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午後の授業が終わり、新学期初日が終わった放課後。普段は和都と春日の二人だけだが、今日は部活がないというので、菅原と小坂も一緒に帰路についた。小坂は自転車通学なので、一人自転車を押しながらついてくる。
「──で? そのTシャツは結局なんなの?」
昼休みが終わる頃に教室に帰ってきて、授業が終わるまでずっと不機嫌な顔のまま「聞かないで」と言われて聞けなかったのだが、学校から離れてほとぼりも冷めたしいいだろうと、菅原がTシャツについて口にした。
普段通りに戻ったと思った和都の顔が、たちまち
「……橋本先輩、部活勧誘じゃなくって。見かねた仁科せんせーが上から水ぶっかけてきたの」
「おぉー、先生やるぅ」
「……んなことだろうと思った。だから一緒に行くっつったのに」
春日が呆れたように息を吐いて言う。
その一言で、落ち着いていたはずのどこにもぶつけようのない怒りが再燃したらしく、和都が喚いた。
「あーもー、おれの判断ミスだよ! スミマセンでした!」
「一年の時もそうだったけど、相変わらずだなぁ。今朝は手紙もあったし、絶えないねぇ」
「中学は女子からのが多かったし、減ったほうだけどな」
「……うへぇ」
菅原と春日の会話を聞きながら、手に持っていた学ランをギュッと握り締めて和都が吠える。
「あーもう、ほんっと意味わかんねぇ。よく遠目に見ただけで運命の人だとか認識できるよな?! ていうか、対して話したこともないのに、自分なら絶対に付き合えるとかいう思い込みはなんなんだよ! おれの性格も趣味もなんも知らねーだろうが! おれもアンタのことなんか微塵も知らねーし! そもそも受験があるから支えろって何?! アンタ支えておれにどんなメリットがあるわけ?! それともなにか、おれと付き合ったら絶対合格できるとでも思ってんのか?! 合格祈願の達磨か何かかよ! そんなこと考えてる暇あんなら勉強してろよ受験生だろうが!!」
一気に捲し立て、肩で息をする和都を眺めながら、他三人はいつものことのように眺めていた。呼び出してくるのは大抵上級生なので、穏便に大人しくお断りをしているのだが、その後はこうして文句を捲し立てるのが和都の常だ。
「ふはは、発狂定期」
「普段のコイツを知ってる側からすると、本当みんな何をトチ狂ってるんだろうな、とは思うよなぁ」
「ホント! なんなの?! おれが知りたい!」
学ランを振り回しながら絶叫する和都を、菅原と小坂が呆れながら見ている。
「いっそアイドルにでもなれよ。売れるぞぉ」
「ぜっっったい、やだ!」
ただでさえ女性が苦手だというのに、そんなことをしたらどうなることか。なるべく人前に出ないようにしていてこれなのに、目立つようなことをしてしまったら、今まで以上に恐ろしいことになるに違いない。
「ま、今後も呼び出しには春日を連れていったほうがいいわな」
「……もう次呼び出されたら、代わりに小坂が行ってよ」
「なんでだよ」
「身長、おんなじくらいだし?」
「顔が違いすぎんだろ、バカか」
軽口を言い合っていたら、あっという間にいつもの十字路にきた。ここで三人は駅の方へまっすぐ向かい、和都は右の方の道へ進む。
「じゃーなー」
「学ランちゃんと洗えよー」
「わかってる!」
道路をまっすぐ進んでしばらくすると公園が見えてくる。その公園の道路を挟んだ向かい側にある、コンクリートの塀に囲まれた小さな庭と一台分の車庫が付いた、黒い屋根に白い壁の二階建て一軒家が和都の住んでいる家だ。
「ただいまぁ」
自宅に帰り着いた和都は、玄関、リビング、キッチンと順番に家の中の明かりを点けていく。
両親は共に働いており、帰宅する時は基本的に誰もいない。母親から買い物を頼まれることもあるが、今日はそれもなく、帰り着いたのはまだ明るい時間。
一階を回って誰もいないことを確認すると、和都は二階へ上がる階段近く、一番奥の部屋の入り口に鞄と学ランを置き、そっと引き戸を開けた。
その部屋は、シーズンオフの洋服や、普段使わないものをしまっていて物置に近い。明かりをつけないまま奥に進むと、部屋の一角に小さなチェストがあって、その上に小さな遺影と位牌を置いてある。
その前で手を合わせると、小さな声で呟いた。
「……ただいま、父さん」
小学生の頃に亡くなった、実の父。位牌には『神谷清孝之霊位』とある。
「今日も結局始業式で倒れちゃったし、先輩に告白された挙げ句水掛けられるし、散々だったよ……」
大好きだった父が病に伏せって亡くなると、入院中たいして見舞いにも来なかった母親は、今の父親とすぐに再婚した。
新しい苗字に慣れないまま、中学生に上がってすぐ今の家に越してきて、気付けばもう高校生だ。
「おれも早く、そっちに行けたらいいのにね」
人を無闇に惹き寄せ、トラブルばかりの日々は、父親が亡くなる前もその後も変わらない。今でこそ、春日たちのおかげで楽しいと思えることも多くなったが、ふとした瞬間に居なくなってしまえたら、とつい考えてしまう。
窓から差し込む外の明るさで、室内は薄ぼんやりとしていて、小さな遺影に写った人の顔も、あまり判別は出来なかった。ただただ、一緒にいれば安心できたことだけが懐かしい。
「……なーんて、言ってたらまたユースケに怒られるから、卒業するまではがんばります」
報告を終えると、和都は部屋を出て、そっと引き戸を閉めた。
入り口に置いておいた学ランを広げてみると、時間が経ったからか多少は乾いている。
ただ帰りに春日たちに橋本先輩のことを愚痴りながら、握り締めたり思い切り振り回したりしてしまったので、これは汚れよりもシワの方が酷いかもしれない。
「……さ、母さん帰ってくる前に洗って綺麗にしとかないとな」
新学期の初日から学ランがシワくちゃになった、なんて知られたら、なんと言われるか分からない。ただでさえ色々と疲弊しているのに、特に苦手な女の人の金切り声で刺されたら、堪ったもんじゃない。
和都は息を吐いて、学ランを持ったまま風呂場へ向かった。