御澄宮司に支えてもらいながら部屋へ戻った僕は、布団の上に倒れ込んだ。
呼吸は落ち着いたが、眩暈がする。
「人ならざるものたちは、夜になると力を増しますけど、まさか、家の中に入ってくるとは思いませんでした。何ヶ所も札を貼っておいたんですけどね」
そう言いながら、御澄宮司は魔除けの札を、部屋の四隅に貼って行く。白い札に書かれた朱色の文字は、漢字のようにも、絵のようにも見えた。
「助けてもらって……ありがとう、ございました」
「いいえ、もっと早く駆けつけることができたら良かったんですけど……。怖い思いをさせてしまいましたね」
札を貼り終わった御澄宮司は布団の横へ来て、腰を下ろした。
彼が来てくれなかったら、どうなっていたのだろうか。子供たちの姿を思い出すと、まだ身体が震える。
「さっきの子供たちは……御澄宮司にも、視えていたんですよね」
「視えましたよ。大勢の子供にしがみつかれていましたね。叫びたくなる気持ちは分かります」
御澄宮司は眉尻を下げて、控えめに笑った。
「あの子供たち……僕に何かを訴えていたような気がするんです。何だかすごく悲しそうで、苦しそうで……。でも、声は聞こえなかったんです」
「私も声は聞こえなかったですね。ただ、あの子たちが何を伝えたかったのかは分かりませんが、悪意は感じなかったんですよ。おそらく、一ノ瀬さんに助けを求めていたのだと思います」
畳の上で足を組んで座っている御澄宮司は、視線を落とした。何かを考えているようだ。
「……あの赤く視える霊気は、一緒に現れた子供たちから感じる気配とは、少し違うもののような気がしたんですけど、一ノ瀬さんはどう感じましたか?」
「僕は正直に言うと、それどころではなくて、よく分からなかったんですけど……。大人の女性もいたので、そちらの霊気の方が強かったんじゃないでしょうか。だから子供たちとは少し違う感じに——ん? どうかしましたか?」
御澄宮司が怪訝そうな顔で、僕を見ている。
「大人の女性? 私はそんな気配は感じなかったですけど……。近くにいましたか?」
「えっ」
——御澄宮司には、女性の声が聞こえていなかったんだ。どうして僕だけに聞こえたんだろう……。
そういえば、夜の神社に立っている風景や、雨が降っているのが視えた。雨の日に、川で亡くなった女性だったとも考えられるけれど、それならもっと、亡くなる寸前の、苦しみや恐怖が伝わってくるはずだ。それが全くなかったことを考えると——。
なぜか胸がざわつく。よくないことが起こりそうな気がした。
「……御澄宮司。人がたくさん亡くなっているのは、何かが殺してまわっているとして……井戸水が赤くなった理由って、何なんでしょうか。人間に何かをするだけじゃなくて、この村の土地自体に、災いが起こっているのなら、井戸だけじゃ済まないかも知れないですよね……?」
「人間に対してだけではなく、この土地自体を呪っているということですか? ない、とは言えないですね……。ただ、そうだとしたら、相当強い力を持っていることになりますけど」
「あの女性が元凶だったとしたら、まずい……かも知れません。女性の泣き声が聞こえて『どうして』とか『かわいそう』と言っていたから、最初は、悲しんでいるのかと思っていたんですけど……。あの女性はたぶん、怒っているんです。怒っているのなら、井戸水を穢すような災いを起こしたことも、説明がつくような気がするし、女性の声が聞こえた時に、大雨が降っている風景が視えたんです。あれが、女性が経験したことじゃなくて『こうしたい』と思っていることだったら……。これから、雨が降るはずです。川が濁流と化して、山が崩れるかも知れません」
沈黙が流れた後、御澄宮司はため息をついた。
「その風景って、かなり鮮明に視えました?」
「はい。自分の記憶かと思うくらい鮮明でした。でも、何の感情も伝わってこなかったので、女性が経験したことじゃないんだろうな、と思ったんです」
「……いつもなら、そんなことがあるわけがない、と言うところ、ですけ、ど……」
そう言ったきり、御澄宮司は俯いて、畳に向かってブツブツと何かを呟き出した。
——これって、そっとしておいた方がいいやつかな……。
「いや、でも……」
右手で顔を覆って、さらに深く俯く。そんなに悩む程、大変なことが起こっているのだろうか。せめて、もう少し大きな声で呟いてくれたら、何を考えているか分かるのに。
「はぁ……。くっそ! 厄介な……」
小声でも今のは、はっきりと聞こえた。御澄宮司は機嫌が悪い時に、素の話し方になるのを、僕は知っている。やはり、霊媒師をしている御澄宮司でも、厄介だと思うような案件なのだろう。
——気になるけど、聞きたくないなぁ。
横目でじっと見つめていると、視線に気付いたのか、御澄宮司が顔を上げた。目が合うと御澄宮司は、にこりと微笑んだが、笑みを返す気にはなれない。思っていたよりも、厄介なことに巻き込まれていると、もう気付いているのだから。
大きく息を吸ってから、御澄宮司は話し始めた。
「とりあえず……。自分が経験したことではないものを視せるのは、どこにでもいるような死霊には、できないことです。長い間祀られていたものか……もしかすると、人の姿をしていても、元が人間ではないものか。どちらにしても、このままでは災いは終わらないでしょう。一ノ瀬さんは川に行けば、視えた場所がどこだったか、分かりそうですか?」
「たぶん、同じ場所があれば、分かると思います」
「そうですか。それなら明るくなったらすぐに動こうと思うのですが——川は、一ノ瀬さんには、少しキツイかも知れません」
「キツイ……?」
「一ノ瀬さんと別れて、私たちは川へ行きましたよね? 井戸水ほどではないのですが、残念ながら川も穢れていたんですよ。あまり近付き過ぎると、また体調が悪くなるでしょうね」
「うわぁ……。行くしかないんですけど、行きたくないですねぇ……」
「ははっ。私も行きたくはないですよ。あのにおいは、何度嗅いでも慣れそうにないですから」
——なんか、この村に来てから、散々な目に遭っているような気がする……。
「まだ外は暗いですから、もう少し寝てください」
御澄宮司にそう言われたが、脚や腹にしがみついた子供たちの姿が、瞼に焼き付いている。目を閉じるのが怖い。
僕が黙っていると御澄宮司が、スッと立ち上がり、襖を開けた。襖の向こう側は御澄宮司の部屋だ。
「これで怖くないでしょう? 一ノ瀬さんは、結構可愛らしいところがありますよね。はははっ」
まだ怖がっていることに、御澄宮司は気付いているようだ。何だか悔しい。
「かっ! 可愛らしい⁉︎ 僕じゃなくても、あんな光景を視たら眠れなくなりますよ! 目が無い子供が、たくさんいたんですから! しかも、しがみつかれて!」
「そうですねぇ。普通の人なら泣き叫びますよね。一ノ瀬さんはよく頑張ったと思います。でも、もう大丈夫ですから、安心して寝てくださいね。ふふっ」
——絶対に、バカにしてる……!
布団に寝転がって、どう言い返そうか、と考えながら天井を睨んでいると、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
僕の部屋の電気はついたままだ。襖が開いているので、顔を傾けると御澄宮司が見える。ゴソゴソと動いていた御澄宮司が布団に入って、静かになった頃。僕の意識も遠くなっていった——。