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狛杜高校における体育祭での組分けは実にシンプルである。各学年の一、二、三組が白で、四、五、六組が赤と決まっており、本校舎の東側と西側で分かれる形だ。
そのため放課後の白組二年生による選抜騎馬戦練習は、一〜三組の選抜メンバーのみで行われる。一クラスから三組、計十二人が選出されるのだが、和都は春日と同じグループで、小坂と菅原もそれぞれ別のグループに選ばれ、練習に参加していた。
放課後の練習内容としては馬役と騎手役の顔合わせと、ルールの確認。それから実際に動いてみたり、軽く対戦をしたりといった感じで、練習自体は問題なく進む。
練習監督が堂島だったこともあり、若干警戒していたのだが、チカラが増えて『いやなもの』への耐性がついてきたためか、普段の授業を受ける時と同様、とくに気持ち悪くなることはなかったので、和都は正直ホッとしていた。
堂島は『鬼』に憑かれているという部分を除けば、悪い先生ではない。気さくで話しやすいためか、周囲の生徒たちからの人気も高い先生である。ただ、和都はあの目がそのうち赤く光るのではないか、と思うとどうしても緊張してしまうので苦手だ。
「じゃー練習はここまでー」
一組の選抜リーダー役の掛け声で、無事に騎馬戦の練習は終了する。
何事もなく終わり、ホッと胸を撫で下ろしながら校庭から第二体育館と本校舎の間にある通用口へ向かう途中、和都はあっと声を上げた。
「やべ、ジャージ!」
練習当初は着ていたジャージを、途中で脱いで校庭の隅に置いていたのだ。和都はすぐに校庭へ戻って放置していたジャージを回収すると、再び教室へ向かう列の最後尾に並ぶ。自分が一番最後だと思っていたのだが、不意に後ろから肩を叩かれた。
「なぁおい、相模」
驚いて振り向くと、白組のハチマキにグレーのジャージを着た小坂が立っていた。菅原たちと先に教室へ向かったと思っていたが、後ろにいたらしい。
「あれ、どうしたの?」
「ちょっと体育倉庫に持ってくものあるから、手伝ってくんない?」
「あぁ、わかった」
先ほどの練習で使ったものだろうか。言われて後を着いていくと、練習で使ったと思われるライン引きが三台、そのままになっている。
──あれ? 三つも使ったっけ?
一台は確実に使っていたのを見た記憶があるが、三台も使っていただろうか。
しかし先ほどまで校庭を使っていたのは自分たちだけなので、自分の見えていないところにもあったのかもしれない。
「わりぃわりぃ。さすがに一人で三台は無理でさ」
「ううん、へーき」
小坂が二台運び、残り一台を和都が運ぶ。体育倉庫は校庭の隅のほう、第二体育館の横にあるので、たいした距離ではない。
体育倉庫に着くと、大きくて重たい引き戸を開け、小坂が先にライン引き二台を持って中に入っていく。和都もそれに続いてライン引きを運び込んだ。
「あれ?」
先に入ったはずの小坂がいない。
辺りをぐるりと見回す。体育倉庫の中は、体育の授業を外で行うときに使う平均台や跳び箱、サッカーボールや野球の道具などが雑然と並んでいるだけ。明かりはつけていないが、出入り口から外の明るさが差し込んで中は薄ら明るい。
「小坂ー?」
とりあえず運び込んだライン引きを、すでに並んでいるものと同じ場所に置いた。
どこに行ったのだろうと再度倉庫の中を見渡すが、どうにも様子がおかしい。人の気配がないのだ。そんなに大きく広い場所ではないし、人の隠れられそうな箇所がそもそも見当たらない。
不審に思っていると、背を向けていた出入り口が、ズズ、ズズ、と徐々に閉まり始めていた。
「え、ちょっと?!」
慌てて出入り口の引き戸へ駆け寄った。閉められないように押さえてみるが、相手の力のほうが強いのか、歯が立たない。
「くそ、何すんだよ!」
そう言って閉まり始めた隙間から外を見る。引き戸を閉めようとしている人物の顔が見えた。
しかしそれはよく視ると、小坂ではない。
──あ、こいつ……!
隙間から視えた顔は、小坂と雰囲気は似ているものの全く違う別人だった。目の辺りは真っ暗でぽっかりと穴が開いたようになっており、口元は三日月のように吊り上がっている。そして、胴体はちょうど胸の下辺りでぶっつり切れていて、下半身がなかった。
相手は鬼ではないが、この体育倉庫の扉は外から鍵を掛けるタイプなので、完全に閉められて鍵を掛けられたら、逃げられない。
──どうしよう!
閉められないように戸を逆方向に引っ張るが、腕力では到底敵いそうになかった。ずるずると開いていた隙間が少しずつ狭くなっていく。
その時だった。
〔カズトになにするんだ!〕
頭の中に響く、ハクの大声。和都は驚いて、だいぶ細くなってしまった引き戸の隙間から外を覗き見る。
首から上しかない白い犬が、小坂に成り済ましたナニカに向かって大口を開けていた。大きさは普段の数倍以上に大きくなり、白くて荒々しい牙を剥いている。
「ハク!」
和都が驚いているほんの僅かな間で、唸るような声と共にハクはその得体の知れないものに喰らいつき、飲み込んだ。
あれが、『狛犬の目』と対になる『狛犬の牙』だろうか。
普段の無邪気で明るい様子とは違い、強大で荒れ狂う獣のような雰囲気に、和都は圧倒されて息を呑んだ。
「……ハク?」
和都が細い隙間から恐る恐る呼びかけると、巨大に膨れ上がった犬の頭部は、シュルシュルと風船の空気が抜けるように萎んでいき、いつものサイズへ戻っていく。そしてくるりとこちらを向いた。
〔カズト、大丈夫ー?〕
よく知るハクの姿が普段通りの明るい声でそう言ったので、和都は胸を撫で下ろす。
「う、うん。ありがとう」
そう言いながら、閉められかけた引き戸を押し開けて外へ出た。
「すごいね、ハク。ビックリしちゃった」
〔えへへー。カズトのチカラが強くなってきたからね! これくらいのヤツなら追い払えるよ!〕
「あー、そう……なんだね」
得意げなハクの言葉に、忘れていた仁科の家での出来事を思い出してしまい、和都はうなだれる。あれが効率よくチカラを増やす行為だというのは分かっているが、こうも結果を目の当たりにするとなんだか妙に悔しい。
和都はため息をついて体育倉庫を閉め、教室へ戻ろうと第二体育館側の通用口へ向かう。その途中、視線を感じてそちらを見ると、本校舎中央にある職員用の通用口の辺りに人影が見えた。
背の高い、小豆色のジャージを着た人物。
──……堂島先生。
もしかしたら、ハクが食べてしまったアレは、彼が差し向けたものだったのかもしれない。
用心しなければ、と考えているところへ、通用口の方から声を掛けられた。
「和都!」
ジャージ姿のままの春日だ。どうやら自分が居ないことに気付いて、探しに戻ってきたのだろう。
「どこ行ってたんだ?」
「あー、えと。ライン引き、片付けてて……」
校庭に置き去りにされていたものを、ちゃんと体育倉庫に片付けてきたのだから、これは嘘ではない。
「……そうか。着替えて帰るぞ」
「うん」
春日の後を追って通用口から本校舎へ戻る。
その前にもう一度職員用の通用口の方を見たが、そこには誰もいなかった。