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第十話 思い出と紅い眼と黒い服

ぶん、ぶん、と自分で太い枝から削り出した木剣が空を切る。

とりあえず庭で素振りをしているんだけど、剣の鍛錬とはこれでいいのかよくわからない。手に豆ができてとてもいたい。


剣の先生はいらっしゃるけど、今日は兄さんを教えるのでいそがしいといってた。なら自分でがんばらないと。




待てよ。此処は何処だろう?僕の手はもうこんなに小さくないぞ。僕はさっきまで馬車が往生して困っていた筈────




……ぼくはなにを考えているんだろう。そんなことよりもっと訓練しないと。しあさって、広場でする剣の大会でぼくはがんばるんだ。



『……朝早くから何をしているんだ。リート。姿を見ないと思ったら』


小さな石粒をふむ音と、いつも聞いてる低い声。


『父上、おはようございます!』


『…家では父さん、でいい。それは外での呼び方だ……で、何をしている。一人で勇者ごっこか?ならもう少し危なくない物を振り回しなさい』


『ごっこではありません。剣の修行です!』


『剣の鍛錬?偶に兄さんと混ざって教えて頂いているだろう。一人でやると変な癖がつくぞ』


『……でも、毎日は教えてもらえないです。兄さんたちはがんばってるのに、ぼくはがんばってないです』


『立場が違う。お前が気にすることではない……待て。見せろ』



大きくてごつごつした手が木剣を離していたぼくの右手をつかむ。


『手が豆だらけじゃないか。何でここまでする』


『でも、兄さんたちも────』


『立場が違うと言っているだろう。次の大会に出るわけでもあるまいし』


ぴく、と言葉がひっかかった。ちょっと気まずい気分になりながら、父さんを見つめた。


『……待て、出るつもりでいるのか?』


『できるところまで、がんばってみたいです』


ぼくの手から皮がごつごつしてつっぱった手が離れて、父さんのおでこにぴたりとくっつく。


『……出てどうするんだ。正直なところ、お前では怪我をさせられて終わりが精々だ。自分でも分かっているからこうしているんだろうが、他人と競い合える程十分に教えを受け取ってはいないだろう』


『……でも、この大会は“伝統”があるものだって聞いています。村長になる前の父上も、出ていらしたんですよね。後継として』


『だからなんだ』


『なら、ぼくも出たいです』


父さんのおでこにくっついた手が、ゆっくりとおりてくる。


『…………リート。お前は、兄よりも自分が私の後を継ぐに相応しいと?』


思いっきり首を横に振る。


『ちがいます父上!そんなことは思ってません!』


『じゃあどういうことだ』


『…………ぼくは、ただ、何かあった時の為に“補欠”としての役割を、ちゃんと果たせるようになりたいんです』


『僕より強い人達なんて沢山いる。けどその人達に任せっきりは……あまり良くないと思うんです』


『強い人だって困ることも、立ち上がりたくない時もきっとある。だから僕はそういう時に────────────





  ◇



────瞼を、夜空に浮かぶ月の様な、柔らかい光が透かしている。



「……ん、あぁ?」


身体が何処かに横渡っている。

さっきまで立っていた筈の轍ができた硬い地面にではない。

柔らかなベッド────違う。綿がたっぷり詰まった三人掛けのソファに行儀悪く身体を沈ませている。


そして、頭には、枕を差し込まれている?

自分の頭位ある、何か丸くて弾力がある物がくらくらする僕の頭を支えている────


「……ああ!目を覚まされましたか?」


鈴を転がすような心地の良い声が頭上から降ってくる。


ゆっくりと、眼を開けると、まず僕の額から離れていく……ほのかに青白く光る掌がちらりと見えた。


更に目を凝らすと見えてきたのは、ついさっき意識を手放す前に一瞬だけ見えた赤い双眸。

額より少し上にある白い帯の様な物から黒い布が肩のあたりまで垂れ下がっている帽子────修道女の帽子ウィンプルを被ったその人は、こちらを心配と若干の安堵が混ざった顔で見つめていた。


「……えぁ?…あ!失礼!」


こちらを見つめる顔の近さから、ようやく自分が枕にしているものの正体に感付く。

急いで修道女らしき方の太腿から頭を離す為跳ね起き────


「あ!いけませんッ!」

「オブァッ!!」


────られなかった。


起こした僕の上半身を、白く手首までを隠す手袋を付けた手が的確に押し戻す。凄まじい力で。

思いっきり鎖骨の辺りを押されて肺に残っていた空気が変な声と共に飛び出る。


「頭をケガさせてしまいましたから……今は楽にしてください。無理に身体を起こすと辛いでしょう?」


確かに無理に身体を起こした所為で辛い目にあった。一瞬衝撃で息が止まった……。



「傷は塞がりましたが、治癒魔術はもう少し続けさせてください……ごめんなさい。わたしのせいで大変な目に……」


そう言うと、彼女は再び柔らかな光を携える掌を僕の額へ近づける。

そういえばあんな物がぶつかったのに血が一滴も出ている感じがしない。こめかみを触るとざらついた布の感触。傷と顔を洗って包帯まで巻いてくれたらしい。

随分お世話になったみたいだ。


「え?いや、そんな……助けて貰って……」


混乱する頭が、引っ掛かる言葉をきっかけに漸くまともな思考を取り戻す。


……私の所為?


「…あ、貴女はさっき岩の向こうにいらっしゃった……?」


「は、はい。そういうことでして……」


彼女の顔は、お腹の近くまで頭を押し込まれた今だと少し、視界を物理的に遮り……女性の胸元をこんな距離で視界に収めるのは憚られる……という理由で精神的にも目線を遮られるものがあり、目元の辺りまでしか見えないがなんとなくバツが悪そうに表情を歪めていることが分かる。


「その、本当にごめんなさい……」


甲斐甲斐しく怪我の世話をしている相手にお礼を求めるどころか謝ってくる。

意識を失う前に見た光景と照らし合わせると、この不可解な言動の理由が一つ思い当たった。


「………もしかして、あの岩が吹き飛んだのは貴女が…?」


彼女の褐色の肌に映える赤い眼が右へ左へ泳ぐ。


「…その…そういうことなんです……」



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