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第七話 勇者の手記・魔王探し


◆山羊の月:二十二日


今日は豪奢な家具に囲まれたこの部屋で、どうにか気を鎮めようと日記に筆を走らせている。改めて自分が今置かれている状況を見直さなければ、気が気でない。落ち着かない。一昨日一晩泊まらせてもらっただけなのにあの酒場の喧騒が壁と床を貫いて耳に到達する埃っぽい部屋が恋しい。


あのままこの邸宅で一晩を過ごすことになるとは思ってなかった。ベッドが柔らか過ぎて落ち着かないというのは初めての経験であった。

あまり意識したことは無かったが自分という奴は硬めのベッドの方が質の良い睡眠を取れる人種なのだろうか。それか単に不慣れなだけなのか。


とにかく、昨晩のことを描きだして整理しよう。

リーリア・アーリア・ジ・モアレ様、公爵令嬢様はあれから一気に快方へ向かっている様子だ。呪いの主をどうにかした後、あれからすぐに目を覚まされた。素早く身支度を整えておいて良かった。あのままうっかりしていたら大事故が起きるところであった。天国から地獄、勇者から変質者である。全く別の意味では勇者であるかもしれない。


騎士団長を見て何故か嬉しそうに声を上げられ、そしてこちらにもお礼を伝えようと忙しく立ち上がろうとする御令嬢を神父様が押し止め、すぐに以前の様にとはいかないし、医師も交えて検査をしたいからもうしばらく安静にしておくべきと説得していた。当の御令嬢は今自分が置かれている状況に興味が尽きないようで中々ベッドの方へ戻ってくれなかった。どうも好奇心が強い方のようで、自分にも、どちらから来られただとか何処の名の有る解呪師だとか自分の身に宿っていた呪いはどういったものなのかを矢継ぎ早に尋ねてこられた。この気性もあってうっかり呪いの印に触れてしまったのかもしれない。

ともかく元気そうでもうあまり心配はなさそうだ。それは良かった。


御令嬢の一件はこれでひとまず落ち着いたと見ていいだろうが、今度は別の問題というか、どう乗り越えればいいのか思考が逡巡を止めない事態に晒されている。これの所為で朝から落ち着かない。

昨日その興奮気味の御令嬢をその場の皆と宥め、どうにか寝床に戻って頂けたと思ったら、今度は公爵様から私にお声が掛かったのだ。

「礼を兼ねて、明日夕食に招待をしたい」と、忠実に記すならもう少し細かいことを仰っていたが要約するとそういった提案を私に投げかけられた。提案という表現を用いたが、立場の差からお断りする余地の無いものは提案と記すべきなのだろうか。半分位恐喝ではないだろうか。


一応、勇者という名を持てると思いこちらまで出張ってきたこともあって、勇者として一応認めてもらう為に教会の立場のある方と少々顔を合わせるくらいはあるのかもしれないと一張羅は持ってきていたが、一国を統治する貴族との会食へ望むとなるとこの礼節を守る為に編まれた鎧は非常に心許ない。だがこれ以上良い生地を使った服は今持っていない。今持っている手札で勝負をかけるしかないのだ。

急な話であったしその辺りはどうにか多めに見てもらえることを祈ろう。


もうそろそろ余裕を持って準備をしておいた方がいい時刻になってきた。昔教わった礼を失することが許されない場での食器の扱いをもう一度練習するべきだ。


・覚え書き・

最初に出てくるボウルに入った水は手洗い用。飲まない。

ナイフとフォークは外側の物から順に使う。

皿の上側に置かれたスプーンはデザートに用いる。最後まで使用しない。

食器を落としても自分で拾わない。

相手より早く食べ終わらず、かつ待たせない。

これ等の点を相手が守っていなくともとやかく言わない。




  ◇



旅立つ前に箪笥の奥から引っ張り出し念の為虫干しをしてから丁寧に畳んで持ってきた、黒っぽく厚めの生地から縫製された丈の長い長袖の貫頭衣。それに身を包んで今自分は白く長いクロスに覆われたテーブルに置かれた料理を眺めている。

骨が付いた立派な肉。その形状には村でも見覚えがある……多分羊肉だ。不慣れな場所で慣れた食材が出てきてくれて、少し気分が救われる。

その上からは果実の甘味を感じさせる香りがするソース───恐らく擦り下ろした林檎や檸檬が混ざったソースだ───がかかっている。

そして、その皿の周りにはナイフとフォークが………無い。


え、どうやって食べるの。というか最初から肉が出てくるの?やばい、この場合はどうすればいいのか知らない。

不味い。美味しそうなのに不味い。


「おや、食わんのかね」


皿を見つめたまま動かない僕の耳に不思議そうな調子の声が入ってくる。


慌てて顔を上げると、広いテーブルの向かい側に座る公爵様は、肉から突き出た骨の部分を手で持って肉を頬張っていた。

……手で持ってよかったのか。そう思えればすごく持ち易い具合に骨が出ている。


「貴殿の出身の辺りでは手づかみで口にする習慣もあると聞き及んでおる。諸々の形式は気にせず好きなように食らうとよい。必要なら食器を持ってこさせるが」


「い、いえいえこのままで。お気遣い頂き有難うございます」


気を遣ってもらってたらしい。こちらとしては変な失敗をやらかす要因は少ない方がいいし手づかみ大歓迎だ。

肉から生えた様に突き出る骨を、手を滑らせないよう慎重に摘まみ、口に運ぶ。


……美味しい。やっぱり羊肉のようだが臭みは全く感じられない。こういった肉の類は塩味が付いたものしか食べた記憶が無かったから少し不安もあったが、こうした甘酸っぱいソースも合うんだ。知らなかったな。


……自分の出身のことは昨日の名乗りの時にちらっと言っただけなのに、それだけで調べを付けたのか。それも一晩の間に。

もしかしたら使用人の中に僕の村かあの辺りの出身の人がいたのかもしれないけれど、それでもこの短い間に一人の客にあった献立をしれっと整えるのは並大抵のことではない筈だ。


会食の場というのは、貴い立場にある方々にとっては自分の持つ財力や権能を相手に誇示する場にもなり、その会食相手が他国の貴族の人だったりすると最早それは立派な外交であり、“お前のことを、お前の国の内情をこれだけ私は知っているぞ”という意味が言外に込められた献立がひしめき合い、テーブルの上で行われる平和的な戦争とも言えるのだ……と聞いた覚えがある。


公爵様も例外ではなくそうした場に何度も立ち会ってきたんだろう。その経験を持ってすればこの田舎者が食べ慣れた好物の把握位容易く────


「……ワーウルフの部族より現れし悪鬼、己が欲のままに命を食らい尽くした“島喰らい”ディンガル…」


「へっ…?」


「世の墓から哀れな魂を呼び起こし、不死の軍隊を作り上げた魔族…サテュロスの“冒涜女王”ジーナ=ソウル」


骨だけになった羊肉を皿の上へ静かに置いた公爵様は、急に何かを滔々と話し始める。


「森を信望し、絶対不可侵のものとして村を街を都市を緑へ飲み込ませたエルフの森司祭、“緑の腕”ナガエ・ミン・ズク」


……ちょっとだけ聞き覚えのある名前が出てきた。確か“緑の腕”とやらは確か三代前の────


「……そして、また魔族から現れた先代の魔王、ルーサレ=ベルデウス。歴代の中でも強靭であり強大、そして凶悪であったと名高い。有名どころはこれくらいであるかな」


「そ、そうでございますね」


“有名どころ”の半分以上が分からない。だが、有名と言い切られた以上何だが“いや、よく知らないです”とは言いにくい。

ここからその話が広がったらどうしよう、受け答えできないぞ。


「…まぁ、貴殿と話したいのは魔王の歴史についてではない」


……助かった。

音を立てないよう、口を大きく開けないようにゆっくりと鼻から安堵の息を漏らす。


「話したいのは魔王が打ち倒した勇者がもたらす、その恩恵についてだ……プレァザスタ王国のことは知っているであろう?」


「それは……はい。遠くにありますが大変大きな国ですので」


「ああ、此処とは比べ物にならぬであろう」


「い、いえ……あーいえ、そんな……」


肯定も否定もし辛い。

“そうですね”と同調できる訳ないし、だからといって“そんなことありませんよ”と言うのも見え見えのお世辞になってしまう。正直土地の広さだの人口だのにそれ位の開きがある。


「吾輩が生を受けるより前の話であるが、プレァザスタもかつては我が国と遜色ない程度のものであった。それが今や押しも押されぬ大国……何故あそこまで発展しているのか知っておるか?」


「…ええっと」


確証は無い。けれど先程までの話の流れと、自分の中にあるなけなしの知識を掛け合わせると一つの推論が形になる。


「…プレァザスタ出身の先代勇者が、魔王を倒したからでしょうか」


「そうだ」


公爵様の笑い皺が深くなる。昨日、自分の“浄化”を見届けられた時に見せたものと同じ表情。

……とりあえず求められている答えは出せたらしい。


「まぁ、それだけではないがな。先代の時は強大な魔王が各国を荒らし回ったこともあり、魔王を打ち倒し一早く健全な機能を取り戻したプレァザスタが疲弊しきった周辺国へ“復興支援”の名目で働きかけ、併合していったからこそあれだけの大国となった」


「だが、その支援を受け入れさせた“魔王を討伐した”という功績は途轍もなく強大なもの。姿形も価値観も異なる数多の種族達がひしめくこの世界で唯一誰もが理解する、分かち合える教会の教え。その教会に認定された魔王を倒した……その教会が崇める神に選ばれたという勇者を輩出したというのは、どの国も無視できない強大な手札であったのだ。分かるか?」


「無学ですが、それとなくは……」


「それを理解しておるなら、吾輩が貴殿に求めていることは理解できるであろう」


笑い皺の奥にある細まった眼には、柔和な笑顔と反するように野心の灯が確かに見える。


「既に他国より現れた勇者が続々と旅に出たとの報告も受けておる」


「えっ!いたん……いたのですか?他の国にも?」


「ああ、上手く隠しておったわ。……腹黒い狸共め。余程栄光に飢えておるのだな」


公爵様は笑顔を崩さない……だが、眼が笑っていない。

最後にぼそりと付け足した呟きからも他の国に一手出し抜かれて、気分を害していることは明白だ。


「先代とは状況が違う。現時点で魔王はどこぞに隠れており、世に大きな影響はもたらしておらぬ。現時点で先代程の恩恵はまだ見込めぬであろう。だが、勇者が我が国にも現れた以上その功績を狙わぬ手は無いのだ。我が勇者よ。悪いが、嫌とは言わせぬぞ」


……嫌と言うつもりは無かった。

何の役割も持てないまま、世襲制の村長の三男坊として、予備の予備としての使命を失ってふらふらと村の便利屋程度のことをしていた半端者の自分に突如やってきた勇者という役割。とても有難かった。こんな自分でも役立てることがあるのだと。


だが、想定していた役割が、果たすべき使命が随分違う。


「貴殿がすべきこと。それは他の国の勇者よりも、かつての側近達よりも、野心を抱く魔族よりも、魔王へ諂い恩恵に預かろうとする狼藉者共よりも早く魔王を見つけ出し討ち倒し………そして、その栄光を我が国にもたらすことだ」


今まで読んできた勇者譚は、どれも人々の暮らしを踏みにじり、自身の野望を果たさんと猛威を振るう魔王に対抗する為に勇者が立ち上がっていた。自分もそのつもりで旅立った。


でも、僕の冒険はそういう訳にはいかないらしい。


「魔王を、見つける…」


僕の冒険は倒すべき敵を探す所から始めないといけないのか。



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