昼過ぎに一度家へ帰って来た金子は「好きなものを食べてください」と言って、また出掛けて行った。
避難している人たちの世話や、今後のことを決めたりで、忙しいようだ。
昼食は残りものを食べたが、夕食は自分たちで作らなければならない。
「どうしますか? 僕も、簡単なものなら作れますけど……」
そう言いながら冷蔵庫の扉を開けると、奥が見えないほど食材がたくさん詰め込まれている。村の中には店がないので、まとめて購入しているのだろう。
「私は何でもいいですよ」
居間にいる御澄宮司が答える。
「何でも、が一番困るなぁ……。この材料で僕が作れそうなものと言ったら、卵焼きと炒め物くらいですけど」
「作れるものがあるだけ、すごいですよ。私は作ったことがありませんから」
「えっ、一度も⁉︎」
「食事はいつも、用意されているものを食べますからねぇ。部屋に運んでもらうので、台所に入ることもありませんし……」
——住む世界が違った……!
そういえば御澄宮司の家は大きな神社だ。きっと代々儲けていて、御澄宮司も生まれた時から、裕福な暮らしをしているに違いない。
「分かりました……。僕が作りますけど、文句は言わないでくださいね」
「もちろんです」
にっこりと微笑んだ御澄宮司は、なぜか台所へ入ってきた。手伝う気がないのであれば、テレビでも見ていてほしい。
ステンレス製のボウルに卵を割り入れて、砂糖と醤油、塩を加えて、卵白を切るように混ぜる。その様子を、御澄宮司は僕の横に立って、覗き込むようにして見ていた。
——やりづらいなぁ……。
僕が見慣れないことをしているから、気になるのだろうか。
卵焼き用の、長方形のフライパンに卵液を流し入れる。フライ返しを見つけることができなかったので、卵が少し固まったタイミングで、箸を使って卵を巻いた。
「そうやって巻くんですね。私がやると、ぐちゃぐちゃにしてしまいそうです」
「フライ返しっていう、ヘラみたいな道具を見つけられなかったので、箸でやっていますけど、フライ返しがあれば、もっと簡単に巻けますよ」
「へぇ」
気の抜けた返事だ。別にやってみる気はないのだろう。
巻き終わったら卵をフライパンの奥へやって、手前にまた卵液を流し込む。
「何度か繰り返して、分厚くしていくんですね?」
「そうですね……」
——もう、向こうへ行ってほしいんだけど……。
そう言いたいが、我慢した。御澄宮司は、楽しそうに目を輝かせて僕が卵を巻いていくのを見ている。なんだか子供みたいだ。
——こうしていると、悪い人には見えないんだけどな……。
出来上がった卵焼きを平たい皿に乗せ、炒め物に取り掛かる。
フライパンに胡麻油を引いて、ニンニクのみじん切りと豚肉、人参を炒め、火が通ってきたら、玉ねぎとキャベツを加えて炒める。
「御澄宮司は濃い味と薄い味、どっちがいいですか?」
「私は薄い味の方が好きですね」
「分かりました」
薄い味の方が好きなら、塩と胡椒でいいだろう。調味料入れの中にあった、粗挽きの塩胡椒で味付けをした。
先に炊いてあった米飯と卵焼き、肉と野菜の炒め物と、インスタントの味噌汁をテーブルに並べる。
——僕にしては頑張った方だと思うけど、神社の、おそらくだけど高級な感じの食事と比べられるのは嫌だな……。
いつもは米を炊いて、おかずはスーパーの惣菜やレトルト食品を買っている。僕だけではなく、一人暮らしの男は皆、同じような食生活だろう。
「いただきます」
目を瞑って、丁寧に手を合わせてから、御澄宮司は食べ始めた。食事をする時も背筋は伸びたままで、箸の持ち方も綺麗だ。
——上流階級って感じがするな。僕と違って……。
見ていると、御澄宮司と視線がぶつかった。
「どうしました?」
「あ、いえ。味は大丈夫だったかな、と思って……」
「美味しいですよ。そんなに時間はかかっていないのに美味しいので、びっくりしました」
「それなら……良かったです」
手を止めることなく食べてくれているので、ほっと胸を撫で下ろした。自分の作った料理を他人に食べてもらうのは、けっこう緊張するものだ。相手が仲の良い友達なら、別に緊張はしないのだけれど。
僕も卵焼きを頬張った。
「うん、ちょうど良い甘さだ」
「私もこれくらいの甘さの卵焼きが好きですよ」
「神社の食事って、やっぱり和食なんですか?」
「そうですね。たまに洋食が出てくることもありますけど、ほとんどが和食です」
「なんだかイメージ的に、高級な旅館で出てくる料理が思い浮かんでくるんですけど」
「あぁ、合っているかも知れません。旅館に行った時の料理と似ていますね。品数が多くて、綺麗に盛り付けられていて」
「毎日良いものが食べられるなんて、羨ましいな……」
「なにが『良いもの』かは、人それぞれですよ。私も今は和食がちょうど良いですけど、学生の頃は、カレーやラーメンが食べたいと思っていましたから。今も、品数はもっと少なくて良いのに、と思っているんですけど、言えていないんですよ」
「そんなものなんですかね、いつもそうだと飽きるというか。でもやっぱり僕は、羨ましいですけど」
「ははは。隣の芝生は青く見えると言いますからね。私もたまには、うどんだけの日とか、丼ものだけの日が欲しいですよ。それに食事だけではなく、産まれた時から将来の仕事が決まっていたので、別の仕事をしてみたかったですね。贅沢なのは分かっているんですけど」
「御澄宮司でも、そんなことを考えるんですね。もし神社を継いでいなかったら、何の仕事をしたかったんですか?」
「そうですね……海外に行ける仕事がしたいと思っていた時期はありましたよ。私の仕事は、まとまった休みを取るのが難しいので、海外へ行ったことがないんです」
「えっ、そうなんですか?」
裕福な人はいつでも海外に行ける、という妙な先入観があったので驚いた。
「私は高校に入ったばかりの頃に、この仕事を始めたので、修学旅行にも行けませんでしたからね」
「高校に通いながら、霊媒師の仕事もしていたんですか?」
「そうです。まだ未熟でしたけど、両親が……亡くなってしまったので、やるしかなかったんです」
「え……」
驚いて、箸が止まった。
「……なんで」
「殺されたんですよ、死霊に」