ドアが閉まる音を確認し、マリアは声も出さずに泣きながら急いでティッシュで股間の辺りを拭いた。ただただ気持ちが悪い。それだけだった。
父親の夜這いは、一週間に一回から二回、三回と増えていった。
変わったのは父親だけじゃない。母親も、マリアが何をされているのか知っていたのだから。
いつも少しだけ開いたままの扉。隙間から入って来る光に、何度も影が重なっているのをマリアは見ていた。
日中は以前と変わらない両親だったが、夜には体を悪魔か幽霊に乗っ取られてやって来る。どこにも吐き出す場所がなくて、体の中に溜めこんだ感情があの晩にとうとう爆発した。
「もうやめて! パパ何か死んじゃえ! ママも死んじゃえ!」
父親の体が膨張したかと思うと、風船が割れたような音を出して粉々になった。
部屋の外からは、食べ物が壁に当たったような音が聞こえてきた。生臭い匂いと、体には降り注いだ肉片と滑りのある血で真っ赤に染まった。
何が起こったのか、マリアが理解するまでにかなりの時間を要した。そのまま朝になり、昼になり、また夜が来ていた。
どうやって時間を過ごしていたのか、全く記憶にはない。でも自分を助けてくれなかった両親が、死んだ事実は理解できていたが、夢を見ている浮遊感がずっとあった。
同時に、やっと解放されたと晴れ晴れしたし、当然の結果だとも感じて、自分のせいで両親が死んでしまった罪悪感が、交互にマリアを襲ってきて、どれが自分の本心なのか理解できないでいた。
気が付けば警官に保護され、自分がした結果をすべて理解しないまま、ただ謝っていた。やはりこの時はまだ、マリアには現実味がなかった。
知らないうちに、周りで話が進んでいて、マリアは母方の伯母に引き取られた。
新しい家、部屋で落ち着き始めた頃に、両親の死について考えられるようになっていた。不思議と、直後にあった悲しみや罪悪感はなかった。両親がなぜあんな死に方になったのか、マリアは頭を働かせたが考えても分らなかった。
引き取ってくれた伯母は、マリアを本当の娘のみたいに可愛がってくれた。叔父も家の中が華やかになったと喜んで迎えてくれていた。
伯母の家には中学生になったばかりの
お風呂に入る時の緊張、夜が来るのが恐ろしかったマリアは、久々に体の力を抜いて過ごせ始めた頃だった。
転校した学校から帰宅し、伯母が買い物行くというので、宿題をしながら留守番をしていた。
その日は、マリアが好きな煮込みハンバーグを作ってれると言われて、嬉しかった。
リビングにいると玄関が開く音がした。伯母は出ていったばかりだったから、時間からすれば壮太だろう。マリアは気にせずに宿題を進めていた。
「母さんは?」
「買い物に行きました」
家に来て初めて会話をした。
壮太は「そう」と短い返事をしてから、自室がある二階へと上がって行った。
数分して部屋着になった壮太が、またマリアの元へとやってきた。
「――マリアちゃん、可愛いね」
いつもは空気のように扱っているのに、どうして今? と思っていた。同時に背中に冷気が走る。
マリアはまた石のように固まり、動けない。両親と同じだ。そう感じた。
座っているマリアの後ろにピッタリとひっついてくる壮太。マリアをすっぽりと包むと、正座をしている股の間を、蛇が這うようにまさぐり、腰のあたりを何か柔らかく尖ったものが突いてくる。
両親が死んだから、中に入ってた悪魔が壮太の中に移ってきて、またマリアに嫌がらせをしてきたんだ。どうして?! マリアは声を出せずに、心で叫んでいた。
キュッと太ももに力を入れて、這ってくる手に抵抗するが、中学生男子の力には敵わない。
熱くなった手から、触角のように指が、股に挟まれた割れ目へとねじ込まれてきた。
どうして? 言葉に出したつもりはなかったのに、もう自分の中に溜めこむ場所がなくなっていたのか、壮太にマリアの声が聞こえていた。
「だってマリアちゃん、お人形さんみたいに可愛いから我慢できなくなっちゃった。大丈夫。気持ちいいはずだから」
可愛いと、嫌なことをされるのは当たり前なの? 好きだった父親も可愛いと言ってくれていた。
自分の容姿が原因で、親は変わったのか。でも自分ではどうしようもない。
マリアは嫌だと呪文のように、陰部を這いずる手がなくなれと、心の中で繰り返しつづけ、それだけでは止まらずとうとう声に出して言った。
「どこかへ行け!」
「ギャッ!」
股に入れられた手が勢いよく飛び出した。同時にあの晩と同じ、赤い飛沫が宙を舞った。
壮太の手首が、リビングにおもちゃのように転がっている。
それよりマリアは、体を這っていた不快感から解放されたのが嬉しかった。後ろで壮太は壊れた玩具のように、床でのたうち回っている。
切断部分からは、開けたままの蛇口みたいに血が滴り堕ちて、あっという間に部屋中に生臭い匂いを充満させた。
マリアの股や顔にもその名残がある。気持ち悪くなったマリアは洗面で付着した血を洗い流し、貰った部屋で服を着替えた。
生きる残るための本能が、マリアを自然と動かしていた。汚れた服を丸めて、部屋にあったビニール袋に詰めてから再びリビングに戻った。
相変わらず壮太は壊れたままだ。宿題の続きをしようとしたが、マットの上が汚れていたから、横にずれて座った。
「……車……救急車……」
苦悶する声が背後から聞こえてくる。しかしマリアは手を止めなかった。
自分は、嫌がっているマリアを無視していたくせに、反対の立場になると平気で助けを求めてくる壮太の考えが理解できない。
そもそもマリアに、壮太を助けなくてはいけない理由はないし、手首がなくなったくらいで死なないはず。死ななければ、壮太に移ってきた悪魔もそのままのはず。
マリアは、何も考えず、聴覚を閉ざして黙々と宿題を進めた。
宿題が終わった頃、玄関からただいまと聞こえてきた。マリアはリビングから顔を出した。
「あら、マリアちゃん。宿題は終わった? 壮太も帰ってるのね」
膨れ上がった買い物袋を置いた伯母が、よいしょっと言いながら近づいてくる。
リビングの中に足を踏み入れた瞬間、家を揺らすような金切り声が響いた。
「壮太! 壮太!」
先ほどまで動いていた玩具はぐったりと横たわっていた。伯母がパニックになりながらマリアを叩き、喚いている。
「止めて!」というと、伯母の頬と手に線が走り、血が滲みでてきた。しかし本人は興奮し気付いてはいなかった。
その後は救急車、パトカーが来たので、家の周りは騒然としていた。マリアは何があったのか、医師、警官に聞かれたが分からないと答え続けた。
マリアを疑う者もいたが、動機が見当たらない。傷口はまるでレーザーで切った後のようだったので、加害者でないと判断されていたみたいだ。
それでも周りはマリアに同情的であった。両親を亡くした美少女の悲しむ姿は、聖女にも見えていた。
しかしこの件をきっかけに、今度は違う親戚の家に移されることになる。伯母の家からマリアを引き取った親戚も同情的だった。