約束の日までまだ時間があった胡蝶は、女性用のスーツを着用して髪も綺麗に纏めあげ、あたかも外周りの営業のようなカバンを持ってマリアが住んでいた家の前に立っていた。
どうしてもマリアの奇妙な行動が気になり、じっとはしていられなかった。
ちょうど、自分の娘の年齢と同じだったのも理由の一つだろう。だが胡蝶はあえてそれには気付かない振りをした。
事件があった家は洋風作りで、テレビや雑誌で見る洋館をコンパクトにしたようなもの、と表現したほうが早いだろう。
門があって、そこからレンガの階段を三段ほど上った場所に玄関がある。その階段を挟んである芝生と植木が荒れて伸び放題になり、入口までの道を塞いでしまっていた。
遠目では洗礼されているように見ても、間近で見ると不気味な空の大きな器だった。
だがこの付近は坪単価も高く、ある程度の所得者が住む地域。それにも関わらず、取り壊されずに、まだ根付いているのには何か理由でもあるのだろうか。
そんな疑問を持ちつつ胡蝶は、五軒ほど先の家に目標を決めて歩き始めた。
コンクリートでできた外壁の上には、小さな瓦が並べられていて、高さは百八十センチ以上はある。そのために中の様子を伺うことはできない。
その家には屋根瓦があって年期も感じられ、周りの住宅に比べると古株に思えた。そこから推察し住人は、若い夫婦ではなく老夫婦が住んでいると踏んだ。
同居や相続で推察は外れている可能性も勿論、思慮に入れている。
門は小さな瓦屋根に木製の観音扉があり、その柱にインタ・ホンがあった。
胡蝶は躊躇することなくボタンを押す。数秒後、中年女性の声で応答があった。
「はい」
「お忙しい所、申し訳ありません。私、ライターをしておりまして、五軒隣の住宅のことでお伺いしたいんですが……」
「五軒隣って、あの洋館の家でしょうか?」
「はい。今一度、調べているんです。何かご存じであれば、お話を聞かせてはもらえないでしょうか?」
「少々お待ち下さい」
インター・ホンが切れてから暫くすると、門の内側から足音が聞こえてきた。扉一枚で隔たれた直ぐ向こうで足音が止まると、ゆっくりと門が開かれ、エプロンをした髪の短い女性が現れた。
門の奥は石畳みがあり、その脇には碁石がぎっしりと敷かれている。両端には芝生と植木が庭師によって剪定され、ツツジは流れる様な曲線を描いていた。
「すみません。わざわざ。家主さんですか?」
「いえ、家政婦です。あの御厨さんのお宅のことですよね?」
胡蝶はわざとらしく用意していたファイル取り出した。以前の持ち主を確認している素振りを見せた胡蝶は、間をおいてから返事をした。
「ええそうです。まだあの家は、取り壊しもされてはいないんですね」
「ええ。名義は娘さんになったと聞いたことがあります」
「そうなんですか」
家政婦は柔和な態度で、少しは期待できそうだと思い、胡蝶は質問を続けた。
「当時の新聞も調べましたが、住んでいたのは娘さんとご両親。そして事件でご両親が亡くなって、娘さんが生き残ったで、合っていますよね?」
「そうそう。本当に仲のいいご家族でしたよ。娘さんは奥さんの曾お爺さんが外国の方だったらしく、隔世遺伝でその血が濃く出て本当にお人形のように可愛くて、挨拶もしっかりできる聡明な子でした。旦那さんがそんな娘さんを溺愛して、目にも入れても痛くないほど可愛がっていたし、奥さんも器量のいい人でした。今時には珍しく、ご近所の方々とも仲が良くてね。人に恨まれるような家族じゃなかったはずなのにねえ……あんなことになるなんて……」
「そうですか」
「でもね、事業の方があまり上手くいってなかったらしいですよ。だから当時警察も、金トラブルの線で捜査していたみたい。ほら、このあたりは金持ちが多いでしょ? だからこの近隣の住民、仲の良かったご近所さんが疑われていたんです」
「そうなんですか」
家政婦は噂好きなのだろう。喜々として色んな話しをしてくれた。
住人が一時疑われたお陰で、この付近一帯の空気が張り詰め、歩くだけで肌を刺されている気がして殺伐とした雰囲気だった。しばらくは出歩く住人も少なかった。なぜなら互いが犯人ではないか? と疑心暗鬼もあり、付近一帯が茨の森に囲まれたような窮屈さがあったと。
それから娘は親戚に引き取られた。親戚宅には中学生程の一人息子がいるらしいという話と、娘ができたと、引き取った家の奥さんが喜んでいたと噂で聞いたなど、一気に話してくれた。
胡蝶は耳を傾けながら、家政婦という仕事柄ストレスが溜まり、話すことで発散しているのだろうと思った。だがそれは、情報を得たい胡蝶にとっては有難いことだった。
「あらいやだ。すみません。ぺらぺらと」
「いえ、貴重な情報、ありがとうございます。あ、最後に一つ。犯人は?」
「それが捕まっていないんです」
「そうですか」
「記事か何かになるんですか?」
「今のところ、何とも……」
「そうですか……でも早く犯人が捕まってくれれば」
「そうですね」
胡蝶はお礼を言って頭をさげて、再び御厨邸へと向かった。
ここに来るまでに、子供がいそうな家もチェックをしていたが、先ほどの家政婦の話だけで十分だと感じていた。
ただ根本的なマリアの行動についてはやはり、彼女がいた親戚筋に話を聞かなければわかりそうもない。
噂を信じれば、その引き取った家も娘ができたと喜んでいたはずなに、どうして今マリアは施設にいるのかも気になる所だった。結局のところ、マリアの核心的な一手を得ることは出来なかった。