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07-01

 神社。森の中の立派なお社。朱塗りの鳥居。

 白い着物に浅葱色の袴の人が境内を掃除している。

 ■■■様だ。

 おはよー、■■■様。今日もいい天気だね。

 そうだね、バク。今日も一日、出入り口を守っておくれよ。

 もちろんだよ、■■■様。

 嬉しい気持ち。幸せな気持ち。

 ああ、バクはこの人が大好きで、だからここをずっと守っているんだね。

 バク、バク。

 なぁに、ハク。

 そろそろお参りの人が来てしまうよ。

 そうだね、戻らなきゃ。

 今日が始まるね。

 今日が始まるよ。

 鳥居の内側。

 平らな白い石を敷き詰めた参道。

 その両脇に向かい合わせに置かれた、四角い石の台座に登る。

 これが仕事。

 ぼくの、仕事。



 目覚めると、優しい気持ちと悲しい気持ちで胸がいっぱいだった。眠りながら泣いていたようで、涙が溢れて止まらない。

「……なんだ今の夢」

 見たことのない場所だったし、出て来た人物も知らない人だった。目線は普段より低くて、まるで四つ足の生き物の高さくらい。

「バクの時の記憶、かなぁ?」

 まだ止まる気配のない涙を手で拭いながら、和都はベッドの脇に置いていたノートを開き、ベッドの上で寝転がったまま夢の内容を書いていく。昨晩ベッドの中でノートと睨めっこをしていたのが、妙なところで功を奏したようだ。

 見えたもの、感じたこと、起きた出来事を書ききってから、ふと仁科に言われたことを思い出す。

「あ、送れって言われてたな……」

 枕元に置いていたはずのスマホを探しだすと、チャットアプリの送信画面を開いた。メモした内容を打ち込もうとしたが、途端に面倒くさくなり、メモしたノート自体を撮影して、そのまま仁科宛に送る。

 時間が早朝なせいか、メッセージ内容を見たことを示す『既読』のマークはつかない。普段から寝坊するような人なので、きっと暫くは気付かないだろう。

 スマホの画面を閉じて放り、涙がようやく止まった顔を枕に埋めた。仁科の名前を見ると、どうしても土曜の出来事を思い出してしまって、顔が熱い。

 ──先生、ホント何考えてるんだろ。

 言われるまま家に着いて行ったのは、正直、よくなかったかもしれない。けれどあの日、帰る直前のあれ以外で、特に何かをされたわけではないし、仁科の家で一緒にアルバムを探さなければ白狛神社の行方は分からないままだっただろう。

 そして何より一番驚いたのは、仁科に対して怖いとか嫌とかそういう感情が全く起きなかった自分自身。

 ──なんか、絆されてきてる気が、する……。

 毎朝の日課のせいなのか、頼れる大人が仁科しかいないからなのか、同じ世界を共有できている理解者だからなのか、もうどれが理由か分からない。

 自分でもよく分からないが、ただ一つだけ確かなことがあった。

「……ユースケに言ったら、先生殺されちゃうだろうなぁ」

 春日はすでに、仁科相手にイエローカードを出している。次に何かあれば、優秀な『番犬』はすぐ策を講じるに違いない。彼はこれまでも、ずっとそうしてきた。

「バレないようにしないとな……」

 安曇神社に移動したと思われる白狛神社については、仁科が親類に連絡して、現在も存在しているかどうかの確認をしてくれることになっている。上手くいけば移動の経緯や鬼を封じた方法の手がかりに繋がるかもしれない。

 そんな状況なので、仁科が居なくなってしまうと、それはそれで大変困るのだ。

 ──……変な感じ。

 枕に顔を埋めたまま、和都は眉を下げて笑う。

 困ったことがあれば、今までは春日に頼ればよかった。自分の唯一の『味方』で、幽霊が視えて困る以外のことは、全部彼が助けてくれる。だから、話せることは全て話したし、信頼してはいるが、彼は先生と同じような『視える』人間ではない。

 きっと話したら、巻き込んでしまう。彼には今以上の負担をかけたくない。

 別の意味で執着する彼に、話せないことが増えてきた。

 春日祐介にバレてはいけない。



◇ ◇



「おはよーございます。今日は放課後、騎馬戦の練習あるんで、お手伝い無理デス」

 朝の観察簿を届けに来た和都の第一声がそれで、仁科は観察簿を受け取りながら小さく笑った。

「はい、おはよ。あら残念、明日は?」

「明日は選抜リレーの練習が……」

 中間テストが終わるとすぐ、狛杜高校は学校全体が体育祭に向けての準備で忙しくなる。

 保健委員は体育祭で救護班として動くので、その順番を決めたり、手当ての方法や応急処置用品についての見直し等をしなければならない。それに加え、毎月の健康習慣ポスターの張り替えや、水回りの衛生チェック等もあるので普段以上に仕事が多いのだ。

 しかしこの時期は、保健委員唯一の暇人である和都自身が、珍しくめちゃくちゃに忙しくなる。

「さすがにこの時期は大人気だねぇ」

「仕方ないでしょー」

 今週は週の頭から、毎朝ずっと仁科とそんなやりとりをしていた。

 もちろん仁科は、昨年の体育祭で和都がどれだけ活躍したかを知っているので、呆れつつもちゃんと理解している。

 ちょうどそこへ、観察簿を持ってきた保健委員の一年生が二人やってきた。

「あの、今日オレたち塾ないんです」

「放課後のお手伝いなら、できるんで!」

 おずおずと申し出てくれた二人に、仁科は観察簿を受け取りながらにっこり笑う。

「そう? じゃあお願いしようかな」

「ごめんねー。じゃあ、よろしく!」

 そう言うと、和都は一人足早に保健室を去っていった。





 放課後、保健室には手伝いを申し出てくれた、一年生の宮田と長谷川がやってきた。

「んじゃあ、行きましょうかね」

「はい!」

 今日は定例となっている校舎内の水回り衛生チェックと、健康保健ポスターの貼り替えである。今回は手伝いが二人もいるので、貼り替えポスターを分担して持ってもらい、仁科はほぼ手ぶらのまま、一年生二人を引き連れて校舎の四階へ向かった。

「先生、もっとオレら一年に仕事振っても大丈夫ですよ?」

「そうですよ。相模先輩ばっか手伝ってて、なんか申し訳ないです」

 掲示板へ辿り着き、仁科が剥がしたポスターを手渡すと、二人が口々にそんなことを言う。新しいポスターを受け取りながら、仁科はにこやかに返した。

「あぁ、別に気にしなくていいよ」

「でも……」

 和都は委員の仕事も真面目に取り組み、分からない人には丁寧に仕事を教えるせいか、そこそこ一年生の委員からウケが良い。この二人もどうやら一方的ではあるが、和都を随分と慕っているようだった。

 仁科がそこまで手伝いの必要がない仕事でも和都に振っているのは、彼の霊力チカラを増やすために、一緒に過ごす時間を作るためなのだが、そんな都合を彼らに話すわけにもいかない。

「……相模の面倒な探しものを手伝う代わりに、コキ使っていいって約束しててね」

「探しもの?」

「まー色々あんのよ。だから気にしないでいいよ。他のやつらには内緒な」

 そう言って、仁科は二人に向かって口元に人差し指を当てて見せた。随分ふんわりとした表現だが、間違ってはいないので大丈夫だろう。

 ちょうど中央階段の前を横切ろうとしたところ、踊り場の大きな窓から校庭でグレージャージの生徒たちが騎馬戦の練習をしているのが見えた。多分、和都たちだ。

「あ、あれ相模先輩じゃない?」

 同じように騎馬戦の練習をしているのに気付いた宮田が、立ち止まって声を上げる。

 やたらデカい馬役の生徒の背中に乗り、白のハチマキにグレーのジャージを着た和都が見えた。真ん中の馬役である春日の背中で事足りるらしく、左右の馬役はほぼ寄り添っているだけである。

「相模先輩、遠くからでもわかりますね」

「一番ちっこいからね」

 仁科が視線を校庭の端のほうへ向けると、小豆色のジャージを着た男が見えた。騎馬戦の練習をみているのは堂島らしい。

 基本『鬼』は人前で正体を現わすことを避ける傾向にあり、これだけの生徒がいる前で何か仕掛けてくることはないだろう。

 もし万が一何かあっても、和都のそばに春日がいるのなら大丈夫なはずだ。

「それにしても、相模先輩が騎馬戦に出るのは分かるんですけど、百メートル走とかリレーの選抜に選ばれるの、なんか意外でした」

 長谷川が校庭に視線を向けたままそう言うので、仁科はああそうか、と口を開く。

「あー、お前ら一年だから知らないのか。アイツね、あー見えて足めちゃくちゃ速いのよ」

「え、そうなんですか?」

「うん。去年の体育祭でも、陸上部ぶっちぎってた」

「マジですか」

「スゲェ!」

 宮田も長谷川も、校庭を駆ける和都に尊敬の眼差しを向けていた。

 彼は『狛犬の目』なんてものがなくても、もともとの器量の良さから人を惹き寄せるタイプなのだろう。チカラのせいで過剰になっているだけで。

 霊力チカラが増えれば、倒れることはなくなり、過剰な惹き寄せもなくなるそうだが、きっと下駄箱の手紙や呼び出しが減るくらいだろうな、と仁科は内心苦笑する。

「さ、残りちゃっちゃと片付けようか」

「はーい」

 素直に返事をした一年生たちを連れ立って、仁科は見回りを再開した。

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