「……お馬鹿」
いけ好かない宰相とあの子を残し、お茶会を抜けて屋敷へと戻る。
「お馬鹿……お馬鹿…………」
屋敷に入り、足早に厨房に入り……
「……お馬鹿ぁ!」
私の心の中でいっぱいになっている、なんならさっきから漏れ出している私の感情を一気に吐き出す。
はしたない……?
知ったことではない。
それもこれも、あの子がお馬鹿なのが悪いのだから!
「ア、アオイ様? どうかなさいましたか?」
いつもとは違う私の様子を見て、あの子お付きのメイド、ラズリーが声をかけてくる。
どちらかというと無口で感情をほとんど表に出さないラズリーが心配してくるのだから、今の私は相当様子が変なのだろう。
「……なんでもない。それより、お茶菓子がなくなりそうだから、かわりを用意して」
「かしこまりました」
そう言いながら、去っていくラズリー。
(……我ながら、らしくないわね)
自分の身勝手な感情に、ラズリーを巻き込んでしまったという罪悪感からだろうか。
心が徐々に平静を取り戻し始める。
ラズリーには申し訳ないことをしたが……
『ええ、そうよ! だって、アオイと私は友達だもの!』
あんなことを言われたら、こうなるに決まっている。
あの子はいつだってそうだ。
隙だらけで、だらしなくて、おどおどして、こっちから近づいたら小動物みたいに逃げていくくせに、変なところで一気にくる。
しかもそれが……その、女性同士の関係を勘繰らせるようなことを平気で言うレベルの天然でくるのだ。
(まったく……たちが悪いったらないわ)
ああいうのが人誑しなのだろう。
まあ、私は全然、あの子のことなんてどうでもいいので、誑されていないが。
「友達……か」
あの子が私にこう言ってくる理由は分かっている。
私が、あの子の推しキャラである『レムリア・ルーゼンシュタイン』だからだ。
そんなことに付き合っていられないと思い、ゲームのレムリアと私は違うということを示した。
メイド(結局、執事になったが)になろうとした理由のひとつもそれだ。
そして何よりも、現実を見せるため、私はひたすら『私らしく』あの子に接した。
私は、自分の性格の悪さも、誰からも好かれないタイプなのも自覚している。
だから、ゲームを通してでも、ヒロインの女勇者を通しででもない、現実の私を見せれば、すぐにでも目を覚ますと思っていた。
(……それなのにあの子は!)
私の無茶に付き合い、笑いかけてくれた。
こんなことに巻き込んでしまった私を恨んで当然なのに、優しくて、私のことを考えてくれて……
「アオイ様。準備ができました。」
ラズリーがお茶菓子を乗せたトレイを持って戻ってくる。
上には私が再現した煎餅が数枚と……
「……プリン?」
「あ、申し訳ありません。レムリアお嬢様がいつもお茶の時間に召し上がるので、勝手ながらご用意させていただきました」
「…………」
ここ、ルーゼンシュタイン家の別邸の使用人は、本邸で何か粗相をしてこちらに回されてきた者たちだ。
このラズリーも、本邸でメイド長を務めるほど優秀だったのだが、お父様の仕事のミスを押し付けられ、責任を取る形で別邸送りとなった。
別邸に来てからは、その怒りを他の者にぶつけるようになり、その不愛想な性格もあって誰も寄り付かなかった。
その怒りはもちろん、自分を陥れた者の娘である私にもぶつけてきていたのだが……
「お嬢様は、そのプリンをとても気に入ってくださっているので……」
そんなラズリーが、あの子のためだけにプリンを作っている。
間違いなく、あのお馬鹿が何か『しでかした』のだろう。
なんだその、お世話できて幸せですみたいな顔は。
そんな顔、私に仕えていたときは見たことがないのだが。
(……あの子、いつか刺されるわね。ていうか、なんだかイラっとくるから、私が刺してやろうかしら)
「ところでアオイ様」
「何?」
「その……大変申し訳ないのですが、アオイ様の独り言を聞いてしまいました」
「……そう」
迂闊だった。
まあ、屋敷に戻ってきてから、別にテスタメントのことは考えていないはず。
ヴラムのような口封じの必要は……
「友達……もしかして、レムリア様に言われたのですか?」
……前言撤回。
今すぐこの子の口を封じるべきだ。
そんな恥ずかしいこと呟いていたが周りに知られたら、あの子じゃないが切腹するしかない。
たしか、地球の技術で調合した劇薬の試作品が……
「私も言われました。本当に戸惑いますよね」
「え、貴女も?」
「はい。僭越ながら、レムリア様との接し方について助言を。レムリア様は破天荒なだけでなく、その行動はこちらを巻き込んできます。しかも、いつもは大変穏やかな方なのに、突如として急に来られるので、どうしようもありません」
なかなか分かっている。
さすがお付きのメイドといったところか。
「ですので、下手なことを考えるより、こちらの行動にレムリア様を巻き込むぐらいの方が良いと思います」
そう言いながら、自分の作ったプリンを見る。
察するに、あのプリンはふたりの絆のようなもので、友達になってほしいという話をされたときに、プリンでも食べませんかと言って話を逸らしたのだろう。
『その、そんなに年は変わらないんだし、なんだが申し訳ないから、敬語なんて使わなくてもいいんじゃないかしら?』
『べ、別に怒っているわけじゃないのよ! ラズリーにはいつも感謝していて、なんだったら、友達になってほしいぐらいだし!』
『あ、やっぱダメですよね……私と友達なんて……あはは……』
『え、お菓子?』
『プ、プリン作れるんですか!? 私大好きなんです! 早速、ふたりで食べましょ……食べるわよ!』
……不思議だ。
やらかしも含めて、容易にそのときのあの子の会話が脳内で再生された。
「……それで、貴女はレムリア様の友達になったの?」
「そ、そんな恐れ多いです! ただその、少しでもレムリア様のお力になるよう、メイドとしておそばにいるのは許されるかなと……」
顔を赤らめ、手をもじもじさせるラズリー。
なんだその典型的な、恋する乙女の反応は。
「助言ありがとう。私はそろそろ戻るから、あとは任せたわよ」
「はい。かしこまりました」
新しいお茶菓子を持ちながら、あの子の元へ戻るために歩き出す。
それにしても、まさかここまであの子が人誑しだったとは……
あの子が友達何人作ろうが、私にはまったく関係ないのだが、なんだろう。
非常に、非常にイラっとくる。
「あっ、と……」
怒りのままに歩いていたせいか、トレイの上のお茶菓子を落としそうになる。
どうやら、煎餅も、プリンも無事のようだ。
(……落ち着きなさい、レムリア・ルーゼンシュタイン)
あの子の行動は、他人を巻き込む……ラズリーが言っていたことは、真実だろう。
だが、あの子がいくら私を振り回しても、自分をしっかりと保っていれば問題ないはず。
(……貴女は公爵令嬢。慎みを持ち、誇りと共に進みなさい)
そう自分に言い聞かせ、私はお茶会へと戻る。
……私はもう、あの子に振り回されない!
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そんな私の決意は、一瞬で崩れ去る。
「ところで……敬語でいいのですか? レムリア嬢?」
「えっ……あっ!? こ、これはその……」
「ふふっ、分かっていますよ。私への敬語は不要になったのは、私がテスタメントの幹部と知った今日。だから、慣れていなくつい出てしまったのですよね?」
「そ、そう! そうよ!」
「いやでも、レムリア嬢ほどの方が、そんな間違いをするとは思えませんし……ねえ?」
――なに話してるの、この人たち。
「……次こういうことしたら、アポカリプスで動き封じてお尻叩きますよ」
「それは楽しみですね。私はこう見えて甘えん坊なので、母親代わりにお願いします♪」
「……~~~~っ!」
――もう一度思う。
なに話しているの、この人たち。
「これ以上は危険ですね。こわーい執事さんも見ていることですし」
「え……あ、アオイさん!」
「アオイ……さん?」
私に対して敬語?
貴女、さっき宰相にも敬語を使っていたわよね?
貴女、何やらかしたの? 死ぬの? ていうか何こいつにフォローまで入れてもらってるの? 消えるの? ていうかどんだけやらかせば気がすむの? 今すぐ死んでみる?
こんな状況で、冷静を保て、慎みを持てなど、できるわけがない。
とりあえず、今すぐこの子を石化できるような魔法に目覚めることを祈りながら見ていたら、ヴラムが立ち上がる。
「おっと、もうこんな時間ですか。今日はこれで失礼しますよ。次来るときは、是非このお茶の入れ方を教えていただきたいですね」
そして、あのいけ好かないスマイルを口に浮かべ……
「では、失礼します」
体を無数の蝙蝠に変え、そのまま消えていく。
(探査魔法にも引っかからない……どうやら、本当に帰ったみたいね)
今回の件での収穫として、ヴラムの固有魔法をこの目で見られたことだろう。
あの固有魔法使うときの独特の空気振動も分かったし、次からは暗殺されかけるという失態を晒さなくてすみそうだ。
「すっご! さすが吸血鬼ですね。去り際までカッコいい」
「……どこがよ」
そんな私の心境をよそに、この子はアトラクションを見たあとのようにはしゃぎだす。
状況が分かっているのだろうか、このお馬鹿は。
(……いけない、いけない。自分を保ちなさい、レムリア)
そう心の中で呟き、落ち着きを取り戻す。
「……昔から思っていたけど、本当に面倒でいけ好かないやつね」
「え、昔から嫌いだったんですか?」
「当たり前じゃない。あんな上から目線で、私は有能ですよって顔に書いてあるように接してくるくせに、私はそんな器じゃないみたいな態度をとる……肝心なところで強者の責任から逃れるなんて、最低なやつよ」
ヴラムは本当に気に入らないやつだ。
私が覚えている初対面は、士官学校初等部の入学式……『覚えていないでしょうが、私はレムリア嬢がオムツをしているときから知っていますよ♪』とか、私に魔力があれば、その場で叩き伏せてその辺の地面に埋めときたいことを言っていた。
出会いは最悪だったが、当時は幼く、登校の為に別邸で暮らし始めたばかりでいろいろと不安定だったこともあり、何かと気にかけてくたヴラムを、兄のように慕っていた時期もあったが、接すれば接するほど分かるのだ。
この人は、最後の最後で何もしない。
自分に、魔王に匹敵するカリスマや素質、魔力があることも、その気になれば、この世界の理不尽に立ち向かえる力を持っていることも理解しているのに、何もしない。
ゲームでは、魔王を倒す側だったが、おそらくグッドエンドでしか語られない、本当の目的があるのだろう。
まあ、魔王復活の儀式なんてものを作れるのは、このいけ好かない宰相しかいない点、『人間』を器にできるように儀式が形成されている点から概ね想像はつくが、自分が魔王にならない時点で、逃げていることに変わりはない。
「そうかもしれませんけど……なんだかんだ言って、いい人だと思いますよ」
「…………」
それでも、この子はあの男を褒めるのか。
なんだそのやんちゃな息子を見守る母みたいな顔は。
その顔をするのは、私の前だけじゃなかったのか。
「あ、あの……?」
まあ別に構わないが。
どうせラズリーにもしているのだろうし。
これからも、出会った人間全員にするのだろうし。
「はぁ……貴女、程々にしないといつか刺されるわよ。というか、刺すわよ」
「何を!? というか何で!?」
「自分で考えなさい、お馬鹿」
そう言いながら、手に持っていたお茶菓子の置かれたトレイを机に置く。
その上には、もちろん私が苦労して再現した煎餅……
「あっ! プリン~♪ もしかして、もしかして! これって、ラズリーさんが作ってくれたやつですか?」
「……ええ、そうよ」
……それと、ラズリーが作ったプリンだ。
「えへへ~美味しいんですよね~、ラズリーさんのプリン。さあさあ、アオイさん! お茶会! お茶会しましょう!」
そう言いつつ、私の煎餅には見向きもせず、ラズリーのプリンを見つめながら机を軽く叩いてくる。
冷静に……冷静になるのよ、レムリア・ルーゼンシュタイン。
この子がプリンを好きなのは知っていた。
煎餅を再現したところで、プリンを選ぶのは分かっていた。
分かっているが……
「……残念だけど、このプリンは私のよ」
「えっ……あ~~!」
なんかイライラしたので、思いっきり目の前で食べてやる。
「え……あ、え? なんで、なんで~!」
「貴女はさっきまで日本茶を飲んでいたでしょう。だったら、それにあう煎餅を食べなさい。それ、再現するの大変だったのだから」
「それは知ってるけど……醤油まで作ってくれたし、いつでもご飯とおみそ汁用意してくれるから、ご飯派の私はありがたいけど……このお煎餅とってもおいしいけど……」
……ふむ。
どうやら、私のありがたみは理解していたようだ。
そう。少しは私の功績を称えなさい。
日本茶は、適した茶葉の選定と紅茶と違う製法をするだけだからそこまで苦労しなかったけど、醤油は大変だったのだ。
「うう……アオイさんの鬼……悪魔……」
「悪役令嬢として、誉め言葉として受け取っておくわ。んっ……へえ、中々おいしいわね。」
中々……いや、かなり美味しいプリンを食べながら、あの子の人懐っこい犬みたいな顔が、目に見えてしゅんとなっているところを見る。
こういうとき、自分がゲームの世界では悪役令嬢となっていた理由に納得する。
なぜならば、あの子のそんな顔を見て、今の私は、大変、大変気分が良いからだ。
「まあでも……」
「え……はむっ!?」
思ったより私に感謝していたようだし、まあ、私も大人げなかった部分もあったので、プリンを食べさせてあげる。
「どうやら、私がいない間にヴラムと何かあったみたいね。よくひとりで乗り切ったわ。褒めてあげる」
「あ、あをぃさぁん……」
さっきまでしゅんとしていたのに、もう人懐っこい犬の顔に戻っている。
この子に尻尾があったら、千切れんばかりに振っているのだろう。
「その口の中のプリンを食べたら、聞かせて頂戴」
幸せいっぱいのこの子姿を見ながら……
「私と貴方の関係がどこまでバレているのか……いいえ、貴女が無意識にどれだけやらかしたのかをね」
……そろそろ、このお馬鹿犬を本気で躾ける決意をする。
この子は自分の素がバレるのが、どれだけのやらかしか気付いていない。
グッドエンドを目指す……いや、ゲームと同じ展開に持っていくための最低条件は、魔王の器であり、新たな魔王である『レムリア・ルーゼンシュタイン』がいることだ。
レムリアらしい行動から外れていけば外れていくほど、この世界はゲームの路線から外れ、完全に別の結末へと進んでいくことになる。
そしてそれは、魔王が既に生まれてしまっている現状では、奇跡が起きない限りバッドエンド……世界の崩壊を迎える可能性が極めて高い。
この子には、今一度それを叩き込む。
今日は、5時間……いや、もう徹夜で説教を……
「アオイさん」
「何よ」
「プリン、持ってきてくれてありがとうございました」
……この子の顔を見て、また変な感情が私に入ってくる。
そこは煎餅と言いなさいよお馬鹿。
というか、なんだか雰囲気がいつもと少し違うような……もしかしてそのプリン、何か入ってる? 私も食べてしまったのだけど。
それと、そんな真っすぐ私を見ないで。
「……お馬鹿」
目を逸らしながら一言呟く。
なんだかよく分からないが、ちょっとだけ説教の時間を減らしてあげようかなと思いながら……
(……また、顔が火照っている気がする)
私は、変な感情に悩まされるのであった。
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レムリア嬢たちとのお茶会を終え、屋敷へと戻る。
蝙蝠から人間の姿となるこの瞬間は、何年経とうがやはり慣れない。
「お帰りなさいませ、ヴラム様。新たな魔王様はいかがでしたか?」
「そうですね。魔王というよりは、小さく大人しい魔犬で、まだまだ子供でしたよ」
出迎えの執事に状況を伝えながら、自分の机へと向かい、椅子に座る。
目の前には、本日の外出によって溜まってしまった、宰相の書類仕事が山ほど積んである。
本来ならばうんざりする光景だが、今日は少し違う。
「……ただ、とても面白い子でした」
書類に手を出し、確認を始める。
レムリア嬢……いや、レムリア嬢の姿をした少女は、非常に面白かった。
そしてあの子に感化されたのか、いつもなら宰相であり、魔族のトップとしての使命感だけでやっていた仕事も、なんだかやろうという気になっている。
「ああ、それよりヴィクター。仕事をお願いします。王城に忍び込んで、魔法全書にアポカリプスのことを書き込んでおいてください」
「ア、アポカリプスを?」
「ああ、失礼。私たちの目の前で、都市を丸ごと消滅させたあのアポカリプスではなく、魔王様が敵を嬲るのに使っていた、小さな球体に相手を引き込んだり、浮かせたりするものです。あれをアポカリプスという名前で付け加えておいてください。署名は私の名前で、あえて分かりやすく偽造でお願いします」
「偽造で良いのですか? 魔法全書を盗み出し、ヴラム様が署名したあとに戻した方が安全かと思いますが……」
「さすがに、あんな規格外の魔法では、この世に存在する魔法全てをまとめてある魔法全書に記載されていたとしても、怪しまれるでしょう。そこに私の直筆サインだと、『私が』言い逃れできませんから」
「なるほど、魔王様復活までの時間稼ぎということですね」
「まあ、最も危険なロナードが一応味方であり、しかもレムリア嬢に夢中な今、感づきはしても、仕掛けてくる人間はいないかもしれませんけどね」
強いて言うなら、あの僧侶の末裔である賢聖姫だろうが、あの少女がそこまで口を出してくるとは思えない。
「では早速……」
「ああ、急ぎじゃないので、明日でいいです。釘は刺しておきましたから、いくらあの子でも、暫くは人に見られそうな場所で魔王の力を使うことはないでしょうし」
「ひ、人に見られそうな場所で……!? 明日、可能な限り早い時間に行ってまいります」
ヴィクターがありえないという顔をしている。
魔王様を知る人間からすれば、これが当然の反応だが、それをやるのがあの子なのだろう。
これで、魔法学校であの魔法を使っても大丈夫だし、おそらくレナードにもいつも使っていただろうから、過去のやらかしにも対応できる。
(それにしても……この私が、誰かの行動に巻き込まれて、自発的に何か行動したくなるとはね)
本当は、書類と魔王の力を確認したらすぐに去る予定だった。
だが、あのふたりのやりとりがどこか眩しくて、長居した結果がこれだ。
あの子が新たな魔王であることを知られ、討伐隊が向けられることになっても、魔族が中心のテスタメントの存在が世間に知られることになっても、自分にとっては大きな問題にはならない。
そういうふうにしてきたし、宰相である私を罰する覚悟も、テスタメント……いや、魔族と戦争する覚悟も、今の王にはないだろう。
それなのに、私はあの子のフォローをしようとしている。
こんなことは何年ぶりだろうか。
(ふふっ、あれは確実に人誑しになりますね)
まあ、あの私の知るレムリア・ルーゼンシュタインに限りなく近いあの少女は、もう誑されきっているようだったが。
(それにしても、不思議で、不可解なふたりですね)
私の知るレムリア嬢とは違う、レムリア嬢の姿をしたあの子。
王国ではあまり見かけない人種で、私の知るレムリア嬢そのものの性格をした少女。
どちらもちぐはぐで、不思議で不可解なのだが、特に不可解なのは、あのレムリア・ルーゼンシュタインの性格をした少女だ。
人前で魔王の力を使う危険性を、あの賢く、隙がまったくないアオイさんが見落としていたとは思えない。
おそらく、何か理由がある。
早く魔王様の力を使いこなせるようにならなければならない理由が。
「ヴラム様がお悩みになるのは珍しいですね」
「新しい魔王様は、それぐらい複雑なんですよ」
そう言いながら、窓から外を見る。
あの日、私たちを吞み込んだあの恐ろしくもどこか安らぐ、夜の闇を。
「新しく魔王が生まれたら、次はこの世界が滅びてしまうかもしれない……そうならないように、人間側に付くつもりでしたが、これは悩んでしまいますね」
「いっそのこと、新しい魔王様を魅了魔法で操り人形にしてしまえばよいのではないですか? 王国側として動くにも、魔王側として動くにも便利かと思います」
「こらこら。宰相である私が、あんな少女に魅了の魔法なんてかけるわけにはいきませんよ」
「ヴラム様がなさらないのでしたら、私が……」
「……やめておきなさい」
ヴィクターの言葉を遮り、着ていたシャツを捲って腹部を見せる。
「……死にたくなければね」
「……っ!?」
私の腹部は、薄く透明になっている。
吸血鬼は、魔力……というより、生命の力が本体であり、人間の姿は、生命の力と記憶が強く認識しているからこの形になっているにすぎない。
透明になるということは、生命の力が削り取られ、形を保っていられなくっているということだ。
「吸い寄せられるので回避不能、しかも体勢が崩されるので物理的な防御もできない、最後の頼みである魔力による防御は、理由は分かりませんが素通りしてくるので効果なし、そして威力はご覧の通り。本当に、理不尽な力ですね」
「す、すぐに、手当の準備をいたします!」
慌てて走り去っていくヴィクター。
本来ならば、屋敷内を走ってはいけませんよと注意するところだが、やせ我慢も限界だったので助かる。
「……それにしても、恐ろしいですね」
隠す必要がなくなった、震える手で腹部を抑える。
受けてみたから分かるが、あの子はあれで手加減している……というより、無意識にリミッターをかけている。
だが同時に、打ち込む……誰かを傷つけることに躊躇がなかった。
「アオイさんを暗殺しかけたことを告げたときに向けられた、本気の殺気……あの子は、何かのためなら人を殺せる子ですね」
あらゆるものを消滅させる力と、優しさと戦う覚悟を持ち……
「……ちょっとだけ、みんなが自分らしく生きられる世の中にしたい、ですか」
あのとき戦った、勇者と同じことを言う少女。
「若さゆえの暴走で魔王を目指しているようでしたら、あの場で操り人形にしてしまおうかと思いましたが……あの人と同じことを言われてしまったら、何もできませんね」
そう思いながら、本棚にある父の遺品である日記になんとなく目を向ける。
誰よりも魔王様を崇拝し、誰よりも魔王様を憎んだ父が遺したものを。
「楽しみですよ、レムリア嬢。貴方が、魔王様の祝福を知ったとき、どんな顔をするのかを……ね」
そんなことを思いながら、今は椅子に体を預けるのであった。