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第1話

「えっ。除霊の手伝いですか?」


 久しぶりに御澄宮司みすみぐうじから電話がかかって来たので、何事かと思っていたら、除霊の手伝いだなんて。僕は霊媒師でも何でもない、ただの会社員なのに、まさかそんなことを依頼されるとは、考えもしなかった。


「えぇ。一ノ瀬さんが霊的なことにかかわりたくないのは、重々承知しているんですけどね。今回はちょっと特殊な案件でして。一緒に来ていただけませんか?」


「ええと……何で、僕なんでしょうか? でも、どちらにしても仕事があるので、週末くらいしか手伝えませんけど……」


「あぁ。それならもう、信子さんに許可を得ていますから、心配しないでください」


 彼の言う信子さんとは、僕が勤めている会社の、社長のことだ。


「はい⁉︎ なんで僕より先に、神原社長に話が行っているんですか⁉︎ もしかして僕が返事をする前に、手伝うのはもう決定してるってこと……です、か?」


「そういうことですねぇ。来ていただけると助かります」


「そんなぁ……」


 電話の向こうにいる御澄宮司が、俳優のように整った顔で、眩しいくらいに素敵な笑みを浮かべているのが、容易に想像できる。周りに女性がいれば、黄色い歓声が上がっていることだろう。


 それにしても、なぜ僕に言う前に、社長に話を持っていくのだろうか。仕事上では全く関係がないはずなのに、遠い親戚なのを利用するなんて、少しずるい気がする。せめて先に、僕に話を通してほしい。


「もちろん、一ノ瀬さんの意思を尊重しますよ? それから報酬ですが、食事や宿泊に関しては、全て依頼主が用意してくださるので、費用は一切かかりません。その上でバイト代は、一日につき三万円をお支払いしますので、悪い条件ではないと思いますよ」


「えっ!」

 ——さ、三万……!


 普通の会社員の僕にとっては、大きな収入だ。でも、そんなに貰えるということは、仕事もそれ相応に大変だということだ。簡単に返事をしてしまってもいいのだろうか。


「……本当に、そんなに貰えるんですか……?」


「はははっ、興味を持っていただけましたか? 本当ですよ。特殊な仕事ですから、これくらいは当然です」


 ——霊媒師って、儲かるのかな……。


「うぅ〜……。や、やります……」


「そうですかぁ。良かったです。もし嫌だと言われたら、どうやって連れて行こうかと、いくつか策を考えていたんですよ。ははは」


「へえぇ〜……」


 連れて行くなら、自分の神社の人を連れて行った方が、良いような気がするけれど。前に御澄宮司の神社に行った時に、彼らから強い霊力を感じた。おそらく訓練も受けているだろう。


 それなのに、なぜ大した力を持っていない僕を連れて行きたがるのだろうか。気になるけど聞きたくない。


「では明日の朝に、そちらへ行きますので、数日分の着替えの用意をお願いしますね」


「…………数日分って、何日分ですか?」


「数日分は、数日分です」


 ふふっ、と笑ったような声が聞こえて、電話は切れた。


「はぁ……。嫌な予感しかしない」


 前に友人が、不運な死を遂げた女性に取り憑かれて、御澄宮司に助けてもらったことがある。その時の恩を返したいとは思うけれど——本当に引き受けても大丈夫だったのだろうか。


 御澄宮司は、穏やかで優しそうな人に見えるが『仕方がない』と判断したら簡単に切り捨てるような、少し冷たい面もあることを知っている。


 特に、この世のものではないものに対しては容赦しない人だ。もしかすると、霊媒師の人たちには、それが当たり前のことなのかも知れないが、僕には理解ができない。


 それに、僕の友人を囮に使ったことも、忘れてはいない。


 ——まさか一般人の僕に、危ないことはさせないよな……たぶん。


 考えるほどに不安は大きくなって行くが、社長まで僕が行くことに同意しているのなら、もう行くしかないのだろう。それに、二十四歳の僕が、八歳も年上の御澄宮司に「嫌だ」とは言いづらい。


「はぁ……気が重い」


 とりあえず、クローゼットの中にあったスーツケースに、入るだけ服を詰め込んで、眠りについた。




 御澄宮司の、真っ白な高級車に乗ってたどり着いたのは、山に囲まれた村だった。


 車から降りて周辺を見まわすと、数軒の古い木造の民家があり、田んぼや畑には、作業をしている老人の姿がある。車が走る音や、人の話し声はしない。小川が流れる音と、小鳥の囀りだけが聞こえる、とても長閑のどかな場所だ。


 御澄宮司が『除霊』なんて言うものだから、廃墟や忌み地のような、もっと禍々しい場所だと思っていた。


 ——ここで数日間、のんびりと過ごせるなら、仕事を引き受けて良かったかもな。


 都会の雑踏よりも、静かな田舎の方が好きだ。もちろん調査をしたりするのだと思うけれど、今のところは嫌な気配は感じないし、会社の仕事と比べたら随分と楽そうだ。


「一ノ瀬さん、先に依頼主に紹介します。ここは人が少ないので、顔を見たらどこの家の人間か、分かるような状態なんだそうです。ちゃんと紹介しておかないと、不審者だと思われてしまいますから」


「そうなんですね。僕は単身用のマンションに住んでいますけど、隣の部屋に住んでいる人の顔なんか、知らないですよ。男性だってことだけ知ってます」


「まぁ、街中まちなかだとそうなりますよね」


 歩き出すと、すぐに神社の境内に入った。


 木造で質素な造りの神社の横には、大きな椿の木がある。少し変わった椿で、一本の木に、赤い花と白い花が付いていた。神社は、くすんだ茶色一色なので、神社よりも椿の鮮やかな赤に目が行ってしまう。


 境内には、葉っぱやゴミなどは落ちていない。地面には竹箒ではいたような跡だけがある。きちんと手入れがされているようだ。


 ——何だろう。境内は綺麗にしてあるけど、何だか寂しいというか……。


 ちゃんと手入れをされている神社や寺の境内は、空気が澄んでいる。霊力がある僕の目には、ほんの少し光を帯びているように視えることもあるし、暖かさも感じるのだ。それなのに、この神社の境内は、まるで冬の夕暮れ時のように、寂しく冷たい感じがする——。


 思わず立ち止まると、御澄宮司も止まって振り向いた。


「どうか、しましたか?」


「いえ、大したことじゃないんです。気にしないでください」


「何か気になることがあるなら、教えてもらった方が助かります。私は悪意のある死霊には敏感なのですが、そうではないものだと、気付けないことも多いので」


「あぁ、そういうことなら……。何だかここの神社は、寂しい感じがするなと思ったんです。古いからとか、そういうことじゃなくて……なんて言ったらいいか、分からないんですけど」


「寂し感じ、ですか。他には?」


「えっ? 他は……」


「神社や境内を、しっかりと観察してみてください。気になる場所は、特にじっくりと視た方が、今までと違うイメージが浮かんでくるかも知れませんね。別に断片的でもいいんですよ」


「分かりました……」


 御澄宮司の方が霊力が高いのに、なぜ僕にそんなことを訊くのだろうか。悪意のないものだと、気付かない場合もあると言っていたが、それでも御澄宮司の方が、この世のものではないものを視る力は強いはずだ。


 ——とりあえず、観察してみたらいいんだよな。


 神社と境内を見まわすと、やはり、椿の木が気になる。どうしても目立つ色に目が行ってしまうのだ。僕は右目の前に手をかざして、椿の木が目に入らないようにした。


 ——こうすると、随分と寂れて見えるな。


 何だか青いはずの空さえ、くすんで見える。仄暗くて、冷たい。


「断片的でいいんですよね」


「はい」


「集中して視ると、ここは何もかもが、くすんで見えるんです。はっきりとした色は、椿だけ。他の物を見ていても、なぜか椿の花の赤が目に入って……ん?」




 その時、古いフイルムの映像を見ているような光景が、視えた気がした。ほんの一瞬だけのことだが、妙に気になる。




「何かのイメージが……視えましたか?」


 御澄宮司が一歩近付いて来て、まっすぐに僕の目を見る。その目は、心の中を覗かれている感じがして、少し苦手だ。


「幼い女の子が視えました。何だか古いフイルムの映像みたいな感じで、全体が赤っぽかったので、色が分かりづらいんですけど……。巫女さんの衣装……かな?」


「巫女姿の、幼い女の子ですか。その子がいたのは、この神社ですか?」


「はい。女の子の後ろに、その神社が視えたので」


 僕が神社を指さすと、御澄宮司は顎に人差し指の背を当てて、目を細めた。


「なるほど……。一ノ瀬さんはここにいて、何か嫌な気配は感じますか?」


「悪霊がいるような気配ってことですよね? 今は別に感じないです。神社は寂れていて不気味だし、土の匂いというかカビ臭いので、早くここから離れたいとは思いますけど。もう鼻が痛いんですよね。それに寒いので、早く建物の中へ入りたいです」


 たまに身体がぶるりと震える。


「そうですか……」


 しばし考え事をしている様子だった御澄宮司は、天を仰いで小さく息を吐いた。そして「行きましょうか」と言って歩き出す。何を考えているのか、説明をする気はないようだ。


 僕が視た女の子を、御澄宮司も視たのだろうか。それとも僕が視たことで、新しい手掛かりが掴めたのだろうか。何も言わないので、何を考えているのか分からない。


 ——まぁ、考えても仕方がないか。


 僕も急いで、御澄宮司の後を追った。

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