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06-02



「あと一箇所かぁ」

「これで違ったらフリダシに戻る、だな」

 よく晴れた行楽日和。太陽はまだ随分と高い位置にある。

 残り一箇所は、山の一番高い位置を通る道路の途中、カーブの膨らみの先に小さく駐車場のような空き地がある辺りだ。

「そこって車駐められそう?」

「駐められるんじゃないかな。地図で見た感じ、結構広そうだし」

「じゃあそこで一旦駐めるか」

〔ここ!〕

 不意に後部座席の方から、少年のような声が聞こえてきた。和都がそちらを見ると、運転席と助手席の隙間から、白い毛並みをした犬の頭部だけのお化けが、半透明の鼻先を突き出している。

「あ、ハク」

 和都の呼びかけにも答えず、ハクは興奮したように車の進む先を見つめて声を上げた。

〔ボク、ここ知ってる!〕

「本当?」

 どうやら元狛犬の、曖昧になっている記憶のセンサーにわずかだが引っかかったらしい。先に回った二箇所ではなかった反応だ。

 休日の割に対向車もあまりない坂道を登っていると、少し開けた、簡素な駐車場のようなところが見えたので、そこへ侵入して車を駐める。

 車から降りてみると、上りからも下りからも分かりにくい位置に、通路のようなものが見えた。背の高い雑草を少しかき分けて入ってみると、奥へ続くなだらかな登り坂。

「……この先?」

〔ここ! うん、ここだぁ!〕

 ハクが嬉しそうに空中でくるりと円を描き、そのままその道の先へと飛んでいく。和都はハクを追いかけるように坂道を駆け上がり始めた。

 仁科はその様子を後ろで眺めながら、辺りを観察しつつゆっくりと登る。足下をよく見ると、すっかり崩れているが以前は石段だったようで、所々に石を積んでいたような形跡が残っていた。確かにここには、かつて人の手で作られた階段があったらしい。

 登り切った先にはぽっかりと開けた空間があった。雑木林の壁に囲まれた、雑草と砂利だけのだだっ広い空き地。

「確かに、小さい神社ならこのくらいの広さかなぁ」

 小さめの拝殿と本殿なら、すっぽり入りそうな広さだ。

 手が入らなくなって数年経った程度なのか、そこまで酷く荒れてはいない。

 予想していたような『鬼』たちの拠点になっている感じはしないが、昔は神社だったというわりに、風通しも悪く、淀んだ重い空気が漂っている。

 ぐるりと辺りを見渡しながら、登りきった仁科がそんなことを考えていると、奥の方からハクの悲痛な声が聞こえてきた。

〔ぬわあああ! 祠が! 封印がぁあ!〕

 声のする方へ視線を向ける。

 敷地の一番奥のほう、幹の途中から根本に向かって斜めに裂けるように折れ、真っ黒く焦げた大きな木が一本、地面に横倒しになっていた。

〔どうしよー! どうしよー! アレ、開けたら出てきちゃうんだよぉ! ダメなヤツゥ!〕

 ハクがあたふたと、倒木の周りをぐるぐると回りながら大騒ぎしている。

「これまたがっつり折れてんなぁ」

 残っている幹が真っ黒く焦げているところをみると、大木に雷でも落ちたのだろう。そうして落雷により折れた先端は、祠のあったところを運悪く直撃したようだ。

「ねぇハク、封印てなに? あそこに祠があったの?」

 空中でひたすらぐるぐる騒ぐハクに向かって和都が叫ぶ。

〔思い出したの! あの祠、鬼が出てくるから開けちゃダメなんだよぉ!〕

 どうやら懐かしい場所に来たことで、曖昧だった記憶が少しばかり蘇ったようだ。

 開けてはいけない祠、鬼を封じた場所が壊れている。ということは、だ。

「……なるほど。どうやらコレのせいっぽいね」

「じゃあやっぱり、堂島先生と川野先生にはここから出てきた『鬼』が憑いてるってこと?」

「その可能性が高いなぁ」

 倒木へ近寄ろうと、和都はかつて参道でもあったような場所を歩き始めた。その途中、脇にあった、大きな石の塊に視線が吸い寄せられてしまう。

 それはかつて、何かの台座として形造られていたようで、参道だった場所を挟むように一対置かれている。

 ──ああ、そうか。

「……おれ、ここにいた?」

 和都がポツリとそう言った。

「相模?」

 仁科が思わず声を掛けたが、和都はそれに応じることなく、フラフラとした足取りで、倒木の方へと近づいていく。

「あ、おい!」

 様子がおかしい。思わず追いかけて仁科は和都の腕を掴む。

 そこでようやくこちらを向いた和都の額から、半透明の折れた角が伸びているのが見えた。そして、見開いた目はいつもの黒い瞳ではなく、まるで獣のように全体が金色になっていて、その中心に六本の線のような瞳孔が、花のように放射状に並んでいる。

「ここで……」

 言葉と共に、金色の瞳から涙が溢れ出した。

 仁科は和都の腕を掴んだまま何も言えず、その金色の目を見つめる。

 だがすぐ、何かを言おうと口は開いたまま、瞳の色は溶けるように蜂蜜のような金から、いつもの夜空のような黒い色に戻ってしまった。

「……あ、あれ。涙? なんで?」

 正気に戻ったらしい。

 気付けば額から伸びていた角も見えなくなっている。

「大丈夫か?」

「うん。なんか、いろんな記憶とか感情がいっぱい見えて。……よくわかんない」

 着ていたパーカーの袖で、和都は懸命に涙を拭うが、涙はなかなか止まらない。

〔……そっかぁ。バクの記憶、ここに残ってたんだね〕

 和都の様子に、ハクが普段はピンと立っている耳をへにゃりと下げてそう言った。

「バクが自分で、破いちゃったってヤツ?」

〔うん。そしてそれが、カズトの中に戻っていったんだ〕

「……なるほどね」

 ハクの説明に、仁科は持ってきていたハンカチを和都に差し出す。

「ごめん、先生」

「気にするな」

 受け取ったハンカチで涙を拭く和都の頭を、仁科は優しく撫でた。あの金色の瞳と角こそが、狛犬であった頃の片鱗なのだろう。

 和都がようやく落ち着いてきた辺りで、ふと登ってきた道の方から足音が聞こえてきた。

 だんだんと砂利を踏み締める音が近くなり、そうして見えてきたのは知っている顔。

「話し声が聞こえたので先客がいそうだとは思いましたが。知っている顔にお会いするとは」

 学校で見るようなキッチリとしたスーツではなく、アウトドア用のカジュアルなベストを身につけ、ツバのある帽子を被った、川野だった。

「……川野先生」

「仁科先生はどうしてこんなところへ?」

「近くに諸用で。……休憩に下の広場へ車を駐めたら変な道を見つけたので、ちょっと来てみただけですよ」

 それらしい返答をしつつ、仁科は近づいてきた川野から、和都を庇うように前に立つ。学校で和都を追いかけ回していた相手だ。油断は出来ない。

「ほぉ? 休日に特定の生徒と、二人きりで?」

「あぁ、赴任してきたばかりの川野先生はご存じないでしょうが、私と相模は遠縁の親戚でしてね。ちょっと、それがらみの用事があったもんで」

「ああ、そうだったんですね。……知りませんでした」

 可能性が多少なりともありそうな、新任の人間相手にだけ使える嘘だ。

 川野の視線がちらりと和都を向いたので、仁科は和都が背後に隠れるように、少しだけ身体をズラす。

「川野先生こそ、なぜここへ?」

「休日はいろんな史跡や神社なんかを探索するのが好きでしてね」

「そんな趣味を持っていらしたんですね」

「ええ。この辺りにも古い神社跡があると聞いて探していたところで」

「あぁ、そうなんですね。ここもそういった場所なんでしょうか?」

「そのようです。すっかり朽ちているので、実際はどのような場所だったかは分かりませんが」

 表情は少しばかり険しいまま、学校にいる時のように互いに穏やかな口調で交わす。しかし、このままでは埒が明かない。

 仁科は何気なく腕時計を見てから言った。

「あぁ、そろそろ行かないと」

「……おや、そうですか」

 再び川野の視線が和都に向くので、仁科は少しばかり呆れてしまう。これは学校でも注意しておいたほうが良さそうだ。

「相模、行こうか」

「は、はい」

「我々はこれで。それじゃあ、ごゆっくり」

 そう言って、なんでもない風を装いながら、二人で神社跡地を後にする。車を駐めた場所まで戻ると、仁科の車の他に、見慣れない軽自動車が一台駐まっていた。川野の車だろう。

 そちらを横目に、足早に車へと乗り込むと、仁科はすかさずエンジンをかける。和都も慌ててシートベルトをしめた。

「……先生、すっごいナチュラルに嘘ついたね?」

「大人だからね」

 和都の言葉にしれっとした顔で返しつつ、神社の出入り口だったほうへ視線を向ける。まだ川野が出てくる気配はない。

「とりあえず場所を変えよう。追いかけてこられても困るし」

 そう言って車を発進させた。

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