目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
第18話

 たしかに紅凛は声しか聞こえなかった女性のことも、僕にしがみついてきたあの子供たちのことも知っている。ただそれは、紅凛に霊力があって、彼らの存在を知ることができているだけで、僕や御澄宮司にもできることだ。紅凛を追いかける必要はないような気がする。


「紅凛ちゃんは、御澄宮司に会いたくないんだよね?」


「絶対に、いや! いきなり知らないおじさんに追いかけられたら、蒼汰くんだって、嫌でしょう?」


「おじさん……」


「それに、あの人は絶対に悪い人だもん。騙されちゃダメだよ、蒼汰くん!」


「騙すなんて、そんなこ、と……」


 それ以上、言葉が出てこない。今は『ない』と言い切れない自分がいる。御澄宮司に対して、不信感を抱いているのは確かだ。


「あっ」


 紅凛が小さな声をあげた。


「ほら、来た。もう行くね。またね、蒼汰くん」


 小声で言いながら紅凛は、いそいそと神社の床下へ入って行った。


 ——前に御澄宮司が来た時も、床下を逃げ回っていたのかな……。


 ざっ、ざっ、ざっ、と砂の上を歩く音がする。恐る恐る顔を上げると、御澄宮司が境内に入って来るのが見えた。


 ——やっぱり、紅凛ちゃんが言っていることが合っているのかも知れない。なんで御澄宮司は、紅凛ちゃんに会おうとするんだろう……?


 近付いてくる御澄宮司は何の表情もなく、まっすぐに僕を見ている。何を考えているのか、全く分からない。


「こんなところにいたんですね、一ノ瀬さん」


 思わず唾を、ごくりと飲み込んだ。


「あ、はい……。神社には異常はないようです……」


「それは良かったです。もう全体を見てまわったんですか?」


「そうですね」


「中も見ましたか?」


「えっ? 中は見てないですよ、勝手に入るわけにはいかないですし……」


 僕が言うと、御澄宮司は靴を脱いで階段を上がり、古びた格子戸を開けた。


「入っていいんですか?」


 焦る僕を尻目に、御澄宮司は拝殿の中へ入って行く。


「えっ、ちょっと、御澄宮司?」


「大丈夫ですよ。神主をしていたという、白榮さんの兄とその家族は亡くなっていますし、神と呼ばれるような存在の気配は感じませんから」


「神様がいない神社ってことですか?」


「前がどうだったかは分かりませんけどね。とりあえず、今はいません」


 そう言われて拝殿の中を見まわした。


「たしかに、神聖な空気とか、強い気配みたいなものは感じませんね……」


 拝殿の奥には、さらに木の扉がある。御澄宮司はなんの迷いもない様子で、扉を開けた。


「これは……」


 拝殿よりも狭くて暗い部屋の中を見ながら、腕組みをした御澄宮司は、ため息をつく。


 ——何があるんだろう。


 不思議に思いながら覗き込むと、真っ二つになった平べったい櫛が落ちていた。赤い櫛に黒と金色で模様が描かれているようだ。着物姿の女性が、似たような櫛を髪飾りにしているのを見たことがある。


「落ちて壊れたというよりは、誰かが壊したように見えますね……。一ノ瀬さんはどう思いますか?」


「たしかに真ん中から真っ二つって、少し不自然な感じがしますね。落ちたのなら、もっと割れる場所が偏ったり、櫛がバラバラになったりするような……」


 片膝を床についた御澄宮司は、半分になった櫛を持ち上げた。


「……微かに、井戸の水と同じような気配を感じます。もしかすると、ここには土地神が祀られていたのかも知れませんね」


「御神体になっていた櫛が割れたから、神様が荒れたってことですか?」


「いいえ、櫛に邪気が残っているということは、元々よくない状態だったはずです。それが櫛が割れたことで、力を抑えることができなくなったのでしょう。はぁ……。誰が櫛を割ったんでしょうね、面倒なことを……」


 一瞬、紅凛が脳裏に浮かんだ。いつも神社で遊んでいる紅凛が誤って割ってしまった、ということはないだろうか。


 ——いや、こんな所までは入らないか。それに、本当に神様がいたのなら、紅凛ちゃんはその気配に気付いたはずだ。悪戯で櫛を触ったりはしないような気がする。


「どうかしましたか?」


 声がして、はっとすると、御澄宮司と視線がぶつかった。


「いえ、何でもないです……」


 すると、じとっとした目で、御澄宮司は僕を見上げた。


「まさか……一ノ瀬さんが割ったんじゃないですよね?」


「はいっ⁉︎ そんなことをするわけがないでしょう! それに、この村に異変が起き始めたのって、僕がここへ来る前からじゃないですか!」


「ははは、冗談ですよ。びっくりしました?」


「へっ……? やめてくださいよ、もう!」


 完全に揶揄われている。思い切り反応してしまったことが恥ずかしくなった僕は、御澄宮司を置いて、一人で外へ出た。


「まったく……。大変なことが起こっているのに、僕を揶揄っている場合じゃないだろ」


 ぶつくさ言いながら、また階段に座る。


 相変わらず空は曇っていて、肌寒い。冷たい湿気が身体にまとわりつくのが不快だ。


 雨上がりで地面が濡れているせいか、泥臭い。何となく生臭いようにも感じて、呼吸をする度に気分が滅入ってくる。


「はぁ……。早く帰りたいなぁ。美味しいものを食べて、自分のベッドに寝転がりたい……」


 両手を後ろについて空を見上げていると、後ろから足音が近付いて来た。


「まだ自宅に帰るわけにはいきませんが、金子さんの家に戻りましょうか」


 上から僕の顔を覗き込んだ御澄宮司が、にっこりと微笑む。


「もう、家に帰りたいんですけど……」


「えぇ、帰りましょう。金子さんの家へ」


 ——話が通じないな……。


 これ以上言ってもムダだと思った僕は大人しく、御澄宮司と一緒に金子の家へ戻った——。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?