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第八話 勇者の手記・仲間探し

◆山羊の月:二十五日


慌ただしい時間を漸く乗り越え、またもや馬車の中ではあるが手帳へ筆を走らせる時間と余力を得られた。沈みかけているとはいえ一応まだ日の昇っている時間から日記を書きつけるのは少し変な気分になる。一日の終わりに書くのが習慣づいているのだろう。

この間晩餐会の緊張を紛らわす為に日が天に昇っている内に公爵様の邸宅の一室で豪奢な机に突っ伏し手を動かしたことを思い出すというのもあるかものしれないが。


ふと思い至ったが毎日は書いてないのにこれを[日記]と言っていいのだろうか。まぁ誰かに見せるわけでもない。細かいことはいいだろう。自分にとって日記とはそういうものだ。


しかし、初めての経験である。こんなに長椅子の柔らかい馬車があるのか。こんなに揺れない馬車があるのか。こう書いてしまうと前の御者さんに失礼なのだが格段に文章を綴り易い。貴族の方々を普段から乗せる馬車というのはやはり色々違うようだ。


前は幌の張った馬車の中に樫の木で組まれた長椅子があり、そこで尻を少々痛めながら夜を明かした。あちらは家畜等も運ぶことも想定された馬車であったし、そもそも無理を言って乗せて貰ったのだからその辺りの文句は控えるべきだろう。


しかし今は大人一人が余裕を持って潜り抜けられる扉のついた、金で出来た鹿の角に似た装飾を携える屋根付きの馬車の中で、綿がたっぷり詰まった三人掛けのソファに一人で腰を沈めている。

前方についた硝子窓の向こうに見える寡黙な御者さんの背中と手綱を持たれる二頭の白い立派な毛並みの馬を眺めながら。


外面だけ見た人々は恐らく中には相当な地位を持つ人間がいると勘違いするだろう。

そう思うと座り心地が良い椅子の上で若干の居心地の悪さを感じる。


勇者として認められたのは嬉しい。役割が持てたことに関して喜びを感じる。だが、いざ一国の主からそう扱われるとなると今までの立場の違いから眩暈を起こしそうだ。碌な準備をしていない人間が突然高い山に登ると頭を痛めるのと同じようなものだろう。不慣れな環境に急に投げ出され平気な生物はそういない。


聞くところによると、この馬車は普段公爵令嬢が、先日私がギリギリスレスレの所で粗相を働かずに済んだ、いや若干手遅れだった気もするが、ともかく一応命を救う形になったお嬢様が使用されているものらしい。私の“仲間集め”の為に移動手段としてお嬢様直々に口添えしてくださったのだとか。

有難いことだ。脚を向けて寝られない。もっと無礼なものを一回向けたが。


突如として先代魔王軍の呪いに見舞われた公爵第二夫人の御息女、リーリア・アーリア・ジ・モアレ様はあれから凄まじい早さで快方に向かっていった。先日改めて例の邸宅で謁見させて頂いた時には、まるで呪いなどなかったかのように明るい笑顔を振りまいて、裾が地面に付きそうな程膨らんだ、歩くのに大変苦労するだろうドレスに身を包んで私の方へ歩み寄られ労を労ってくださった。膨らみを持たせる為に金具まで付いている重いドレスを着込まれてあれだけ軽快に動けるなら素人目から見ても快癒されたと見ていいだろう。


それと何故かその場には、外した兜を小脇に抱えた見知らぬ騎士様が私より先に居た。黒髪を綺麗に短く切り揃えた、黒い瞳を持つ端正な顔立ちの騎士様は、不思議に思う私が口を開く前に「改めて私の方からもお礼を申し上げたい」と先んじて頭を下げてきた。

声を聴いて漸く分かった。先日世話になったアカバネ騎士団長だ。


何故わざわざ騎士団長まで改まってお礼を、とまだ腑に落ちない点は残っていたがそれもお礼の後に続く言葉で直ぐに氷解する。



なんとお二人は婚約者同士とのことであった。


公爵令嬢様は自分達は幼い時分からのお知り合いであったこと、騎士団長は身寄りのない頃に教会に拾われそこから自分を叩きに叩き上げて今の地位まで上り詰めた努力の人であること、その努力は自分と身分を釣り合わせ求婚する為だったことを板に水を流すようにつらつらと述べられる。明らかに話慣れている。恐らく聞いてもらえる好機を常に伺っており、そしてその好機を逃したことは無いのだろう。話し出しの滑らかさに裏打ちされた膨大な経験を感じる。


それを聞く騎士団長は対照的に不慣れな様子で「その話はもういいんじゃ……」「恥ずかしいのでそろそろ」「あの」「その辺りで」と相槌にも似た静止を繰り返していた。ちなみにそれが御令嬢の耳に届くことは無かった。


じゃあ自分は婚約者たちの目の前で例の“浄化”を?という思考は一旦隅に追いやり、滑らかに続く惚気話を微笑ましく思いながら耳を傾ける。

立場がある者にとって結婚というのは外交の一つでもあり、家を存続させる手段であることは重々承知している。そこに自由が生まれることは珍しい。だから、こういった話は尊い。とても好きだ。



馴れ初めは出先で馬車を抜け出した幼き御令嬢が好奇心のまま毒虫を素手を掴もうとしたところ、それを見た孤児のアカバネ君が必死に駆け寄り棘のついた虫を払い落とし守ってくれたこと、アカバネ少年も手袋なんてものはしていなかった為手を腫らして痛みに泣いてしまい、それの涙を見てなんだか心にざわめくものを覚えてしまったとの話が始まった辺りで「もう!もういいだろう!?日が暮れますよ!」という騎士団長の制止の声がようやく頬を薄く赤らめながら惚気るお嬢様の耳に入り込んだ。


「あら!そうでしたわね。んん……お父様から勇者様の仲間となり得る“僧侶”様のお話は既に聞かされているかと存じます。その方の元へ向かう為の馬車を是非お貸ししたいのです」


“僧侶”さんの話は三日前の晩餐会の時に初めて聞かされた。

選ばれし勇者と同じように、その仲間足り得る人物は自身が天からどういった役割を持たされたかを示す紋章をその身に宿す、という伝承は知っていた。


魔術に長けた者は、皮膚に稲妻が走ったかのような“魔術師の紋章”が現れる。自身の腕っぷしに無類の信頼を置く者には強大な獣に切り裂かれたかのような“戦士の紋章”が現れる、とのことだ。

勿論実物を見た経験は無いが、旅立つ前に件の浄化の際にお世話になった神父様から受け取った諸々の資料にはその写しが含まれている。分かりやすく纏まっていて有難い。これのおかげで自分にも紋章の判別ができる。


これのおかげで、今向かっているライラ村にいる方の身体に浮かび上がったというのが“僧侶の紋章”であるかどうか、それを自分でも判断できる。

前情報からしてほぼ間違いないのであろうが。


なんでも自分が城下町に着く前にはモアレ公爵はその“僧侶”さんの存在を掴んでいたようなのだ。

そこから芋蔓式に他国でも勇者達が出没し、かつての魔王に仕えていた者達が活動を強めていること、それを受けて教会本部、教皇様が新たな魔王が現れたことを各国に宣言する為に準備していることも把握されていったのだとか。


各地に続々と現れたという勇者達に関しても色々と教えて頂いた。



モアレ公国から真西にずっと向かった所にあるシルバ・ルドゴ帝国。そこに現れたという、腕から光る鎖の様な物を繰り出して操り、既に領地内に巣食っていた盗賊団を壊滅させたという掌に紋章を持つ勇者。魔術に長けた人なのだろうか。


王族にも教えを乞われる高名な剣術道場を構える師範代が勇者となったとの話も聞いた。モアレ公国の諜者が見た限りでは十数人の有望な弟子を引き連れて“世直し”の目標を掲げて号令を掛けていたのだとか。志と旅路を共にする人達が初めから多くいるのは正直羨ましい。


他にも、山岳地帯にあるハーピーの集落から流れ星が見えたと思ったら、それは夜空に紋章の光を浮かべながら飛んでいたハーピーの勇者であっただとか、貿易相手であった湿地帯のリザードマンの部族から鱗に紋章が刻まれた者が現れたとか、モアレ公爵が贔屓にしている商人が偶々出先の国で入った酒場の踊り娘に突如として紋章が現れて場が騒然となったのを見ただとか、


書いてて思ったが、多い。モアレ公国が把握している限りでこの人数。何故今回に限ってこんなにも勇者が湧いているのか?多いに越したことは無いが。

実際はこれ以上の勇者達が各地で教会から勇者の認定を受けて旅立たんとしているのだろう。


それを裏付ける事実として、教会本部は昨日大々的に新たな魔王が現れたお触れを各地へ広めた。きっとモアレ公国の城下町も相当ざわめいただろう。

その頃既に自分は馬車に乗り込んでいたから具体的にどれ程の騒ぎになったか知らないが。

ラゴン村の皆も驚いただろうか。一応勇者に認められたことは手紙にしたためてお土産と共に兄に送っておいた。山に囲まれた村で海魚の燻製は普段あまりお目にかからないしきっと喜んでくれる。


結局のところ、自分がラゴン村でまごまごしていた頃には、モアレ公国を含む他の国々は脅威に対抗する為、まぁ晩餐会の話も含めて考えると野心はあるのだろうが、紋章を持つ者や魔王の出現に対して行動を起こす怪しげな人物や組織について情報を集めていたらしい。


自分は魔王の脅威に対してなんなら一番先に動いていたつもりでいたが、蓋を開けてみればなんてことはない。世の中には自分よりも優秀な人は沢山いて先に色んな手段を講じているのだ。忘れてはいけない。


ともかくそんな具合で現在この馬車はライラ村へ向かっている。公爵様からは、文を出すからこちらに呼び寄せるべきでないかとの御意見も頂いたが、仲間になってもらいたいという話なのにこちらから向かわないのは無礼だろうし、貴族の方からの依頼というか、一国の支配者から直々に文を出されての提案となると相手に無用な圧力を感じさせてしまうのではないかと思い辞退させて頂いた。

あくまで向こう側が自由にする権利があるとよく理解してもらった上で対等な立場から勧誘をしたいのだ。


その“僧侶”さんにも昨日の教皇様の宣言は恐らく耳に届いている。後は自分が向かって魔王探しの旅へ同行されませんかとお誘いの言葉を掛けるだけだ。協力してもらえたら嬉しいが、相手は乗り気になってくれるだろうか。


報酬は教会の方から活躍に応じてあるようで、公爵様の方からも『勿論国としても褒美は出す。活躍によってな』とのお言葉があった。当然のことながら、仲間に勧誘するにあたってこうしたお金周りの話は欠かせない。というよりはっきりさせて不透明な部分が無いようにしておかないと後々揉めてしまった時が恐ろしい。

後は、一応教会に認められた勇者の一人として特権?のようなものがあるらしい。特権の恩恵は仲間も教授できるとのことであったが、具体的に特権とは何かという話になると、魔王の調査の為に各地各国に教えを広める教会が認めた人物として身分を保証してくれる、というものが一番大きいだろう。しがらみ無く旅ができる。モアレ公爵も『最大の利点』と仰っていた。


他にも恩赦がどうとかという話があった気がするが、勇者であることを名乗り出れば宿屋の料金が少し安くなったりするのだろうか。いや、そんな俗な話ではないか。



とりあえずそうした話を通して自分と魔王を探す旅に出てもよいと判断してもらえるよう尽力する必要がある。

私の自己開示能力が試される。勇者の証である紋章が臀部に出ている時点でかなり心証が負寄りからの出発になるが。


しかし、この馬車で筆を走らせている勇者のその紋章についてなのだが、一つだけ吉報ができた。これで漸く人前に出ることが恥ずかしくなくなったし、背負い鞄に厚手のズボンを何着も用意しておく必要も無くなった。有難いことである。当たり前の日々の偉大さと価値は無くした時に初めて身に沁みて分かる。これからはもっとこの尻に困らない生活に感謝しなければならない。そして勇者の鍛錬に関する記録を調べ回ってくださった神父様に感謝しなければならない。


長くなってしまった。吉報についてはまた後日記す。この豪奢な馬車をうっかり汚さないように日記を閉じてインク壺を片付けることにする。



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