「あれ? それユースケが持ってた……」
和都が春日のほうを見ると、春日は小さく頷いた。
「実家から持ち帰った本は、全部で四冊あってね」
「……そうだったんだ」
封筒からは仁科孝四郎のもう一冊の日記と、内容を書き起こしたレポート用紙が出てくる。
「殺害後のことは、日付の新しい残りの一冊に書いてあるんじゃないかなーと思って、春日クンに解読を任せてたんだ」
「え、なんで黙って……あ、そうか」
「お前に祟りの話やバクの計画を話したら、自分が死ねばいいって、言い出すに違いないからな」
春日がトゲを含んだ声で、睨むように和都を見て言った。
「そう、だね……」
学校でその話を聞いた時、実際にそう言ってしまったので、仁科や春日が気にかけるのも仕方がない。
「まぁそんで。春日クンの解読によれば、孝四郎は、真之介を殺していない、そうだ」
「えっ」
「こっちの日記には、事件の詳細な顛末も書かれていたらしくてね」
当時の記録は、以下のようにあった。
あの日は、ある村人から『相談事があるから夜中に拝殿に来て欲しい』と言われていた。
話ぶりからしてまた金の無心だろうと思っていた。
約束の時刻になったので拝殿に向かうと、真之介が人と言い争う声がする。
何事かと急ぎ駆けつけたところ、日本刀の突き刺さった真之介が血塗れになって倒れていた。
約束をした、件の村人はいない。
裏の道のほうへ走り去る人影が見えたが、約束した村人かは分からなかった。
真之介を助けるため、日本刀を抜いたところで運悪く下女が来て、バクにも見られてしまった。
「そんな……なんで、弁明しなかったんだ!」
話を聞き終わった和都が、激昂して立ち上がった。
「おい相模、落ち着けって」
隣にいた菅原が慌てて宥めすかし、肩を抱いて座らせる。
憤り、仁科を睨むように見開いた和都の目は、両方とも金色に光っていた。
「……出てきたな、バク」
「えっ!」
菅原が驚いて和都の顔を覗き込む。
和都の黒目がちな瞳全体が獣のような金色に染まり、六本の細長い瞳孔が花のように広がっていた。
「犯人は村の人間だろう?! 言ってくれればアイツらを!」
声は和都と変わらないが、話し方はどこか雰囲気が違う。中身だけが全くの別人になっているようだ。
「だから言えなかったんだ! 村人の誰かと知ったら、お前は村中の人間を襲うつもりだったろ!」
「……っ!」
仁科の言葉に、バクが息を呑んで目を見開く。
「──お前に人殺しをさせたくなくて、言わなかったんだ。自分が殺したと言えば、恨みを自分だけに向けると思って」
白狛神社の
同じ過ちを繰り返さないために、孝四郎なりに考えた結果が、自分を犯人とすることだったのだろう。
「でも、お前は祟り神になってしまった。このまま死んでは真之介に合わせる顔がないと、自害したようだよ。……自殺者は、魂の位が下がるからね」
現世での行いで、神に召し上げられる魂の位は変わる。
魂の位が違ってしまえば、あの世で会うことは叶わない。
かつての親友とは、もう会えないだろう。
それは孝四郎自身が、自分で自分に科した、罰。
「は……なんだそれ。酷い真相だ。……最悪だ」
バクが罪を犯さないようにするために、村人を守るために、嘘をついた。
自分が恨まれることも、厭わずに。
「こんなことならずっと、恨んでいたほうが、マシじゃないか」
金色の瞳から涙が溢れだし、小さな子どものように泣き始めた。
隣に座っていた菅原が、泣きじゃくるバクの頭を優しく撫でる。
「金庫の内側は、魔除の札が貼ってあった。そして白狛神社と孝四郎の記録だけ、さらに札を貼った箱に納められてた。孝四郎の死後もお前に見つかっちゃまずいと厳重に隠されたんだろう。真実を知られたら、あの村のあった辺り一体が、血の海になるから、とね」
怒り荒ぶる祟り神から村を守るために、真相を知った当時の仁科家当主は、今後も末子の命を捧げることをよしとした。
そうして秘された結果、その真相も封じられ、祟りのみが伝わってきたのだろう。
「バク、日記の最後のほうに、俺たちでは読めない文字が書いてあった。お前なら読めるんじゃないか?」
落ち着いてきたバクの様子を見計らって、春日が解読できなかったページを開いてみせた。
バクはそのページを、金色の瞳でジィッと見つめる。
解読できなかった記号のような文字の羅列は二つ。どれもお札に書いてありそうな文字だが、知識のない自分たちが読む解くことは難しい。
「……これは、使役している神獣への『勅令』だな。これらを使ってボクらに命令を出すんだ。これで命令されたことに、ボクらは逆らえない。……ひとつは『魂から離れろ』というものだ」
「魂から離れる?」
「そう。ボクら神獣は稀に人間に憑依して、そいつを操ったりすることもあるんだ。今みたいにね。それをやめさせる時に使う命令だよ。そして、もうひとつは……」
もうひとつの文字を見つめたまま、バクが止まる。
「こっちは、なんて?」
「……これは、命令じゃないな」
書かれていたのは『神獣』と『罰』、それに対しての『否定』。
それから『神獣』と『許容』を意味する文字。
──ああ、そういうことか。
「……『君は悪くない。君を赦そう』か」
命令でも何でもない。
自分たちにしか読めない言葉で書いた、伝言だった。
「勅令用の古語で何を書いてるんだアイツは……」
愛おしそうに文字を撫でながら、バクが呟く。
少し斜めに尻上がる、癖のある懐かしい孝四郎の筆文字。
それだけで充分だった。
「──まさか本当に、一五〇年以上前に葬られた真相を見つけてくるなんてね。……完敗だよ」
はぁ、とバクは天井を仰いで、大きく息を吐く。
「それじゃあ……!」
「かつての
「よっしゃ!」
バクの言葉に小坂と菅原が喜びの声を上げ、仁科と春日はようやくホッとしたように胸を撫で下ろした。
ひとまずこれで、和都も仁科家も、祟りから解放してもらえる。
そう安堵したものの、バクはどこか考えるような顔をしていた。
「………ただ、少し気がかりな部分がある」
「気がかり?」
「祟り神のボクはね、取り憑いてる人間の魂に
悪霊や鬼が人に取り憑く場合は魂に掴まるだけだが、祟り神は簡単に離れないようしっかりと掴まるために、自分の一部を取り憑いた人間の魂とぴったり癒着させた状態になるらしい。
「え、じゃあ次の人間に取り憑く時って?」
「齧り付いた部分を切り捨てることで離れている」
「なるほど、トカゲの尻尾切りみたいな感じで離れるのか」
「そう。だから祟り神のボクは、もう何十代かすれば、全部削れて消滅する予定だったのさ」
自分の魂と引き換えの、壮絶なる八つ当たり。それが祟りなのだ。
「まぁそういう予定だったから、生きている人間の魂から無理に離れた場合、カズトにどんな影響が残るのか、分からないんだ」
これまでは死んだ人間の魂からしか離れたことがなかったので、気にしたことがなかった。
生きた人間の魂に、神獣や祟り神の一部を残すということは、それなりに影響が残ることになる。
「それでもいいかい?」
「他に方法がないなら」
仁科はバクの目をジッと見つめて、迷いなく頷いた。
生きていてくれるなら、それ以外は些末なことだ。
「コイツに何か影響が残っても、それは全部、俺がなんとかするよ」
「……そう。やっぱりお前は、孝四郎によく似てる」
大変なことを、全部一人でなんとしようと、抱え込む人だった。
だから、側で支えて、助けてやりたかった。
でも、孝四郎と違うのは、ちゃんと誰かに助けてほしいと言えるところ。
「末裔なんでね」
仁科がそう言って笑ってみせた。
離れた後のことは、きっと問題ないだろう。