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第15話

 廊下を誰かが歩く音が聞こえて、目が覚めた。明るいので、もう朝になったのだろう。


 ——結局、しっかりと眠れたな。


 頭から布団を被った後の記憶はないので、すぐに寝たようだ。


 のそのそと這って障子を開けると、金子が雨戸を動かしている。目が合うと、金子は軽く会釈をした。


「おはようございます。すごい雨でしたけど、一ノ瀬さんは眠れましたか? 私は雨の音で何度も目が覚めたので、寝た気がしませんよ」


「すいません、僕は朝までぐっすりと寝てしまいました……」


「ははは。そりゃあよかった! やっぱり若い人は眠りが深いんですねぇ。人間は歳をとると、眠りが浅くなって目が覚めてしまうんですよ」


 金子と話をしていると、隣の部屋の障子が開いて、御澄宮司が顔を出した。


「おはようございます。雨、上がったみたいですね」


 御澄宮司が言うと金子が外へ顔を向けた。


「えぇ。今日も降るかと思っていましたけど、上がりましたねぇ。私はうるさくて何度も目が覚めたんですけど、一ノ瀬さんはよく眠れたそうですよ」


「たしかに、よく眠っていましたね」


 ふっ、と笑みを浮かべながら廊下へ出た御澄宮司は、寝る前に着ていた楽な服ではなく、グレーのセットアップに着替えて、髪の毛も整えられている。早くから起きていたのだろうか。それにしても——。


「僕がよく寝てた、って……?」


 どうしてそれを知っているのだろうか。


「二時くらいでしたかね? 一ノ瀬さんの部屋に入ったんですけど、全く起きる気配がなかったので。布団の近くを歩いても動かなかったので、少し心配になりましたよ。ははっ」


「布団の近く……? えっ?」


 考えを巡らせていると、御澄宮司が僕の後ろを指差した。


「札が——足りないようだったので」


「札?」


 振り向いた瞬間、息を呑んだ。


 部屋中に、白い紙切れが散らばっている。読めない文字が書いてあるということは、御澄宮司の魔除けの札だ。


「あの気配は、一ノ瀬さんに纏わりついていた子供たちだと思いますが、意外と力が強かったみたいですね。まさか、最初に貼っていた分を全部破られるとは思いませんでした」


「なんで、また僕に……」


「私も、それを不思議に思ったんですよね。前の晩に出会した時には、札一枚で離れたのに、なぜここまでしつこく一ノ瀬さんの元へ行こうとしたのか。——何か、心当たりは?」


「心当たり、なん、て……」


 ——もしかして、紅凛ちゃんに、子供たちの話を聞いてあげるって言ったから? それを子供たちに聞かれていたのか?


「一ノ瀬さん?」


「いや、あの……。子供たちの声が聞こえなかったので、何を言っていたのか、気になっていたんです。聞いてあげた方が良かったのかなと思って。だから子供たちが、それを感じ取ったのかも知れません……」


「うーん。死霊がすぐそばにいたり、降霊術をやった時なんかは、話を聞いてやりたい、と考えただけで取り憑かれることもあるんですよ。でも、そうではない状況で、ただ考えただけであんなに執着されるとは考えづらいんですけどね?」


「それは……僕も、よく分からないんですけど」


「それに、あんなに怖がっていたのに、どうして話を聞こうだなんて思ったんです?」


「えっ。……すごく、苦しそうだったし……可哀想だな、と思い直したんです」


 ——どうしよう。御澄宮司には迷惑をかけてしまっているし、金子さんがいないところで、全部話した方がいいのかな。


 紅凛は、稽古か何かをサボって、僕のところに来ているのを知られたくないようだ。しかし、この村の人間ではない僕や御澄宮司が、紅凛の親に告げ口をすることはない。


『あの人は……怖い人だから、気をつけた方がいいよ』


 ふと、紅凛の言葉が脳裏をよぎった。


 なぜ紅凛は、あんなことを言ったのだろうか。御澄宮司は昨夜も、僕を守ってくれていた。そんな彼が、僕に悪いことをするはずがない。


 そう考えながら御澄宮司を見ると、視線がぶつかった。

 僕の顔を見ている、というよりは、瞳の奥をじっと見つめられているような気がする——。


 目の前に立って、僕を見下ろしている御澄宮司が、急に恐ろしいもののように感じた。


 冷たいものが背筋を這い上がり、喉の奥が引き攣る。


 ——あ……どうしよう。何か、言わないと。


 口を開こうとするが、声を出せる気がしない。


 ふうっ、と御澄宮司は小さく息を吐いた。


「まぁ、いいでしょう。でも、簡単に死霊を受け入れてはいけませんよ。それでなくても、一ノ瀬さんは取り憑かれやすいんです。いくら制御できる力があるとはいっても、あんなにたくさんの子供に一気に取り憑かれたら、どうなるか分かりませんからね」


「は、はい……分かりました」


 意外にも御澄宮司が、あっさりと引いてくれたことに安堵した。


 ——何を考えていたんだろう。御澄宮司は何度も僕を助けてくれているんだ。不信感を持つなんて、間違っているよな。




 本当にそうだろうか。


 もし、紅凛の言っていることが正しかったとしたら。




 ——紅凛ちゃんが『誰にも言わないで』って言っていたけど、もしかすると、御澄宮司も『誰にも』の中に入っていたのかも知れない。御澄宮司が、何かをしようとしているとか……?


 一度感じた不安は、簡単には消せない。


 御澄宮司と何を話せばいいのか分からなかった僕は、金子が用意してくれた朝食を食べる間も、ずっと俯いていた。たまに話しかけられても、なんとなく目が合わせられない。


 御澄宮司はいつもと同じように、穏やかな表情をしている。それなのに、なぜか、鋭い目で監視されているような気がしてならなかった——。

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