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08-02

〈次は、一年生による学年種目、玉入れです〉


 お昼休憩明けすぐの応援合戦、二年生の学年種目が終わると、次は三年生の学年種目『組体操』である。

 以前よりある程度見直され、危険性を減らした競技種目になったとはいえ、思った通りにケガ人が多く出てしまい、救護テントは二年の保健委員全員が対応に当たるという、悲惨な状況になっていた。

「……俺は、組体操なんていう文化は、早々に消滅したほうがいいと思ってるんだけどね」

「先生、愚痴ってないで仕事して!」

「はーい」

 主に落下による打ち身や軽い捻挫が多い。冷やすために持ち込んでいた冷却シートが、午後の分として多めに置いていたのに、あっという間に無くなった。

「あれ、もう冷却シートないじゃん」

 保管用の保冷バッグを覗き込んだ仁科は、呆れたように言うと、仕方ない、と息をついて白衣のポケットから鍵を取り出す。

「相模、保健室にある予備の分、持ってきてくれる?」

「わかったー」

 和都は保健室の鍵を受け取ると、本校舎西側の端の方へ向かって走り出した。防犯の関係から、体育祭の間は本校舎の西側通用口しか鍵が開いていない。人の隙間を縫うように走り抜け、西側通用口にたどり着くと、そこで外履きを脱ぎ、今度は反対の端へ向かって廊下をまっすぐ走った。

 仁科から預かった鍵を使って保健室に入ると、冷凍庫で冷やしておいた予備の冷却シートを、用意した保冷バッグに詰めていく。

「……あ、追加で冷やしといたほうが、いいよな?」

 午後の部はまだ前半戦。後半には選抜棒倒しや教職員リレーなど、ケガ人の増えそうなプログラムが控えている。ケガ人は出ないほうがいいに越したことはないが、出てしまった場合に対応できるようにはしておくべきだろう。

 和都は冷凍庫にできた隙間に、予備の冷却シートをいくつか放り込んで、保健室を後にした。

 誰もいない、静かで薄暗い校舎内。

 外から聞こえる歓声を聞きながら、保冷バッグを持って足早に進んだ。靴下だけの足音は、廊下の上でペタペタと軽やかに反響する。

 本校舎の真ん中あたり。

 ちょうど中央階段を通りすぎた時に、違和感があった。

「……ん?」

 通り過ぎてから視界の横に何かを見た気がして、少しだけ後ろに戻る。

 中央階段。

 校長室と事務室の間にあって、主に職員が使用することになっている階段だ。

 一階から上に伸びる階段があって、踊り場があって、その先は二階に繋がる、その裏。所謂、段裏と呼ばれる箇所から、スゥーっと一本ロープが下がり、その先端に、人がぶら下がっていた。

「え?」

 半透明の、人間。幽霊だ。

 後頭部と背中は視えるが、顔は分からない。

 真下は教職員用の中央出入口と、ゴミの集積場所があるのだが、それよりも高い位置に、いる。

 どう見ても首を吊った状態のそれは、ゆらゆらと揺れながら、ゆっくりゆっくり、こちらを向こうとしていた。

 顔を視たら、よくない気がする。

 和都はハッと我に返ると、西側の通用口に向かおうと再び走り始めた。しかし。

「何してるの?」

 通用口の方から、小豆色のジャージを着た人物がこちらに向かって歩いて来るところだった。

「……堂島、先生」

 思わず足が止まる。

 堂島の目の色は普段通りの黒色で、表情もいつもの授業の時のように穏やかなままだ。

「相模くん、何か視えたのかい?」

「あっ、いえ、その……なんでもないです。気のせいでした」

「本当に?」

「はい。あの、すみません。急いでるんで」

 和都は堂島の脇をすり抜けて通用口へ向かおうとする。

「邪険にされちゃうのは悲しいなぁ」

 壁に向かって腕が伸びてきて、通り道を塞がれた。

「そんなこと、ないですよ」

 視線を逸らし、なんとか離れようと後退りをするも、堂島がじわりじわりと近づいてくる。気付くと事務室と放送室の間の壁に追い込まれてしまっていた。

「そうかなぁ?」

 身体が近い。大きな手が伸びてきて、頬を撫でた。

 背筋がぞくりと粟立つのが分かる。

「仁科と同じくらいには、仲良くなりたいんだけどなぁ?」

 ゆっくり近づいてきた顔のその目が、赤く光っているように見えた。

 ──……『鬼』!

 身体が強張る。

 保冷バックの持ち手を握っていた手のひらが、緊張で滲んだ汗でベタつく。

「あの、本当に急いでるんで」

 震える声で言いながら、あいているほうの手でなんとか頬に伸びた手をやんわり押し除けたのだが、その手首を大きな手にぐっと掴まれた。

「細いねぇ、腕」

 ゴツゴツして節の大きな手が、和都の手首を握ったままぎゅうっと力を込める。

「……いたっ」

 痺れるような痛み。下手に抵抗をしたら、そのまま腕を折られるような気がした。そもそもの体格差が違いすぎる。力で敵うような相手ではない。

 ──どうしよう。

 ハクを呼ぶべきだろうか? 校舎内なので人目はないが、騒ぎになったらそれはそれで面倒なことになりそうである。

 この現状から逃げる術はないか、と考えを巡らせている、その時だった。

「あ、いた! 相模ー!」

 通用口のほうから知った声がこちらを呼ぶ。驚いて声のするほうに視線を向けると、遠目に自分を呼ぶ菅原と春日が見えた。

 声に気を取られたのか、腕を掴んでいた手の力がふっと緩む。

「呼ばれてるんで、失礼します」

 和都は腕を振り払いながらそう言うと、逃げるように通用口に向かって駆け出した。

 通用口にたどり着き、待っていた二人の顔を見て内心ホッとする。

「何してたんだよ」

「んー、ちょっとね……」

 菅原の質問に、外履きを履きながら和都は言葉を濁した。説明するにしても、この状況はなかなか難しい。

 春日がふと廊下の方へ視線を戻すと、小豆色のジャージを着た人影は居なくなっていた。

「あー、それより相模。次の障害物の招集始まってるぞ」

「え、そんな時間? これ先生んとこ持っていかないとなのに」

 クラスの招集係でもある菅原にそう言われてしまい、和都は頼まれていた冷却シートの入ったバッグを見つめる。いつの間にかだいぶ時間が経っていたようだ。

「俺が持ってく。鍵も渡しておくから」

 出番があるわけではないのに、菅原と一緒に自分を探し回っていたらしい春日が手を差し出すので、和都は保冷バッグと保健室の鍵を渡す。

「ごめんユースケ、頼んだ!」

「よし、行くぞ相模」

「うん!」

 菅原と和都が集合場所に向かって走っていくのを見送って、春日は預かった保冷バッグを持ち直すと、足早に救護テントへ向かった。



 ──うっかりしてたなぁ、くそ。

 救護テントで仁科がそわそわと落ちつかない様子で待っていると、人混みをかき分けるようにして知った声がこちらを呼ぶ。

「仁科先生」

「ああ、春日。相模、見つかった?」

「はい」

 普段通りの春日の様子に、仁科は少しだけホッとした。

「次の競技の集合時間になったんで、代わりに持ってきました」

「助かる。ありがとね」

 春日から保冷バッグと保健室の鍵を受け取って、仁科はやれやれと息をつく。

 つい普段のように和都に頼み事をしてしまったばっかりに、一人きりの時間を作ってしまった。立場上、そう簡単に動けないので、春日と菅原が探しに行くと言ってくれた時は正直助かった。

「あの、先生……」

「ん?」

「さっき、探しにきた時『マズいな』って言ってましたよね。何だったんですか?」

 何かしらを窺うような顔で、春日がこちらを見ている。

 どうやら自分が動揺していたことに気付いていたらしい。

「……あら、そうだった?」

「何か、知ってるんですか?」

「何を?」

「……言えないなら、いいです」

 春日が息をついて、救護テントから去っていった。

 きっと、和都を探している過程で何かしら見たのだろう。

 加えて、自分の様子もあった上での質問だというのは分かる。

 ──ごめんな、春日。

 和都が春日に言えないことを、大人が勝手に言うわけにはいかない。

 これはきっと、和都自身が春日に直接話すべきことだ。

 大人が子ども同士の友情に、口を出してはいけない。

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