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22-05

「あー、でもさ、どうやって相模から離れるんだ?」

 喜びも束の間、菅原がそもそもの疑問をバクに投げかけた。

 バクが和都からどう離れるのかは、一番の問題である。

「人の魂からボクのような祟り神が離れるには、やはり一度、魂だけにならないといけないんだ」

 和都が堂島に憑いた『鬼』だけを食べてほしい、とハクにお願いした時にも言われたように、なんらかの方法で幽体離脱しなければいけないらしい。

「えっ、じゃあ相模を殴ってみる、とか?」

 小坂が腕まくりすると、バクは首を横に振り、孝四郎の日記の後半に書かれた、勅令の部分を指した。

「まぁ本来ならそういうことをしないといけないが、この札と、カズト自身が蓄えた霊力チカラを使えば、魂だけにならずとも離れられるはずだ」

「なるほど!」

 孝四郎はもしかしたら、将来この本が見つかり、自分が読んだ時のことを考えて、この命令を書き残しておいたのかもしれない。

 ──本当、お節介なヤツ。

「でもこれ、どうやって使うんだ?」

霊力チカラのある人間が書いた文字は、霊力チカラのある人間が使えばちゃんと効力を発揮する。孝四郎が書いたものだし、霊力チカラの強いセンセイがボクに貼れば問題ない」

 百年以上も前に記されたものだが、こういった札は汚れたり破れたりしていない限り、その効力を発揮する。特に霊力チカラの強い者が使えば、より強力に作用するのだ。

「そうか。よし、それじゃあ……」

「待て」

 仁科が早速、勅令の書かれた部分を破り取ろうとすると、バクが制止した。

「確かにそれを使えば、カズトの魂からすぐ離れられる。だが、祟り神は悪鬼と違って、次に入る場所が決まっていないと、すぐに霧散してしまうんだ」

「霧散って、消えるってこと? それじゃあハクが納得しないんじゃ」

「ああ。今ここでボクが消えたら、ハクはこの辺り一体をめちゃくちゃにするだろうな」

 大神として実体をもって顕現した今、ハクを怒らせたらそれこそ街全体が血の海となる可能性が高い。

 孝四郎が壮大な嘘をついてまで守った場所が、丸ごと綺麗に無くなってしまう。

「アイツはボクのために、狗神になってまでついてきてくれたんだからね」

 祟り神に堕ちた自分に寄り添うために、唯一無二のつがいとして離れたくないその一心で、ハクは自ら首を斬り落とし、大好きな人間を恨む狗神にまで堕ちた。

「……ボクも、アイツのところに戻りたい」

 何百年も、いつだってずっと一緒にいたのだ。

 それを、和都と一緒に取り込む計画のためとはいえ、一時的にでも離れた状態になると、こんなにも心許なくて寂しいのか。

「今は魂が繋がっていないから、アイツはまだボクがカズトを解放するって決めたのを知らない。カズトに会えば、まっすぐ食らいついてくるだろう」

 そうなる前に説明などが出来ればいいのだが、ハクは難しい話が苦手だし、あとは和都を食べるだけだと心待ちにしているはずなので、きっと難しい。

 どうするべきか、と考えていると少し離れた位置にいた小坂が少し言いづらそうに、嫌そうな顔で口を開いた。

「おれ、よく分かってないんだけどさ。なんで、こう……身体を、食おうとするんだ?」

 すると、ああその理由か、とバクは金色の瞳を小坂に向ける。

「肉体の中にある、魂を取り出すためさ。魂っていうのは、生きている肉体に縛られた状態でね。だから肉体の生命活動を止めてやる必要があるんだよ」

 人間は、魂と精神と肉体がくっついてできた生き物だ。

 肉体から魂だけを取り出したいのなら、殺してしまう方が効率がいい。

「稀に生きていても魂が離れてしまうことはあるが、本当に稀だし、完全に離れたわけではないからな。食い殺してしまったほうが圧倒的に早いんだよ」

「な、なるほど」

 普段通りの顔で物騒なことをさらりと言うので、小坂も少し腰が引けてしまう。

「今回は祟り神であるボクだけが離れて、ボクが消える前に、ハクに取り込まれる必要がある」

「じゃあ、なるべく近くにいて、離れたほうがいいってこと?」

「そうだな。出来れば触れ合ってる状態がいいだろう。無理やり離れた場合、ちゃんとハクと一緒になれるのか分からないし」

 バクの言葉に、菅原がどこかうんざりしたような顔で言った。

「食おうとしてくるやつと、ピッタリくっつかなきゃいけないってことかよぉ」

「そうなるな」

 ただでさえ巨大になり、積極的に食べようとしてくるハクに、危害を加えられずに触れるというのは、なかなか簡単なことではない。

「ハクの動きを封じるしかない、のか?」

「でも神様の動きを止めるなんて……」

 バクは少し考えてから、何か思いついたように春日へ視線を向け、それからすぐに仁科のほうを見た。

「センセイ、孝四郎のもう一つの日記はある?」

「一応、持ってきてはいるよ」

 バクに言われて 、仁科がもう一つの、和都と一緒に解読をしたほうの日記を取り出し渡した。

 それをペラペラと捲ると、バクは神獣に読めると言う文字の練習していたと思われる箇所を開く。

「……うん、これなら使えそうだな」

 たくさん書かれていた中から、バクは一つの勅令文を指した。

「なんて書いてあるの?」

「これはいわゆる『伏せ』だな。動きを止め、座って頭を下げさせる、というものだ」

 バクはそう言うと、その部分をビリビリと破り始める。

 容赦なく破り始めたバクに、菅原が慌てた。

「え、ちょ。先生、いいの?」

「あー、よくはないけど、仕方ないかな」

 仁科家にとってはご先祖様の貴重な資料ではあるが、背に腹はかえられない。

 未来の子孫のために使った、と言えば父や弟も許してくれるはずだ。

「……よし、これならまぁ、大丈夫だろう」

 バクは破り取った紙片を満足そうに眺める。長方形に切り取られたそれは、まるで一枚のお札のようだ。

「じゃあそれを先生がハクに貼って、動きを止めて、それで相模から離れる用のを貼る感じ?」

「いいや」

 バクはそう言うと、破り取った札を春日に向けて差し出す。

「ユースケ、これはお前が使え」

「俺が?」

「ああ」

 春日は戸惑いつつも、紙片を受け取った。文字とも記号とも見えるそれらは、やはり自分には何と書いてあるのかすら分からない。

「札を使うとそれなりに霊力チカラを消耗するからな。センセイが立て続けに二枚使うのは難しい。それならユースケがもう一枚を使えばいい」

「でもバク、春日は霊力チカラはあるらしいけど、先生みたいに視えたりはしないんだぞ?」

 先日、凛子がやってきた際に、春日は強い霊力チカラを持っているとは言っていたが、正直実感のない話だ。

「なんだ、まだ半信半疑なのか? ユースケ、お前安曇神社のお守りで『鬼』を撃退したんだろう?」

「そうだが、あれはお守りそのものが強力だったからで……」

 春日の言葉に、バクが呆れたように息を吐く。

「確かにあのお守りはだいぶチカラの強いものだが、あれを投げつけた程度で普通、鬼の顔は焼け爛れたりしない」

「は?」

「言っただろう? 霊力チカラのある人間が書いた文字は、霊力チカラのある人間が使えばちゃんと効力を発揮すると。そのお守りでもそれと同じことが起きた、それだけのことさ」

「マジかよ」

 バクの言葉に、春日が川野を撃退する様子を間近で見ていた小坂が、呟くように言った。

 言われた当人はやはり信じられないようで、怪訝な顔のまま、じっと自分の手のひらを見つめている。

「やり方は何でもいい。直接貼りつけても、投げつけてもいい。そいつでユースケがハクの動きを止めて、それからセンセイのチカラでボクはハクの中に戻る」

「……わかった、やってみよう」

 春日が頷くと、金色の目が優しく笑うように細められた。

 不意に、和都の身体が前に倒れ込むようにぐらつき、仁科が抱え込むように支える。

「おっと、どうした?」

「……意識のある身体を扱うのは、結構大変なんだ」

 額にじんわりと汗をかき、そう言うバクの息遣いが少し荒い。

「少し休むよ。ボクが離れられるまで、カズトを守ってやってほしい」

「もちろん」

「頼んだよ、センセイ」

 仁科を見つめていた金色の瞳が、ゆっくり閉じられる。

 それからガクン、と崩れ落ちるように身体全体の力が抜けた。

 だがすぐに、ゆっくりと瞼が開いて、今度は黒い瞳が現れる。

「……あ」

「大丈夫か?」

「う、うん」

 仁科の腕の中で意識を取り戻した和都は、何度か瞬きを繰り返して目を擦った。まるで眠りから覚めたかのようだ。

「どこまで記憶ある?」

「あー一応、全部聞こえてたっていうか、見えてたっていうか……」

 和都は仁科の確認に、ふんわりと答える。

 というのも、和都は自分の意識はあるものの、途中から身体が全くいうことを聞かないような状態になっていた。ただ、自分の口から発する声で、バクが話をしている、ということは理解できたので、何が起きて何をしなければいけないのかは、分かっている。

「夢を見ているみたいな感じだったけど。とりあえずは、大丈夫!」

「そうか」

 和都は仁科がホッとした顔に笑って見せ、それからじっと自分の両手を広げて見つめた。

「……おれ、普通になれるのかなぁ」

「どーなるか、分かんねぇけどな」

「まぁ、今よりはきっとマシでしょ」

 小坂がため息をついて言い、菅原が笑って和都の肩を叩いた。

「何かあっても、先生が何とかするらしいしな」

 春日がそう言って、仁科のほうに視線を向ける。

「そうそう。責任をとるのが、大人の仕事だからね」

 言われた仁科は、和都の頭を撫でながら笑った。

 和都は見つめていた両の手を握り、よし、と立ち上がる。

「じゃあ、行こっか!」

 太陽は落ち、辺りはすでに暗い。

 和都達は全ての始まりの場所、白狛神社跡地へと向かった。

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