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第四話 失礼と粗相の定義

足元が硬い石畳から打って変わり、足音を吸い込む柔らかなものへと変貌する。


「うお……」


扉を潜り抜けた瞬間、空気が様変わりしたのが肌の感覚から分かる。


先程までなんとか耳に届いていた外の喧噪が完全に断ち切られた、静謐な空間。


目に飛び込んでくる豪華絢爛な調度品。この広い玄関の奥に飾っているあの白くて大きい、そしてとんでもなく細やかな彫り付けで表面に不死鳥の姿を現した壺はどんな値が付く品なのだろうか。不死鳥の姿を彫っているのは、モアレ公国の国旗に倣ったのだろう。絶対に近づかないし触りたくない。割ってしまったら自分はどれだけの負債を背負うことになるのか考えたくもない。

そんな思考が頭によぎる程に精巧な品々の数々。少し入った所の横から伸びる廊下には多分高名な画家が描いた絵画や自画像が飾ってあるんだろう。


うっすらと鼻をくすぐる果実のような香り。見渡した限りでは分からないがきっとどこかでお香か何かを焚いているらしい。身分の差があるとはいえ来客の立場ではあるからもしかしてわざわざ焚いてくれたんだろうか。いつもこうしているだけかもしれないが。


そして、何か毛皮で包まれた柔らかく大きな生き物を踏みつけたのかと思う程にフカフカとした足が軽く沈み込む厚手の赤い絨毯。旅用に履いてきた泥まみれの革靴で踏みつけていることが申し訳なくなってくる。

いや、踏みつけていいのか?ちょっと戻ってもう少し靴の泥を払ってきた方がいいのでは?


「勇者殿。お気になさらずそのままでどうぞお進みください。──君、勇者殿のお荷物を預かってくれたまえ」


「はい。お客様。背負われている物をどうぞこちらに」


「あっ……はい……」


うだうだしていたら色々見透かされたように騎士様から先に進むように促される。

背負っていた鞄とは一旦ここでお別れしないといけないようだ。


玄関の脇でピンと背筋を伸ばして立っていた、裾の長い給仕服を着た女性の使用人さん────恐らく先程神父様を招き入れた人だ。貴い立場にいる人間の使用人としての経験がその顔に刻み込まれている様子で、若干威圧感まで覚える。


両肩に掛けた、猪の皮を鞣して作った革の帯を外して背負い鞄を下ろすと、するりと使用人さんは無駄のない動きでそれを受け取る。

……頭のてっぺんから爪先まで整えられ洗練された服装に、小汚い革の鞄が何とも似合っていない。


というか、手荷物検査とかあるんだろうか。ちょっとまずい。あの中には日記があるんだけど少し前に『モアレ公国は小さい国』みたいなこと書いた記憶がある。すごく印象が良くない。自分で持ちますって言った方が良かったかも。色々と。


そんな不安を抱えながら柔らかい絨毯を──できるだけ汚さないように──踏みつけながら歩く。


アカバネと呼ばれた騎士様が先導し、僕の後ろを先程の使用人さんが歩く。その二人に自分は挟み込まれた形で歩を進める。


「……お嬢様が、呪いを受けているのです」


「はい?」


「第二夫人の御息女、リーリア・アーリア・ジ・モアレ様。公爵令嬢が今この邸宅でご静養なさっているのです」


赤い外套を揺らしながら歩く騎士様が兜の奥からくぐもった声で話し始める。恐らくついさっき話しかけていた“諸々”の続きなんだろうけど、呪い?


「勇者殿はかつて……先代の勇者が自分の命と引き換えに打倒したという魔王について、よくご存じですか?」


「いえ。えーっと、申し訳ないです。あまり詳しいわけでは……僕が生まれるよりかなり前の話なので、精々名前と、“魔族”から生まれた魔王だったっていうことくらいしか……あ、後、歴代の魔王と比べても大分強かったとか…それなのに勇者はかなり少ない数しか出てこなかったとか。そんな話は本だとか教会で聞いたか見たかした覚えがあります」


勇者譚に色々詳しい人なら、歴代の勇者の名前とそれに討たれたという魔王の名前も一緒に空で全て言えるという人もいるらしいけど、自分はそんなことできる気がしない。

他と比べれば少々規模の大きい土地を統治する村長の息子ということもあって、作法を父さんから教えられた時に教養として少しその辺りの歴史を齧った程度だ。後は人気のあった勇者譚を子供の頃にちょっと読んだことがある程度。一応初代の魔王から名前を覚えるように言われて勉強に励んでいた記憶もあるけど、今となっては三代前の魔王や勇者の名前すらうろ覚えだ。


特にそうした勉強をしたことが無い人は、正直なところ先代の勇者や魔王の名前が分からないという人も割といるかもしれない。もう先代の魔王との闘争からそれだけの年月が経っている。


「お気になさらず。……当のお嬢様が受けた呪いというのが、その魔王に関するものなのです」


「えっ!?」


倒された筈の魔王。その魔王の呪い。自分に現れた勇者の紋章。まさか──


「いえ、先代の魔王が復活したという話ではないのです。先代の魔王、ルーサレ=ベルデウスは確実に滅びました」


「あ、そうなんですか…」


「しかし、その側近や部下の一部は別だった。そういう話なのです」


「側近…ですか」


魔王にも勿論仲間はいた。特にその中で力が顕著な者は民の間でも魔王と同様に名前が知れ渡り、恐れられた……らしい。

確かそんな話も聞いていたような気がする。


「…その生き残った部下の人だかなんだかに、呪いをかけられてしまったということですか?」


「はい。勇者殿が此方に訪れられる二日前、突如としてリ───んん、いえ、お嬢様の身体に現れた“呪いの印”の魔術陣が、先代の魔王軍が好んで使用したものの一つと一致しました」


「…その、どういう呪いなんですか?」


「……先代の争いの際に魔王側に付いた魔族が多用した呪いです。一言で申し上げますと、自身を強制的に召喚させる魔術…と言えるものです」


「呪い主が書きつけた魔術陣に被害者が触れることによって発動する呪い…強制的に被害者の体力と魔力を時間を掛けて消耗させ、いわば呪いを受けた者を強制的に生贄にし呪い主を召喚させる魔術。先の戦いでは、背の高い草が生えた視界の悪い地面等に罠の様に描かれ甚大な被害をもたらしたとか」


「うひゃあ…」


「この禁じられた古き悪しき呪いにお嬢様が……おいたわしい」


がしゃり、と騎士様の篭手が兜に軽く当たる音がした。背中越しに見ているので分かりにくいけど、多分手で顔を覆って嘆いているのだろう。


「呪いを受けたという話を聞かされ、我々教会の者が駆けつけた時にやっと分かったことでしたが……遠方からお嬢様が取り寄せられたという本の内一冊に、呪いの魔術陣が仕込まれていたのです。裏表紙に描きつけられていました」


「…無論、荷物の検査は行われていました。ですが、魔術陣の存在には気付かずそのまま危険性無しとして見逃されてしまった。検査を行った使用人に魔術に関する学が無かったのです。嘆かわしい……だからせめて、魔王所縁の物に詳しい教会の者を何人か常駐させるべきだと、何度も提言していたのに……このような事態に……」


赤い鳥の尾羽の様なものが付けられた兜の奥から、騎士様がブツブツと何やら呟いている。……内容はよく分からないが、とりあえずその呪いの魔術陣とやらを見逃してしまったという使用人さんは大丈夫なんだろうか。何らかの処罰は免れないだろうけども……。


「そういえば、教会の方でそういう呪いを解くことができる方というのは?」


「勿論おります。おりますが……今回のものは非常に難度の高い解呪になるとのことで、もし取り除くことはできてもお嬢様の身体に瑕が残る、一生を持って長く患う病のような影響をもたらす可能性が高いという話でした」


「事実、歴代の勇者達が“浄化”せずに、今回の物と同種の呪いを一般の者が解呪した際に後遺症が残ってしまった例は確かに記録されています……だからこそ、そのようなものに触れてはならないと教育をしっかりとするべきだったのに………いくら先代から時が経ってるとはいえ……今も予断を許さない状況で……もし“向こう側”にいる呪い主がその気を起こせばお嬢様は……」


……正直、見逃してしまったことはしょうがないという気がする。確かに不用心ではあったのだろうけども、今そんな罠を看破できる位に魔術に詳しい人なんていうのは限られてくるし、そもそもそんな人は給与だとか待遇の面で使用人の職は選ばないだろう。ましてや、話を聞いていると昔々に魔族の人達だけが使っていたものだという話だし、何かしらの心当たりでもなければ自分が見ても「変わった模様だなぁ」位にしか考えられなかっただろう可能性が高いように思う。


「…とにかく、それに触ってしまったということですか…」


「はい。仰る通り。そしてこの呪いが件の本に書きつけられたのは解呪師によると一月以内とのことでした。突如として現れた先代魔王軍の呪いに、貴方を含む勇者“達”の出現。これは決して偶然ではないでしょう────勇者殿。この扉の先です」


先を歩いていた騎士様が足を止める。先程から視界の先に収まっていた、大きな木製の扉が眼前に迫っていた。この距離まで近づくと首を思いっきり上に逸らさないと上部が視野に収まらない程に大きな扉。相応に分厚く重そうで、開けるのにはそれなりの力が必要そうだと触れる前から予想させてくれる。


「この先にお嬢様、そして、ニーグラ・アレクラ・ジ・モアレ公爵がいらっしゃいます」


「えっ!?公爵…様も?一緒の部屋に?」


「はい。お二人とも高貴な生まれ。そして地位にある御方。勇者殿といえど失礼のないようにお願い致します」


公爵様も?同じ部屋に?わざわざ来ているのか?今どういう状態にあるのか、呪いの進行は激しいのかそうでもないのかも分からないけれど、例の呪いはそれをかけた張本人を無理矢理召喚させるものだという話じゃなかったか?


だとすると、今そのお嬢様の周囲にいるのは危ないんじゃ…ましてや一国を治める人がいるのは…


…いや、それだけ娘が心配なんだろう。

それに立場ある公爵としてはあまり好ましくないのかもしれないけれど、親としての心に湧いてくる、苦しむ子供の傍にいてやりたいという気持ちは十分に尊重されるべきだ。


今、僕がやるべきは勇者にあるとかいう浄化の力を使って呪いを祓い、中の二人を助けること。それだけだ。


「……あっ」


そうだ。思い出した。肝心の“方法”を聞いていない。というか今更だけどそれは自分にもできるものなんだろうか。


「あの騎士様。その肝心の呪いを祓う手段についてなんですが」


「はい。勿論お伝え致します。“浄化”は歴代の勇者が全てが行えたことで、今回のものと同類の呪いを解いた前例もありますし、至って単純な手順を踏むだけですので………まぁ……誤ることはないかと」


「……そうなんですか。良かった」


もし難しそうな呪文の詠唱が必要だとか言われたらちょっと困ったが、そういうわけでもないらしい。

紋章が放つ光のせいで若干熱が籠る尻をさすりながら、安堵の息を漏らす。


「今、お嬢様のお身体には件の呪いによる魔術陣が転写された状態なのです。呪いを受けた者に刻まれたその魔術陣がそのまま本人の体力と魔力を利用した召喚陣となる……」


「はい」


「その身体に刻まれた魔術陣の効果を打ち消すには、術者本体を叩くか、もしくはお嬢様の身体に出た魔術陣そのものに直接働きかけ無効化する必要があります」


「成程」


「術者を叩ければ予後の不安も無く一番良いのですが、とにかく今はお嬢様を苦しみから解き放つことが急務。なので後者の方法を用います」


「そうですね。早く楽にしてあげないと。具体的にどうすればいいんですか?」


「お嬢様に浮き出た魔術陣に勇者殿の紋章を押し当てれば解呪されます」


「は?」


「臀部に紋章がある件ついては当主様に司祭殿が先に説明なさっているので」


「いやちょっと」


「なんでしょうか」


なんでしょうか、じゃない。


「ぼ、私は今から女性に国で一番偉い方の前で尻を突き出すんですか?」


「そういうことになります。できるだけ失礼の無いようにお願い致します」


この人自分でおかしいこと言ってると思わないのか?


そんな疑問を浮かべた自分の顔から視線を逸らすように騎士様は扉の方へ向き直り、扉を軽く優しく叩く。


「……一応、公爵様が直接ご覧になることは無いように司祭殿が取り計らってくださっているはずなので。しっかり現場に立ち会うのは我々だけです」


そりゃあ公爵様もそんな場面見たくないだろうから助かるけども。根本的な部分があんまり解決してない。

そんな自分の迷いを差し置いて、重厚な扉がゆっくりと真っ二つに割れるように、部屋の中に向かって引っ張られ開いてゆく。


「では、勇者殿。中へ。粗相のないようにお願い致します」


これから特大の粗相をぶちかます人間に送る言葉かそれは。

けれど、ああ、もう、色々もう後には引けない。


今僕はただ、覚悟を決めるしかない。


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