鳥坂と胡蝶は、以前通された副園長室に座っていた。間には身だしなみを整えたマリアが陣取り、テーブルを挟んで向かいには副園長の御木が座っている。
「本当によろしいんですか?」
御木が申し訳なさそうに、再確認をしてくる。
「いえ、こちらこそこんな可愛いお嬢さんとデートができるんですから」
胡蝶はいつになく満面の笑顔で話しをしている。横に座っていた鳥坂は、人目を気にすることなく大口を開け欠伸をし、マリアは決まりごとのみたいに服をしっかりと握っていた。
「では、よろしくお願い致します」
「はい」
やっと話が纏まった。
胡蝶がもう一度、形式的な言葉をして立ち上がった。すでに諦めている鳥坂も、つられて立ち、マリアもそれに倣った。
鳥坂は早々に部屋を出るが、振り向くと胡蝶の姿がまだない。仕方無く腰巾着のになって引っ付いているマリアと、玄関で待つことにした。
玄関扉の上はガラスになっていて、そこから差す光が暖かく、大きく体を伸ばそうとした。
でも服の裾をマリアが掴んでいるため、不発におわり、中途半端に伸ばされた筋肉が不満げにしている。
「おい、離せ」
相変わらず首からボードを下げてはいるが、容姿は百人見れば百人が愛らしいと言われる格好をしていた。
日本人離れした顔立ちもそうだが、着せられている服が、淡いピンクのシンプルなワンピースに腰には白いリボン。靴下は膝まである広いレースが付いていて、玄関にはマリアに用意されたベージュの靴がある。
どう見ても鳥坂と種類が違う。これを連れて歩いている自分を想像するだけで、気分が萎えてきた。
大きく溜息を出したところで、扉が閉まる音が響いてきた。
「すまないね。ちょっと話しをしていたから。じゃあ行きましょうか? マリアちゃん」
胡蝶がマリアの手を取ると、鳥坂の服を手放し、靴を履いて意気揚々と歩き始めた。
駅までの道は、胡蝶がマリアと手を繋いで一歩的に話し、その後ろを鳥坂が歩いた。
訪船駅から電車に乗り、百貨店や商業複合施設がある
車内は胡蝶の声を聞いて男なのか女なのか、その真偽を確かめようとする乗客の視線がいくつもあったが、鳥坂も胡蝶も慣れているので気にはならなかった。
「さあマリアちゃん。目的地に着いたわよ。今日は沢山我儘言っていいからね」
ホームに降り立ち、胡蝶はマリアに視線を合わせて話しかけた。だがマリアは勢いよく首を横に振る。胡蝶は予測していたのだろう。
「マリアちゃんが我儘を言わないのなら、もう会いに行けないわ。ね? それは寂しいからね?」
「何が、『ね?』だよ。たぬき爺が」
「お黙り!」
鳥坂は適当に流したが、子供のマリアは真剣に胡蝶の言葉を受けとめて考えている。
暫くしてマリアが首を縦に動かすと、胡蝶は笑顔を浮かべて「さあ行きましょう!」と、遠足で子供が喜んでいるみたいな足取りになりつつも、マリアの歩調に合わせ進んでいった。
駅のコンコースは天井が高く、自然光を取り入れるための工夫がされていて、若者向けから仕事帰り、主婦をターゲットにした飲食店や雑貨店が軒を連ねている。
平日とあって人は思ったほど多くはないが、夕方になれば人に埋め尽くされるのだろうと想像できた。
胡蝶がどういう予定を立てているか知らないが、混雑する前に帰れることを祈った。
二人の後ろを歩きながら妙な雰囲気に気が付いた。平日だと言うのに、マリアと同じくらいの子連れや学生が目につく。
時間などに関係なく、依頼が入れば、という仕事しているため、鳥坂に曜日は関係なかったが、普通平日であれば子供は学校があるはずではないか。
「おい胡蝶」
緩んだ顔でマリアと話し、声は届いていないようだ。今度は大きめの声を出した。
「オカマの胡蝶!」
二人の足が止まり、一気に距離が縮んだ。頭頂部から電気が走ったような衝撃があった。
「誰がオカマだい!」
「痛ってえな。殴らなくてもいいだろ」
「レディに対して、失礼じゃないの」
「だ……」
「何だい」
これ以上、くだらないやり取りをしても仕方がないので、鳥坂は頭を擦りながら聞いた。
「今日は平日だろ? 学校があったんじゃないのか?」
胡蝶はあからさまに馬鹿にした顔で答えた。
「今は春休みだよ。これだから日陰暮らしは困る。ねえ? マリアちゃん」
そんな時期なのかと鳥坂は思った。何せ学校というものから離れてかなり経つ。
「春休みか」
「何ボケっとしてんだい。行くよ、鳥坂」
はいはいと適当に返し、先ほどと同じ距離間で歩き始めた。
ここだけでも十分買い物ができるのに、建物と連結する隣のビルへと移動するらしい。
吹き抜けになっている一階、メンズやレディースのアパレル関係、二階が小物雑貨店、三階に靴売り場とブランド店があった。
三人が向かったのは子供用品がある四階だった。
エスカレーターを降りるなり、引きずってマリアを店に連れ込んだ。孫に服を買う年寄りと同じで、あれもこれもと言っている。
胡蝶の横でマリアは相変わらず無表情だ。胡蝶は服を次から次へと手にとってはマリアに合わせている。
「マリアちゃん、ちょっと着てみない? ね?」
逆らっても無駄だと、子どもなりに悟っているのか、それとも他の思惑があって合わせているのか、マリアは頷いている。
「すみません。試着いいですか?」
遠巻きに見ていた店員を呼び付けると、両手一杯に持っている服と一緒に、奥へと消えて行った。
鳥坂は中には入らずに、通路に面した場所でそのやりとりを、ぼんやりと眺めていた。鳥坂は吹き抜けになった下を見た。カップルや年配の夫婦、子連れの主婦、学生がいる。
普段、積極的に私用で足を運ばない場所は新鮮ではあったが、なんだかこういう生活もあるのかと、スノーボルを眺めている感覚で見ていた。
「おまたせ」
振り向くと、胡蝶が大きな紙袋をぶら下げて満面の笑顔で立っていた。
「さて、次、行くわよ」
「は?」
「は? じゃないわよ。来たばかりじゃないのさ。ねえマリアちゃん」
女じゃないのに、なんで買い物をしたがるのかと、鳥坂はわざとらしく溜息を吐いた。
「何? 文句でもあるかい? はい」
そう言って紙袋を渡してきた。
「なんだよ」
「何だよ、じゃないわよ。今日、あんたは荷物持ち要員だからね」
「……なんだよそれ」
「何さ?」
鳥坂は諦めて、荷物を受け取った。
「胡蝶。その前にトイレ」
「そうねえ。マリアちゃんはどうする?」
マリアも頷き、一行は十メートル先の通路に見える、トイレ標識へ向かう。胡蝶がそのまま女子トイレに入ろうとするので、鳥坂は慌てて腕を引っ張った。
「ちょっと!」
「お前は男だろうが」
「だって心配じゃないか」
「お前と入るほうが心配だ。それにそんな年でもないだろ。マリアは」
マリアは頷くと、一人で中へ入って行く。
男子トイレに入った二人に、先客達の視線が集まる。
「あら、私ってそんなに綺麗かしら」
などと馬鹿な言葉を口にしている。周りは、胡蝶の独り言とスカートを巻き上げて立っている姿を見て、納得したようだった。