勇者がまた現れた。
人の営みを紡ぐ歴史の中、幾度と現れてきた魔王。その者が力により人々へ暴虐の限りを尽くす時、魔王を打ち滅ぼす為に必ず現れる、教会が崇める神に選ばれた人物。
その証として、特別な力を持つ[紋章]…燃ゆる火の様な形をしたそれが身体に突如として浮かび上がったという者。
それが“またもや”他国に出現したという情報が入った。
お伝えせねばならない。今すぐに。また対応策が求められる。
赤く、足音を全て吸い込む程に厚く柔らかく、その両端には金の糸で編まれた紐飾りの付いた豪奢な絨毯。
その上に全く似つかわしく無い慌ただしい足取りで駆け抜ける。そう長い距離を走っているわけではないのに息が切れる。
文官として長く勤め、身体を普段動かさない所為でこんなにも体力が落ちたか、それとも齢を取り過ぎた所為か……恐らく両方だ。
普段はこんな礼を失する様な真似はしない。ましてや一国の副官というべき立場にある自分が。だが、今は礼儀よりも早さを貴ぶべき時なのだ。
つい先程、自分が密偵より知らされた情報。それを伝えるべき主人は今は玉座の間にいない。日が落ちた今は────たった今息を切らした自分が辿り着いた扉の向こう。挟み込むように立つ二人の近衛兵、それが護衛するこの扉の中にいらっしゃるはずだ。
「だ、大臣?どうされましたか?」
有事に対応する為の動きやすさと、王宮という場に相応しい仕立ての良さ。その両方を兼ね備えた衣服に身を包む近衛兵の内の一人が驚愕と若干の不審を隠しきれない様子で声を掛けてくる。
無礼には思わない。不審に思わない方が護衛として失格である。
「……王に、公務のことで…ふぅ、お伝えせねばならん話がある。少々急ぐ為…無礼だが、通してくれ」
「恐縮ですが、王は既に床につかれたと────」
《構わぬ。通せ》
固く閉じられた両開きの扉。そのわずかな隙間から、威厳が耳から入り込む低い声が響く。
「──はっ?……はっ!失礼致しました!」
驚愕しながら振り返った近衛兵。その革帯に差し込まれた剣が、扉────扉の反対側におわす人物に向けて放たれた礼に合わせて僅かに揺れ、金属音を立ててしまった。
本来は一国を管理する一人として、王に代わって無礼を一言咎めるべきだろう。だが今はそれどころではない。
“また”勇者が現れたのだから。それを早く耳に入れねばならんのだ。
◇
「───申し上げます。[紋章]が身体に浮かび上がった人間がまたしても他国の地……かのプレァザスタ王国で確認されました……魔王に対抗する勇者の出現です」
「……で、あるか。今度はプレァザスタか。大国だな」
寝間着姿のまま私を迎え入れてくださった王の顔に、先程の近衛兵の様な驚愕の色は全く無い。
下々の者、配下の者に狼狽える姿は決して見せないという王の矜持がそうさせる部分はあるのだろう。
だが、一欠片も動揺が感じられないのはきっとそれだけでない。
「早急に知らせてくれたことに礼を言うぞ。そちらにもまた手を増やさねばならんな。場合によっては勇者を此方に取り込むことも考えねばならん────ならん、のだがな」
「……如何されましたか?」
「…足りるのか。調査員の数は。もう勇者だけで何人目だ?」
「……もうこれで、片手指の数を超えますな」
「多くないか」
「多いですね…」
もう勇者案件の報告を行うのは六回目。王が眉一つ動かさないのはそのことも多分に関係しているのだろう。
緊急かつまだ民草には秘匿すべき案件であり、王にも『有事の際は早急に伝えよ』と言い含められているので、夜間にあの長い廊下を駆けて、この個室でひっそりと耳に入れるこの対応が間違っているとは思わないが、反応がすっかり薄くなってしまって若干やりがいに欠ける気がする。そんな思考を挟む余地がある案件ではないが。
「……不可思議なものだ。何故こうなっている。理由は……一体?」
黒髭を───王位を若い時分から受け継いだ為、少しでも威厳を身に着けるようと蓄えたと仰られた顎髭────を撫でつけながら我が王は部屋を歩き回る。
「そう……不可思議。不可思議なのだ。勇者が続々と現れている。魔王に対抗すべく現れる存在が」
「なのに何故、被害報告が上がらん?何故……共に現れる筈の魔王は、影も形も見当たらんのだ?」