最近になって、力が増すような出来事があったのだろうか。
「ねぇねぇ、蒼汰くん。なんで?」
「え? あぁ……。水が真っ赤っかになっちゃったから、気持ち悪かったでしょ? だから、誰かに言ったのかな? って思っただけ」
「うーん、気持ち悪いから私は飲まないけど、別に言わない。だって、変な子だって言われるもん」
紅凛は目を伏せた。
「そうだね……。僕もそう言われたことがあるから、他の人に視えないもののことは、言わないようにしてる」
僕が言うと紅凛は、目を伏せたままで微笑んだ。
普通でいたいとは思うけれど、やはり気持ちが通じるのは、同じように霊感が強い人間だ。御澄宮司や紅凛といる時は、霊感があることを知られないようにしなければ、という緊張感はないし、嘘をつく必要もない。本当の自分でいられるのだ。
——紅凛ちゃんにいつもと違うことを訊くよりも、僕が話した方がいいのかも知れないな。その方が、色々と話してくれるような気がする。
「昨日の夜さぁ、怖いことがあったんだけど、聞いてくれる?」
「うん、いいよ」
「夜中に水の音がして、どこから音がするんだろう、と思って見に行ったら、トイレだったんだ。それで窓を開けて外を見たら……井戸があったんだよね」
そう言って紅凛に目をやると、苦いものを食べたような険しい顔をしている。
「やっぱり、分かる? あの赤い靄が窓から入って来ちゃって、びっくりしたよ。そうしたら、女の人の声が聞こえたんだ。『どうして』とか『かわいそう』みたいなことを言っていたかな? 姿は視えなかったから、正体は分からないんだけどね。紅凛ちゃんは、井戸の近くで女の人の声を聞いたことはある?」
「……ある……けど」
紅凛は僕から目を逸らした。
「僕は声しか聞こえなかったけど、紅凛ちゃんは、あの女の人の姿を視たことはあるの?」
「ええと……。何回か、声が聞こえたことがある、だけ……」
「そうかぁ。どんな人なのか気になってたんだけど、ずっとこの村にいる紅凛ちゃんでも、視たことはないか」
「うん……。でもきっと怖い人だから、視ないほうがいいよ」
俯いている紅凛の表情は髪の毛に隠れていて、よく分からない。
——視たことはないと言っているけど、なんとなくは分かっているのかも知れないな。でも、今それを訊いても、話してくれそうにないから、別の話の方がいいかな。
「怖い人なら、僕も視たくないなぁ。それから、子供がたくさんいたんだよ」
僕が言うと、俯いていた紅凛が、勢いよくこちらへ顔を向けた。大きな瞳が、さらに大きくなっている。
——これも、知っているのか。
「子供たちの声は聞こえなかったんだけど、苦しそうな、悲しそうな、そんな顔をしていたよ。みんながお腹にしがみついて来たから、ちょっと怖かったんだけど、あの子たちは僕に、何かを伝えたかったんだろうね……」
「蒼汰くんでも、声は聞こえなかったんだ……。でもね、蒼汰くんなら、聞こえると思うの。あの子たちは、蒼汰くんに悪いことはしないよ。ただ、話を聞いてほしいだけなの。だから、また会ったら、聞いてあげて。本当は私が聞いてあげたいけど……私じゃ無理なの。何度も聞こうとしたけど、聞こえないの!」
紅凛は今にも泣き出しそうな顔をしている。
僕は紅凛の頭に、そっと左手を乗せた。
「分かったよ。今度会ったら、ちゃんと聞いてみる」
「本当?」
「うん。まぁ、まだちょっと怖いんだけど……。でも、頑張って聞いてみるよ」
「ありがとう」
微笑む紅凛の目には涙が浮かんでいる。誰にも相談できない状況で、ずっと一人で悩んでいたのかも知れない。
「ただ、話を聞くって言っても、どうすればいいんだろう。紅凛ちゃんは、どこで子供たちと会ったの?」
「え? ええと……。外、とかで……」
——なんか、歯切れの悪い感じだな。範囲が広いし。何か、言えない事情がある……?
「あの子たちが紅凛ちゃんの所へ来るの? それとも、紅凛ちゃんが子供たちの所へ行っているの?」
「見つけた時にね、私が行くの」
「そうなんだ? あの子たちは、霊力が高い人に近寄って行くってわけでもないのか……。僕の前に現れたのって、やっぱり僕が憑依体質ってやつだからなのかな?」
「そうだよ。蒼汰くんは幽霊が好きなにおいがするの。それにあったかい感じがするから、幽霊は蒼汰くんの近くに行きたくなるんだよ」
「えっ、何それ。においって? 何のにおいがするの? すっごい気になるんだけど」
「うーん。なんか、ちょっと甘いにおいがするよ。そのにおいに幽霊が寄って来るの」
「甘いにおい……? あ! そう言えば前に、霊を呼ぶためだ、って御澄宮司が甘いにおいがするお香を焚いていた気がする! もしかして、あのにおいがするってこと⁉︎」
自分の腕を嗅いでみたが、特に何も感じない。ボディーソープのにおいがするだけだ。
「腕からにおいがするわけじゃないし、自分じゃ分からないんじゃないかな」
紅凛は首を傾げた。
「そうかも。霊力のにおいみたいな感じだよね? でも紅凛ちゃんが、甘いにおいがするって言うってことは、御澄宮司も知ってるんだろうね。においについては、何も言ってなかったんだけどな……」
「あの人は……怖い人だから、気をつけた方がいいよ? 蒼汰くんて、すぐに騙されそうだから」
違うと言い切れないところがつらい。
「分かった、気をつけるよ。でも、御澄宮司はそんなに怖い人じゃないんだよ? たしかに強力な札を使ったり、悪霊を退治したりすることもあるけど、僕が困っている時に、何度も助けてくれたんだ」
「ふうん。でも、あの人の力は、とっても冷たいの。蒼汰くんとは全然違う。幽霊を視る目も、とっても冷たいんだよ。蒼汰くんを助けてくれるのだって、蒼汰くんのことが好きだから、助けてくれるわけじゃないのかも知れないよ?」
——全否定だ。嫌われてるなぁ、御澄宮司……。
「うん。気をつける……ね」
ざっ、ざっ、ざっ、と砂を踏む音が近付いてきた。一人ではないようだ。複数の男性の声も聞こえる。
「私、もう行かなきゃ。私のことは内緒だからねっ!」
そう言って、紅凛は生垣の隙間を抜けて、走り去ってしまった。
「あんな所から入って来たのか。でも結局、あの声が誰の声なのかは分からなかったな……。御澄宮司が紅凛ちゃんに嫌われてるのは、よく分かったけど」
引き戸が、ガラガラと音を立てたので、立ち上がって玄関へ向かった。
玄関には金子と御澄宮司がいる。僕は白榮の姿がないことに、ほっと胸を撫で下ろした。
「おかえりなさい。一緒だったんですね」
「戻ってくる途中で、金子さんに会ったんです。山の近くにある五軒の家の避難は、無事に終わったようですよ。避難した皆さんは、今日は集会所に泊まるそうです」
「そうですか……。何だか安心しました。何も起こらなかったら、申し訳ないですけどね」
「何も起こらなければ、それが一番良いのですが……だいぶ天気が悪くなって来たので間違いなく、雨は降ると思いますよ。早く避難できて、良かったです」
——そうだよな。誰かが亡くなった後に『あの時、避難していれば』なんて思っても、もう遅いんだもんな。
死んでしまった人は、ゲームの中のように生き返ったりはしないのだ。
「御澄宮司は、どこまで行ってきたんですか?」
「他にも崩れそうな場所があってはいけないと思って、川の下流を見てきたんですよ」
「それなら、僕も一緒に行ったのに。皆さんが忙しそうにしているのに、僕だけ休んでいるのは、何だか悪いことをしているみたいで……」
「はははっ。昨夜は色々とあったので、あまり眠れなかったでしょう? 何があるか分からないので、休んでおいて欲しかったんですよ。少しは眠れましたか?」
——結局、紅凛ちゃんと話をしていたんだよな。
「ええと、少しだけ」
「そうですか……それなら、良かったです」
ほんの少し首を傾けた御澄宮司は、覗き込むように、僕の目をじっと見つめる。
——……?