れませんね……」
御澄宮司はまた視線を落としてしまった。
——だから御澄宮司は、死霊は消すものだっていう意識が強いのかな。そんなことがあったのなら、当然か……。
「でも、効果が弱い札が幾つか使えるだけの状態で神社を継ぐのは、大変だったんじゃないですか?」
「そうですね……。覚えることが山ほどあって大変でしたけど、成人するまでは分家の者が来て、色々なことを教えてくれましたから。そのおかげで、神社を潰さずに済みました。やればできるものですね」
それでも、中学を卒業したばかりの子が背負うには、重過ぎる問題だ。つらかったに違いない。
「すごく……頑張ったんですね」
何も知らないくせに、と思われるだろうか。そんなことを考えながら言うと、御澄宮司はなにも返さずに、静かに首を横に振った。
「すみません、せっかくの食事が冷めてしまいましたね」
「いいえ、聞けてよかったです。……実は僕、御澄宮司はすごく恵まれている人だと思っていたんです。良い家に生まれて、霊力も強くて、何不自由なく過ごしているんだろう、なんて思っていましたから。でも、そんなに大変な思いをしていたなんて……。短絡的な考え方しかできない自分が、恥ずかしいです」
「私の場合は、少し特殊な事情があっただけですから。それに、あの出来事があったからこそ、しっかりと力を身につけることができたんだと思います。何もなかったら多分、修練を積まずに遊んでいましたよ」
「まぁたしかに僕は、友達と遊んで、家ではゲームばかりしていましたね……」
「そうでしょう? それが普通なんだと思います。だから悪い方にばかり考えないで、父が身をもって修練を積むことの大切さと、この仕事の厳しさを教えてくれたのだと思っていますよ」
——強いなぁ、御澄宮司は……。
僕なら逃げ出したくなるに違いない。物語に出てくる悲劇のヒロインのように、自分は可哀想な人間だとアピールして、殻に閉じこもってしまうだろう。
「一ノ瀬さんも、幼い頃から死霊などが視えていたんですよね? それを活かした仕事をしようと思ったことは、なかったんですか?」
「ないですよ! 僕は、心霊的なことにはかかわりたくないんですから。子供の頃は、黒い影が視えただけで怖くて泣いていたし、もちろん今だって、人間や動物だと分かる姿を視ると怖いんです」
「まぁ、そのうち慣れますよ」
「もう立派な大人なんですから、これ以上は慣れません!」
「そうですか? でも慣れておかないと、困ると思うんですよ」
「え? どうしてですか? そりゃあ怖くない方がいいですけど、集中して視なければ、そんなにハッキリとは視えないし……」
「霊力が高い人間がそばにいると、元々は霊力が乏しかった人間でも、霊力が上がる可能性がありますからね。一ノ瀬さんのように生まれた時から素質のある人は、当然、霊力が上がると思うんですよ」
「……へっ?」
「もう何度もご一緒していますし、今回はずっと一緒にいますから、前よりも『目が良くなった』んじゃないですか?」
「いや別に、そんなことは……」
思わず居間の中を見まわした。
「あっ」
テレビの前で、白く透き通った塊が、横に伸びたり縮んだりしている。はっきりとその姿が視えるわけではないが、気配が弱い動物の霊体だろう。
——猫……かな。
御澄宮司の後ろには、黒っぽい靄が視える。霊体ではなく、嫌なものが溜まっているような感じだ。
——外で何かをくっつけてきたのかな。
「何か、視えましたか?」
御澄宮司の、唇の両端が上がっている。
「……あれくらいは、どこにでもいますし。それに、意識して視てしまったから視えただけで……」
「そうですね。死霊ではなくても、霊気や記憶の欠片のようなものが視えたりすることもありますよね。でも、前よりも『それが何なのか』ということが、しっかりと分かるようになっているんじゃないですか?」
「そ、れは……」
——たしかに、なんでさっき『猫だ』と思ったんだろう。前は、はっきりと視えないものに対して、そんなことを考えもしなかったような……。
「ぼんやりとしか視えていないものでも、それが何なのか。ということまで分かるようになった。見抜けるようになった。それが、霊視能力で言う『目が良くなった』ということです」
「……」
そんな能力はいらない。常に、この世のものではないものが視えるようになってしまったら。そう考えると、ゾッとする。
「ちなみに、今一ノ瀬さんが視えているものは、私には視えていないですからね?」
「えぇっ⁉︎」
「どこにいます?」
「ええと、テレビの前にいるのは、視えやすいと思いますけど……。気配の弱い動物の霊です。白っぽく透き通った感じのが視えます」
「うーん……」
テレビがある方に顔を向け、御澄宮司は眉間に力を入れて、目を細くする。
「やっぱり、私には視えませんね」
「そうなんですか⁉︎」
「一ノ瀬さんが視て、気配が弱いのなら、もう消えかかっているような存在でしょう。私はそういった害のない類は視えませんから。不思議ですよね、力を持った悪いものなら、一ノ瀬さんよりも先に気付く自信があるのですが」
「たしかに害はないと思いますけど……。じゃあ、御澄宮司の後ろにある黒っぽい靄も、視えていないんですか?」
僕が言うと、御澄宮司は自分の後方へ目をやった。
「……そうですね。視えませんね」
「そんなに、視え方に差があるんですね。じゃあ、自然が豊かな場所で、発光した小さな玉のようなものを視ることはないですか? 虹色や金色をしていて、僕は勝手に精霊だと思っているんですけど」
「あぁ。子供の頃は、神社の周りで視たりしていましたけど、大人になったら視えなくなりましたね」
「大人になったら、視えなくなった……? 僕は今も視えるんですけど……?」
「良いことじゃないですか」
ふっ、と笑われて、ほんの少しだけ悲しくなった。漫画やテレビで見かける霊能力者は格好良いイメージがあるけれど、僕は霊力があっても、そういった人たちとはかけ離れているような気がする。
僕と御澄宮司が食事を終えた頃。金子と、仕事に行っていた息子の慶次が帰ってきた。金子は土砂崩れの対応で疲れているようで、ぐったりとしている。
二人にも、卵焼きと炒め物を出すと、美味しいと言って食べてくれた。お世辞かも知れないが、褒められるとやはり嬉しい。
——自分の家に帰ったら、料理の勉強でもしてみようかな。
この村にいる理由を忘れて、呑気にそんなことを考えながら、眠りについた——。