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第十五話 告白二つ

  ◇


「………もう分かっているとは思いますが、わたしは魔族。その中の淫魔サキュバスという種族になりますね。元は…他国の…貧民街で暮らしていました」


「……はい。ごめんなさい……。勝手に覗くようなことをしてしまって」


「あ、いえ。まぁ……一応、言ってはなかっただけなので。そう気にしないでください……司祭様。頼んでおいたのに何をしてたんですか。勇者様来ちゃいましたよ」


「う、いや…申し訳ない」



結局、あの後部屋に僕がいない事に気付いた神父様がやってきて場をとりなしてくれた。


…魔族の人だったのか。なんとなく人間ではなさそうな気はしていたけれど。

魔族の出で聖職者になっているのはかなり珍しい。昔、まだ幼い頃に見た気がするが、いつどこで見掛けたかはもうぼんやりとしか思い出せない。



「その貧民街では……荒れた生活をしていました。場所が場所なので当たり前といえば当たり前ですが。この拳が血に濡れた日は数え切れません」


「えっ強いんですね」


「んっ?ん、まぁ、そうかも、ですね」


「……この子は名を馳せていましたよ。その貧民街の強者を挙げれば必ず一番に名前が出てくる程で」


「えっ凄い」


「今その情報いらないでしょちょっと黙って!!」


「……はい」

「……ごめんなさい」


「ゆ、勇者様には言ってないです!」


神父様が怒鳴られてシュンと身を縮める。

………多感な時期の娘に怒られて落ち込む父親の姿によく似ている。


「……あ、村の人が前にスコルアーチさんの話した時に言ってた『勇者様には秘密にしとけ』って……」


「…そんなこと言ってた人がいたんですか」


彼女の赤い眼が不快そうに細くなる。


「あっその、村に入っていろんな人がざわついてた時にそんな声を聞いたなって……」


「…よく覚えてますねそんなこと?」


細まった眼が丸く広がる。


「……まぁ、私が魔族…淫魔サキュバスであることは村の皆さまは知っています。過去についても……全てではないにしろある程度は────ああ、思い出しました。確かにそんなこと言ってましたね。『勇者様に余計なこというな』とも誰かに釘を刺してた人もいましたね」


確かにいた。“余計なこと”というのは────


「……魔族と分かれば勇者様が仲間に引き込むのを躊躇すると思ったんでしょうかね。まぁ分かりますが。“そういう”種族ですし。こんな格好をして帽子ウィンプルを深くかぶっていたのも…自分自身そのことをちょっと隠していたかったわけでもありますし」


自嘲気味に口角を上げ、ふふっと空気を漏らすように彼女が笑う。────その眼の奥は全く笑っていない。



「…まだ色々理解が及びませんけど、秘密にしたければしておけばいいし、それを気に病む必要は無いと思いますよ」


虚を少し突かれたように、彼女の笑い声が止む。



「…お気遣いありがとうございます……んん…続けます。貧民街にいた頃は、自身が淫魔サキュバスという魔族ということもあって不埒な輩がよく寄ってきました。全て返り討ちにしましたが」


グッと握りしめた拳を、スコルアーチさんは何かに思いをはせるように見つめる。

……よく見たらその腕はかなり太く、筋肉が盛り上がっている。ゆったりした修道女の衣服の時は気付かなかった。



「…それで……そんな生活から離れるべきだと、もっと……“まとも”になりたいと思っていた時。教会の教えを説きに来られていた神父様に声を掛けてもらったんです」


「『貴女が今のまま信念も無く程度も知らず力に任せ生き続けるなら、“まとも”には近づけない。貴女の望みも叶わない』と。それで決心がつきました」


「望み…も?」


「ま、まぁそれはいいじゃないですか」


何かを誤魔化し、両掌をこちらに向けて煙を散らすようにブンブン振る。長机を挟んだこちらまでちょっと風を感じたので実際煙位なら蹴散らせるだろう。

どういう筋力?



「……もしかしてなんですけど、あの道を塞いでた岩、魔術じゃなくて殴って砕きました?」


「え!?な、なんで分かったんですか!?」



………本当に殴って壊してた。すげぇや。



「いや、見たことは無いんですが、光る槍?を出す魔術で大岩はああはならないかなって……」


「だ、出せるのは本当なんですよ!沢山修行して撃ち出せるようになって……これでもっと前に村の周りに出た大牙猪ボアを倒したこともあるんです!」


「二匹いて、もう一匹は投石で討ちましたがね。そっちは一撃でした」


「す、すげぇ!」


「黙ってろっつったでしょう!!いらんことを!!」


「申し訳ない!」

「ごめんなさい!」


「いやだから……!!もう……」



岩を砕くその手を、彼女はゆっくりと膝の上に下ろす。



「…ふう……本題は、そうして…神に仕える者となった今でも、自分が考える“まとも”には近づけていないのではと。わたし自身がそう感じていることなのです」


声の高さを一段落とし、スコルアーチさんは続ける。


「わたし自身が、一般的な魔族の……なんと言いましょうか。キョウラクテキ…でしたか。そうした生き方をしていると思われていないか……抑えきれているか。例え魔族を教会が受け入れるようになったとしても、それにふさわしい振る舞いをできているのか不安で……実際、自らの行いを恥ずべきものと悔いることも……あります」


「…はい」


「此処に来てから、村の方々はわたしに良くしてくれています。ですが、どこか越えられない一線がある。それが引かれるのは、わたしが魔族であるからなのか、わたしの出身に…プレァザスタの貧民街にいた過去に関わることなのか。そうした踏み込んだことも尋ねられない一線が」



かつて、魔王を最も多く出してしまった種族、長命故に享楽的に奔放に持って生まれた力のままに暴れる者として魔族という種族そのものが、穏やかに暮らしていた筈の魔族の人も含めて人々の中に受け入れられなかった時代があった……ことは歴史の勉強の時に知っている。


当時のことを肌で知っているのはそれこそ長命種の魔族本人達か、精々エルフの誰か位だろうと思う。


それはもう歴史のことで、今は違うと知っている。けれど、未だに魔族全てに対して不信を拭い切れない人もいることも知っている。



「どうすればいいのか分からなかった。……形だけでも、何か自分と魔族を関連付けるもの、何か悪いものを切り離せないかと、そうすれば何か変われないかと……だからツノは……きっかけもあって、こうです」


目が、目の上のタンコブを見るように、少し忌々しそうに吊り上がる。


「だから、紋章がこの身体に浮かび出た時は嬉しかったです。報われる時が来たと。誰にも認められる一歩が踏み出せるのだと。祈りが天に認められたのだと……許されたのだと」


細まった眼が目線を落とし、赤ん坊をあやすような優しい手つきで胸元に浮かび出た僧侶の紋章を撫でつける。


「……その考え方は少々烏滸がましいですよ。シスター・スコルアーチ。神への祈りは何かと引き換えに行うものではありません。子供ではないのだからその辺りは理解しているでしょう」


「う……そ、その通りですね。失礼しました」


今度は娘の方がその大きな体躯をシュンと縮める。

……正直、何の心構えを注意されたのか自分はイマイチ掴み切れていないが、多分重要なことなのだろう。教義的に。



「……ともかく、この紋章に恥じない働きをしたいと、そう考えているのです。神にも……自分にも誇れるように」


「きちんと……自分の力で害を成す魔王を打ち倒したいと」



此方を真っ直ぐ捉えていた深紅の瞳が、ポツリと放った最後の言葉の時だけ目線を逸らした。



……スコルアーチさんの結論は理解できた。きっと言いにくかったろうに頑張って伝えてくれた。とても有難い。


「そうですか……分かりました。こんな形になってしまいましたけど、色々お話できてよかったです」


「……いえ」


スコルアーチさんのことが少し理解できた気がする。彼女は彼女の心のままに動いて欲しい。

公爵から手紙を出してもらうようなことはしなくて良かった。


………この人は他国に流れちゃうことになるだろう。けど……その辺は頑張って国の人を誤魔化そう。

何か話聞いてたらそもそもプレァザスタのスラム出身って言ってたし。紋章が出たのはこっちに来てかららしいけど、まぁ何とかしよう。


魔族であることを気にしている節があるけれど、多分杞憂だ。勇者の仲間になれる人材は放っておかれないだろう。晩餐会の時に情勢を聞かされた通りなら他国から攫ってでも欲しい筈。そんなことしたら大問題だけど。



「…僕はリート・ラゴン。ラゴン村のリートです。村長のとこの三男坊として生まれました。所謂跡継ぎの控えですね」


「……勇者様?」


「長男が後を継いでからは役割というものを見失ってしまって。色々やきもきする毎日でした」


「……あの?」


「なので、紋章が出た時はスコルアーチさんと同じように嬉しかったです。自分にも役割はあるんだなって。誰かの辛いことを代わりに引き受けるのを何か偉いものに許されたような気がして」


「あの、急にどうされましたか?」


「ちなみに紋章は尻にあります」


「尻!?」

「お尻!?」

「左尻です。光りますよほら」


ふんっと力を入れて、椅子から尻を少し浮かし光らせる。

「うわ!明るっ!」驚愕を隠せないスコルアーチさん。

「えっ淡く光る程度のものでは……?」困惑する神父様。


「調節もできますよ。このままだと眼が潰れちゃうので……こんな感じに」


光量を抑え、二人の眼に紋章が映るように身を捩る。


「……本当に紋章だ。わたしと同じように身体に……あの勇者様?何故急に?」


「あ、いや、色々身の上を話してくれたので……こっちも身の上や秘密を言わないと不公平かなと。そもそもまともに自己紹介してなかったし」


神父様が困り顔をスコルアーチさんに、スコルアーチさんが呆れた顔を此方に向け───頬を緩めた。


「……ふふ、有難うございます。勇者様」


僕は、人の機微を読み取ることに長けている訳じゃない。

だけど、何となく、今のは愛想笑いではなく思わず零れた笑顔だと、何となくそう感じた。


「…ふぅ、ラゴンさん。シスター。今日はもう休みましょうか。もう随分な時間です」


見るとすっかり月が空に顔を出している。もうそんな時間か。道理で蝋燭の灯りが頼りないと思った。


「……わたしはもう少し、ツノをどうにかしてから寝ます。途中で出てきてしまったので」


「…怪我しないでくださいね?スコルアーチさん」


いや、もう怪我してるようなものなのか?よく分からない……。


「大丈夫です。慣れたものですから……では勇者様。また明日」


明日。

明日には此処を出ていこう。


「はい。また明日」


そう告げて、僕と神父様は二階の階段へ。

彼女は再び暖炉の奥へと消えていった。


角の件が終わればそのまま、一階の階段脇にある、今はスコルアーチさんしか使っていない修道女の寝床に戻るのだろう。




「あ~……なんか疲れた……」


ぼふり、と部屋に戻った僕は身支度の前に少し休むつもりでベッドに身体を預け────



────ああ駄目だ……ねむい……からだをおこせない……これ……だめなやつだ…



  ◇



────がこん。



「んがっ」


どこかで……、物が落ちたような音がして、ちょっぴり眼がさめた。


からだはおこせない……薄くしか開かない眼であたりを見回す……床に置いたかばんはたおれてない……テーブルの上にある小物もそのまま。

かべに掛かった時計も────深夜の時刻を指している。


「……?」



……なんだったんだろうと、ちょっぴりぎもんはわいたけど────もう……すいまに……あらがえない……






  ◇



そして翌朝。



「……着替えずに寝ちゃった」


別に大層な服は着てないからまぁいいのだけど、皺だらけになった服のまま二人の前に出るのは憚られる。

ささっと替えの部屋着を出して────


いや、もうここを立つと決めたんだ。

動きやすい冒険用の服に、足を覆う丈夫な革靴を履き、藍色の外套をばさりと着込む。



「────ああ、ラゴンさん。おはようございます」


「あ、神父様。おはようございます」


荷物を持って扉を開けると、廊下の突き当りにある窓から顔を出し下を覗く神父様と出くわした。


「……どうかされました?あ、何か落としました?探し物?」


「いえ、探し物というか……シスター・スコルアーチの姿が今朝から見当たらなくて。外に向かったようですが、庭の掃除でもなさそうで。何処に行ったのやら」


「彼女が何処かに……」


───となると、彼女は僕よりも先に旅立ったのだろうか。あのプレァザスタの勇者の元に。

神父様にさえ挨拶がなかったというのが気掛かりだけど、今頃宿屋で出発の準備をしているんだろうか。なんならもう外にいるかも。


……うっかり旅立ちの瞬間に出くわすとちょっと気まずいなぁ。

でもお世話になったのに挨拶をしないのはよくないな。


「場所に心当たりありますから探してきましょうか?神父様が探してたって言っておき────」



ドン、ドン、と分厚い扉を叩く音。玄関からだ。


「ああ、いけない。鍵を開けていなかった。むぅ、教会の門はいつでも開かれていないといけないのに」


教義にはあまり詳しくはないけれど、それはそんな物理的な意味なんだろうか。

まぁ鍵の開け忘れの時にする鉄板の冗句なのかもしれないけれど。



「…あれ、スコルアーチさん出ていったのに鍵閉まってるんですか?」


玄関に向かおうとしている神父様の脚が、止まる。


「……確かに。外から掛けたのか?いや、深夜は掛けるようにしているが今は別に……」



「…ちょっと僕見てきます」



玄関に向かう為、何段か飛ばしながら階段を駆け下りる────と、降り切った瞬間に足元がぐらつく。


「だぁったった!アブなっ!」

「ラゴンさん!?大丈夫ですか!」


「だ、大丈夫です!」


…ちょっと階段飛ばしただけであんな足が震える位、足腰弱かったっけ……情けない。また転ぶところだ。

いや、それよりも玄関だ。



「……やっぱりおかしい。内鍵が掛かってる」


外側からからは掛けられない筈の閂。今叩かれている扉にはそれが掛かったまま。

ここ以外に出入り口は無い。あの隠し部屋にも無いと聞いてる。


閂を留め金から外し、扉を開け放つ────



「おはようございま────お前か。ああ、宿をお借りしているんだったか」


そこにいたのは、プレァザスタの勇者、ムーン・ブレイブ。

僕の顔を見た瞬間笑顔が抜けて挨拶を打ち切ったのが若干気になるけど、今はそれよりも────


「え?なんでまだ此処にいるんですか?」

「…喧嘩売ってるのか?」

「いや違います違います間違えましたッ!」


致命的に言葉選びを間違えた。ムーンさんのこめかみに青筋が立ったのか分かる。


「そうじゃなくて!スコルアーチさんは一緒じゃないんですか?」


「……その僧侶に会いに来たんだ。顔を合わせる機会があまり無かったからな……今いないのか?」



「……どういうことだ?」



彼女の姿が消えた。


閉じられた教会の中から、跡形もなく。



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