「どうか、しましたか?」
僕が訊くと御澄宮司は、にこりと微笑んだ。
「いいえ、何も。本当に眠れましたか?」
「本当ですよ。ちゃんと休めましたから、もう大丈夫です」
「それならいいんですけど」
この村に来てから、御澄宮司は、何度も僕のことをじっと見つめる。どうしてなのだろうか。
そういえば、僕は気付いていなかったのに、紅凛は僕に赤い靄が纏わりついているのが視えていた。もしかすると、御澄宮司も何かが視えているのかも知れない。
——変なものが憑いていたら、嫌だなぁ……。
他人に何かが憑いている時は気付けるのに、自分に憑いているものの気配は、よく分からないことがあるのだ。
左腕につけている呪具の数珠を、ぎゅっと握りしめてから、貸してもらっている部屋へ戻った。
夕飯を食べ終わった頃に、雨が降り始めた——。
雨が少しずつ強くなって行き、木製の雨戸に雨が打ちつける音がする。風が吹いて雨戸が動くと、ほんの少しの隙間から雨が入ってきて、縁側の床を濡らす。
「結構、酷くなってきましたね。いつまで降るんだろう……」
強い雨のせいで、滝壺のすぐそばにいるかのように、ごうごうと音がしている。声を大きくしないと、会話ができない状態だ。
「やはり避難をしてもらって正解でしたね。一ノ瀬さんのおかげです。教えてもらえなかったら、一気に十二人も被害者が増えるところでしたよ」
畳の上に寝転がった御澄宮司は、目を瞑ったままで言う。
山奥の村は電波が悪く、携帯電話はほぼ使えない状態だ。こんなに雨が降っていては、外へ出ることもできないので、することがない。それだけで充分憂鬱なのだけれど——僕の気分が冴えない理由は他にもある。
「御澄宮司……」
「なんですか?」
「どうして御澄宮司は、僕が言ったことを、すぐに信じてくれたんですか? 自分でも、すごく突拍子もないことを言ったと思っているんです。たしかに雨は降りだしましたけど、今から山が崩れるなんて……。白榮さんが言っていたみたいに、予知みたいですよね。僕だったら、誰かにそんなことを言われても、信じないから……」
「まぁ、私は仕事柄、色んな方に会いますからね。本当に未来へ行ったことがあるのではないか、と思うような占い師もいるんですよ」
「当たるんですか?」
「えぇ。気持ち悪いくらいに。でも予知ではなく、占いだと本人は言っていましたね」
「へぇ。すごいな……」
僕が呟くと御澄宮司は、くすりと笑った。
「一ノ瀬さんて、自己評価が低いですよね。霊力は飛び抜けて高いわけではないですけど、一ノ瀬さんの『視る力』はとても珍しいものなんですよ? 一ノ瀬さんは、生きている人間と死霊の見分けがつかないことが多いですよね?」
自分でもどうかしていると思うが、本当のことだ。
「はい……」
「初めて知った時は驚きましたが、おそらく私よりも一ノ瀬さんの方が、死霊の姿がはっきりと視えているんですよ。だから、見分けがつかないんです。それに、前にも言ったことがあるかも知れませんが、普通は、この世のものではないものの霊気が身体に入り込んでいると、意識を乗っ取られてしまうんです。でも、一ノ瀬さんは自分の意識を保ちながら、相手の情報を読み取ることができる。私は一ノ瀬さんの力を信頼しているので、疑ったりなんかしませんよ」
——信頼してくれているんだ。
「ありがとう……ござい、ます」
「やはり、不安ですか? 今までにないことが起こると」
「そう……ですね。だって御澄宮司に出会う前は、たまに、この世のものではないものが視えたり、気配を感じたりする、くらいだったんですよ。それに、霊媒体質って言葉は聞いたことがありますけど、憑依体質っていうものがあるのは初めて知りましたし。しかも自分がその憑依体質だなんて……。実際に、亡くなった人が体験したことを視たりして、今は理解していますけど……少し、怖いです。身体の中に入られて、自分ではなくなって……あの赤い靄に、取り込まれてしまいそうで」
「随分と相性が良いようですからねぇ、あの霊気と一ノ瀬さんは。でも、今の状況でこの村を離れるのは危険です。ついて来られる可能性もありますからね。なるべく早く片付けますので、もう少しだけ、我慢してください」
「……はい」
——怖がっていても仕方がないんだ。自分にできることをしないと。
それに、紅凛にも、子供たちの話を聞いてくれと頼まれたのだ。このまま逃げ帰るのは、大人としてどうなのか。
「さて。もう遅いので、そろそろ寝ましょうか」
そう言いながら御澄宮司は起き上がる。
「そうですね。雨の音がすごいので、眠れるかどうかは分かりませんけど」
「私もそう思っていたところです。ガラス戸がないと、こんなにうるさいんですね」
「御澄宮司の神社も、僕が行ったことがある場所は、ガラス戸はなかったですよね」
「あぁ、表側にはないですね。でも、奥の住居部分にはガラス戸があるんですよ。鍵が掛けられないと、防犯上、良くないですから」
「へぇ、そうなんですね。まぁ、雨戸を開けて、簡単に入って来られるって、ちょっと怖いですもんね」
「そういうことです。あ、今日も襖は開けたままで寝ますか?」
御澄宮司は微かに微笑んだような感じの、意地悪な笑みを浮かべて言う。
「子供じゃないんですから、大丈夫です!」
僕が声を大きくして言うと、御澄宮司は、ふふっと笑いながら襖を閉めた。
ただ襖を閉めただけなのに、急に静かになり、なんとなく部屋の中を見まわした。特におかしな気配は感じない。
襖の向こう側には御澄宮司がいる。物音も聞こえるので一人きりになった気はしないけれど——大丈夫、と言ったことを少しだけ後悔しながら、布団に潜り込んだ。