急に路地から大きな黒い毛玉みたいな物が飛び出してきた。鳥坂は慌ててブレーキを踏む。鳥坂は、急停止の反動で、握っていたハンドルで額を強打した。
「……痛てえ」
額を擦りながら前方を覗きこむが、フロントガラスを滝のように流れる雨のせいではっきりと分からない。だが何か丸いものが車の前にあるのだけは分かった。
「猫か犬、轢いちまったかな」
車に当たった感触がなくても、それは車の前で留まったままだ。仮に轢いたのであれば動物でも後味が悪かったし、このまま放置しておくこともできなかった。
鳥坂が車から降りると、来ていたシャツは直ぐに水を吸い地肌に食いつてくる。髪もシャワーを浴びた時みたいに水滴を垂らし、さらに視界の邪魔をし始める。
鳥坂が車体の前に出ると、毛玉の正体をハッキリと捉えられた。
「子供?」
鳥坂の眼下には、ボールみたいに身を丸め、しゃがんでいる少女がいた。
「おい、大丈夫か? 怪我はないか?」
真っ黒な長い髪の先端からは、何故か黒い水滴が滴り落ちている。それは地面に薄い黒い波紋を作っては、空からの恵みで直ぐに薄まり消え行く。
そしてゆっくりとその少女が鳥坂の方に顔を向けた。
簾のような髪の隙間から見える目。長い髪に首からぶら下がったボード。動物より面倒なものが目の前にいる。頭の中を最初に過った言葉だ。
下から見上げる少女とにらめっこをしている間にも、容赦なく雨が体にあたり、春先とは言え、衣服に染み込んだ水分が表皮からじわじわと体の熱を奪っていった。
鳥坂はやはり放置しておけず、座り込んでいる少女の手を掴んで、車の中に放り込んだ。
「全く、厄介なもんを拾っちまった」
車のエンジンを掛け、先ほどまでは点けていなかったエアコンのスイッチを入れる。
生温かい風が吹き出す小さなブラインドを、少女と自分に向けた。
勢いよく噴き出すエアコンの音と雨が鳴らす打楽器音で、ラジオを切っていても賑やかだったが、二人の間は静かな空間が出来ている。
「えーっと……何やってたんだ?」
子供をどう扱っていいか分からなかった鳥坂が、最初に掛けた言葉だった。だが少女は助手席に座り、俯いたまま何も答えない。
「取りあえず……交番! 交番だな」
鳥坂は子供が苦手だった。嫌いと言う訳でもない。
ただ無邪気で、手を差し出せば誰かが差し伸べてくる。親や周りから注がれる愛情が当たり前だと思っている、純真さとでもいうのだろうか。子供のそう言った所がどうも受け付けないのだ。
鳥坂はここから近い駅前にある交番を思い出し、直ぐに車を走らせた。
本心は警察官などに関わりたくなどない。しかしこのまま自分でどうにかできる訳もでもなかったし、一歩間違えれば幼児誘拐と間違えられかねない。とんだ一日の締めになったと頭をかいた。
本当に面倒臭く、厄介な拾いものをしたと溜息をついた。
数分で交番に着き、少女に車から降りるように促すが中々下りない。仕方なく鳥坂が下りて扉を開けてやる。やっと体が少し温まり出していたのに元の木阿弥だった。
動こうとしない少女の手を、無理矢理に引っ張っても、頑なに降りようとしない。
仕方なく少女を担ぎあげると、鳥坂は交番の中へと入っていた。