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第6話

 ——御澄宮司たちが、戻ってきたのかも知れない。


 声がする方へ顔を向けたが、まだ姿は見えない。ただ、声が近付いて来ているような気はする。


「蒼汰くん! 私と会ったって、誰にも言わないでね!」


 後ろから紅凛の声がして振り向いたが、そこに紅凛の姿はなかった——。


「あれ? 紅凛ちゃん……?」


 辺りを見まわしても紅凛はいない。一瞬で、どこかへ行ってしまった。


「誰にも言うなって……。あ。着物を着ていたし、稽古か何かをサボっていたのかも」


 それなら、内緒にしてあげた方がいいだろう。怒られては可哀想だ。




「一ノ瀬さん、戻りました」


 御澄宮司が金子たちと一緒に、境内へ入ってきた。


「あ……お帰りなさい、御澄宮司。すみません、一緒に行けなくて」


「いえ、少し見てまわっただけですから。体調はどうですか?」


「もう治りました。大丈夫です」


「そうですか、元気になってよかったです」


 御澄宮司は会話をしながら、僕の方へ歩いて来る。そして、少し手を伸ばせば届くほど、すぐ近くへ来て立ち止まった。


 ——なんだ……?


「……一ノ瀬さんは、何をしていたんですか? ここで」

「え?」


 御澄宮司が僕の目を覗き込む。頭の中で今考えていることを、読まれているようで、思わず目を逸らした。


「僕は、気分転換のために、散歩をしていただけですよ……」


「散歩で、ここへ来たんですか? さっき、この神社の境内に来たときは、嫌がっていましたよね。なんでしたっけ……? 神社が寂れていて不気味だ。カビ臭くて鼻が痛い。寒いから早くここから離れたい。そんなことを言っていたような気がしましたが……なぜまた、ここへ来たんですか?」


 どうして御澄宮司は、僕が境内にいることを、こんなに気にするのだろうか。たしかに、紅凛に会ったことは内緒にしておくつもりだ。けれど、それは御澄宮司には関係のないことだ。彼は、この村の関係者ではないのだから。


 それなのに、御澄宮司に責められているように感じる。


「本当に、大した理由はないんです……。ただ、気分転換をしたくて、散歩をしていただけですから。それに、この境内の雰囲気はたしかに苦手ですけど、井戸水の嫌な気配と比べたら、全然マシですよ」


「……そうですか」


 表情が読めない。御澄宮司は先程からずっと、僕の目を見つめている。


 ——何なんだよ。なんでそんなに気にするんだ? 


 その時。御澄宮司の後ろの方で、金子と白榮が眉をひそめて神社を見ていることに気が付いた。神社でも白榮の兄と、その家族が亡くなっている。あまり近付きたくないのだろうか。


 金子と白榮の視線の先へ、僕も顔を向けた。すると——神社の右側にある椿の木に目が行った。


 寂れた神社と秋の風景は、全てが色褪せて見える。


 その中で、椿の木だけがやけに鮮やかで、じっと見つめていると、周りの景色は見えなくなって行く。


 椿の木には、赤い花と白い花がついている。

 赤い花の方が数が多い。

 椿の花は、あんなに赤かっただろうか。

 先程見た井戸の水よりも、もっと濃い赤だ。

 あれを深紅と言うのだろう。


 さぁっ、と風が吹いて、下の方についている赤い花が、ぽとりと落ちた。風は椿の方から、そのままこちらへ流れて来て、僕の顔をふわりと撫でる。


 思わず目を閉じた。そして、再び目を開くと——。




 突然、赤いフィルターがかかったような景色に変わった。




 モスキート音のような高い音以外は、何も聞こえない。耳が痛い。


 椿の前にはいつの間にか、巫女装束を着た幼い女の子が立っていた。真っ赤な椿の花が描かれた匣を、両手で持っている。口が動いているので、何かを言っているのかも知れない。


 ——あの子は、何を言っているんだろう?


 なんだか気になった。長い髪の女の子は、前髪が顔を隠しているので、口元しか見えない。なんとか唇の動きを読もうとしたが、何を訴えたいのかは分からなかった。


 ——声が聞こえたら、分かるのに。


 そう考えていると、途切れ途切れだが、微かに声が聞こえてきた。喋っている、というよりは、歌のように聞こえる。どこかで聞いた、わらべうたのような、単調な旋律。


 ——何の歌だろう。……あ、か、い……。


「赤い……お花を、あげましょう……?」


 そう言っているような気がした。


 すると、女の子の口の動きが止まった。女の子は、くるりと向きを変えて、椿の木の方へ歩いて行く。


「待って」


 手を伸ばした瞬間、パン! と大きな音がした。


 ハッと気がつくと、目の前には手がある。御澄宮司の手だ。


「大丈夫ですか?」


 御澄宮司は僕の顔を覗き込んだ。彼は眉根を寄せている。心配しているような顔だ。


「あ……」


 返事をしようと思っても、なぜか口を動かすことができなかった。頭がぼぅっとする。夢から覚めたばかりの時のようだ。


「何で、その歌を……」


 金子の声が聞こえた。目だけを動かすと、金子と白榮が顔を引き攣らせているのが見えた。二人は、あの歌を知っているようだ。


 御澄宮司が二人の方へ身体を向ける。


「一ノ瀬さんが呟いたのは、歌なんですか?」


 御澄宮司が訊くと、二人は顔を見合わせた。


「……あの歌は、祭りの時に、子供たちが歌うものです……」


 金子が斜め下に視線を落として、小さな声で言う。御澄宮司と目を合わせないようにしているみたいだ。

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