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放課後は、仁科と一緒に学校内のポスターを貼り替える作業である。
「今までそんなに意識してなかったけど、保健ポスターって結構たくさん貼ってるんですね」
一年生の教室がある本校舎四階から順番に、各階の階段やトイレ付近にある掲示板に貼られた保健関係のポスターを貼り替えていく作業。普段は用務員の野中さんがする仕事だが、手洗い場やトイレなどの水回りの衛生チェックも兼ね、時折こうして仁科自身が定期的に巡回もしている。
「そうよー。本校舎以外にも、特別教科棟にもあるからね」
「うへぇ……」
本来なら養護教諭一人でも十分なのだが、仁科と一緒にいることで必要なチカラを増やせるということもあり、和都は貼り替えるためのポスターを運ぶ荷物持ちとして、一緒に校内を巡っていた。
「そういや、相模って一年の時の委員なんだった?」
「……美化委員です」
「あぁ、一番楽なやつだ」
美化委員の仕事は特別教室を使った後の忘れ物確認や、各教室の清掃後のチェック、行事後の清掃などが主な仕事なので、委員の中では割と楽なほうだった。それもあって、保健委員の仕事量には驚くことが多い。
本校舎のポスター貼り替えと点検が終わったら、特別教科棟の南棟へ足を向ける。
「そういや、神社の場所は分かったのかい?」
「調べてるけど、全然手掛かりが掴めませんっ」
「先は長そうだねぇ」
「学校の図書室でも調べたんですけど、お寺については沢山あるのに、神社の情報があんまないんですよね」
南棟の三階から順番に作業を終えつつ、階段を降りていく。
窓の外を見ると、太陽が傾き始めていて、空の青が白っぽくなってきていた。
「そういや、この学校の図書室、女の幽霊いるよね」
一階まで降りてきて、図書室の前を通る時に仁科がそんなことを言い出した。
「……そう! 郷土資料の棚の近くにいるから、めっちゃ困る」
「じっとしてるだけだし、そんな害はないでしょ」
普通のことのように仁科が話すので、本当にこの人は視えている側の人間なのだ、と和都は実感する。
「でも今日の昼休み、めっちゃこっち見てきましたよ」
「へー、あいつ動くんだ。近づかんどこ」
当たり前のように、気兼ねなく話せるというのは、こんなにも心が楽なのか。
──……知らなかったな。
自分にしか視えていなかった世界を、父のように理解する人はいたけれど、きちんと共有できる人がいるのは、初めてだった。
「他にはなんか、特殊なものが視えてたりするの?」
「んー、学校だと図書室の幽霊以外は、今のところないですね。通学路でたまに黒いのに遭いますけど」
「駅に向かうとこの道?」
「はい。電柱から離れたら居なくなるんですけどね」
「あーいるね、少しだけ付いてくるヤツ」
そんな話をしながら南棟を出ると、今度は特別教科棟の西棟の方へ向かい、一番上の四階まで上がる。
「うーん『狛犬の目』ってやつで視えてるから、何か少し違うかと思ったけど、視えてるのは俺が視てるのと大差ない感じだね。普通の幽霊っぽい」
「まぁ、たぶんそうだと思います」
「あいつら、視えてると分かるとすぐ寄ってくるからなぁ。なのに対抗するチカラが弱いんじゃ、そりゃ倒れちゃうわな」
「そういう理屈だって、全然知りませんでした……」
「ま、解決方法が分かってよかったじゃん」
仁科は和都の頭をポンポンと撫でると、掲示板に掲げられた古いポスターを剥がし始めた。
「あとは神社だなー」
「そうなんですよねぇ」
「学校の図書室でダメなら、市立の大きい図書館で調べないとかもね」
「あ、でも、小坂のおばあちゃんが昔からこの辺に住んでる人で。今度、話を聞けることになりました」
「ほう、いいねぇ」
終礼の後、部活に向かう前の小坂を捕まえて、その辺りは早速頼み込んでおいた。妙なお願い事に訝しまれたが、今度現国の宿題を見せるという条件で承諾を貰ったのは秘密である。
「あと小坂の話だと『
「狛山って、学校の屋上からも見えるあの小さい山?」
「そうです! 神社の跡地だったりしないかなぁ」
「うーん、どうだろうねぇ」
狛山は狛杜高校から比較的近い場所にある、自然豊かな小高い丘のような山だ。
その手前には線路が通っており、そこを境にちょうど学区が分かれていたため、小坂とは中学が違う。小坂も小坂の祖母も、その山の麓に昔から住んでいるというので、何かしらの情報を得られそうだ。
「しかし『白狛神社』って、なーんかどっかで見たような気がするんだよなぁ」
「本当?! 何で見たの?」
「頑張って思い出してみてるとこ。……お前、神社探しもいいけど、もうちょいしたら中間テストなんだから、勉強もしろよ」
「それはご心配なく!」
西棟のポスター貼り替えと点検を終えて外に出ると、ちょうど西棟と本校舎の間を、裏門のほうから外周に出ていたらしいバスケ部の列が通るところだった。
通り過ぎるのを見守っていると、後方で一年生達を励ましていた菅原がこちらに気付いて、足踏みしながら声を掛けてくる。
「あ、相模ー!」
「お疲れー」
「委員の仕事?」
「うん」
「こっちももうすぐ終わるから、一緒に帰ろうぜ」
「わかった。昇降口にいるね」
こちらに手を振りながら、菅原が第二体育館へ向かうバスケ部の集団を追いかけて去っていった。
それを見送って、仁科が口を開く。
「あいつらは、お前が視えるの知ってるの?」
「話してない。……ユースケにも、言ってない」
「ありゃ、そうなの」
付き合いの長そうな春日にも話していないのは、仁科には少し意外だった。和都はそんな仁科の表情を見て、小さく苦笑する。
「……小学校の時、その時の友達に言ったことあったんですけど、信じてもらえなかったり、気味悪がられたりしたんで」
その頃はまだ実の父親が生きていて、誰にでも話していいことではないと教えてくれた。それからは、父親以外にお化けが視える話をしたことはない。
「中学あがる時にこっちに越して来たんですけど、こっち来てからは言わないようにしてるんです。……視えても、楽しいことないし」
自分に視えている世界は、おどろおどろしいものや禍々しいものばかりで、気持ちのいいものでは無い。
空の端がピンク色に染まり始めていた。今日やるべき作業は終わったので、二人は本校舎へ足を向ける。
「……俺、親戚が神社の宮司とかしててさ」
「へー、意外。あ、チカラが強いのって、そういうこと?」
「そういう家系だったからね。俺より
「うんまぁ、そうですね」
「ふーん」
黄昏始めた放課後の、人の殆どいなくなった廊下を二人で歩きながらそんな話を続ける。
「……ただ、視えて楽しくないってのには同意だな」
「分かります?」
「うん。それに……」
「ん?」
「……逢いたいヤツには逢えないから、意味ねーな、とも思うしね」
隣を歩く仁科の顔を見上げると、笑っているのにどこか寂しそうにも見えた。