タイプビーストと呼称された
一見して
うっすらと瘴気の霧を引き連れ、一歩、歩くたびに地が震える。
近くの崖が崩れ、ここにいてはいけないのだ、という恐怖感を煽る。
動画で見たそれと本物は、あまりにも違った。
所詮結末の分かる「過去」の閲覧と、自分を襲おうとしている「今」。
調べられるだけ調べ、それなりの覚悟は持っている、と公言していたクライスは、結局自分は「恐怖」を安く見積もり過ぎていたことを思い知る。
体が動かない。目が離せない。
立ち尽くしたって状態が悪くなるだけだと、分かっているのに何もできない。
10メートル以上の高さの木々が、まるで障害物にならない。
巨頭狼が首を振り、前足を踏み出せば、森であった場所がただの更地になる。これがノーザンファイヴの鉄筋コンクリートの街並みであっても、大した違いはないだろう。
そんな化け物が、自分たち数人をはっきりと認識し、追ってくる。
肩から下げた
口径1センチ、全長90センチ弱の、決して弱くないはずの兵器が、今はただのオモチャにしか見えない。
これは、ヒトが戦える程度の敵を撃つ武器だ。
災害そのものを殺す武器では、ない。
「私が
「……ラダン君!?」
「我々オーガには先陣の誇りと呼ばれるものがあります。戦いに臨むなら、誰よりも前へ。そして誰よりも戦い、誰よりも早く死ね、と。仲間を先に逝かせるのは恥」
「だ、駄目だ! すぐに
クライスは叫ぶが、内心ではほんの少しだけ、そんな「強い」ことを言える仲間がいてくれたことに安堵もしていた。
自分はとても言えない。
パニックを起こすしかない状況で、全員が弱腰になり、責任を押し付け合い、しまいには共倒れになる状況というのが一番怖いのだ。
こんな時に互いに押しのけ合って逃げる程度ならまだマシで、モンスターへの囮にするために仲間を撃って置き去り……なんてことまであるのが、底辺ハンターの現場なのだ。
生き延びるためなら、普段は善良な凡夫でさえそんなことをする。それが「目の前に死がある」という状況だ。
ラダンのようなことを言える者が一人でもいれば、最低な奴でも「じゃあ勝手に死ね」と叫んで逃げる程度で済む。
それもまた褒められたことではないが、少なくとも味方殺しより最悪ではない。
が。
「……んー。そんなヤバい? あれ」
ラダンよりも前で、ジュリエットが頬に指を当てて、場違いな声で言う。
「なっ……アンタすっとぼけも大概にしなよ!?」
クライスやヒューガと同学年の女子で、派手な容貌のリステル・リズリンドがジュリエットに呆れた反応をした。
パーティの中で勝手にジュリエットの姉貴分を気取っていて、普段はよく一緒にスイーツを買い食いしてはネットに見せつける仲だが、ジュリエットがハンターに誘うだけあって、動きにはキレがあり、才能を感じさせる娘だ。
それに対し、ジュリエットは軽く首を傾げて。
「頭おっきすぎてあんまり機敏じゃないよね、あれ。確かに噛まれたら助かりそうにないけどさ」
「そんなのそれこそ
「
ジュリエットはショルダーストラップで吊った
「動画の通りなら、あれにも効くよね?」
「あんたっ……いい加減にしなよ!? 前から思ってんだけどあんた、物怖じしないを通り越してバカ女そのものよ!?」
「ちょっとそうかもしれないけど、まあ……あんな棒一本のラダンに任せるより、こっちのほうが可能性あるんじゃない?」
「棒一本って……」
ラダンの持つ金棒は100キロ近くある。彼の腕力で振り下ろせば、普通のスケールのモンスターなら大抵即死だ。
が、それでも、数十メートルの
「時間切れだぁ。クライス、リステル。オメェらは役に立たねぇから下がっとけぇ」
今まで黙っていたパーティの最後の一人、小柄な獣人族のジェフリーが
「リーダーはジュリだぁ。俺はジュリに賭ける。オメェらは賭けない。話は終わりだぁ。逃げんのだってラクじゃねぇ、とっとと行けぇ」
学年的にはクライスたちと同じく二年なのだが、やけにおっさんの風格がある。
そのくせ体格はジュリエットよりさらに小さく、130センチ台のアンバランスな少年だ。
ただ、この中で誰よりも危険を愛し、ハンターという仕事にジュリエットと同等以上の熱を持つのも、彼だけだった。
「んじゃ、そういうことで。……行くね」
ジュリエットは、巨大なタイプビーストに向かって駆け出す。
クライスとリステルは顔を見合わせ、互いの脚を見る。震えている。
それでも、たった二人で逃げるのは……仲間たちが雄々しく立ち向かう背中に、背を向けることは、できなかった。
「僕は、撮るよ。最後まで」
「……そこは『逃げよう』って言ってくれるトコじゃないのかなぁ分担上さぁ!」
リステルは苛立たしげに言いながら、一度下ろしかけた
「この距離じゃ撃ってもどうにもなんねぇぞぉ。ラダン、どこまで寄れるよぉ?」
「一発限りですが、この金棒を目に投げつければ嫌がらせにはなるでしょう。ジェフ先輩がその銃で援護をするなら、その一発の隙くらいかと」
「へへ。いいねぇ。……ジュリは背後を取るつもりみてぇだ。奴のデカヅラがそれを追おうとしたタイミングでブッかましてやろうぜぇ」
「わかりました。……良き戦を。叶うなら敵の血化粧で帰りましょう」
「オーガ流のご挨拶かぁ。物騒でいいねぇ」
少年たちも駆け出す。
のしのしと、楽しむように小さな人間たちを追っていたタイプビーストは、向かってくる哀れな獲物たちに対して、笑うように歯を剥き出す。
それだけでも恐怖感が倍増する。レンズを向けてハンタースマホを握るクライスは、二百メートルは離れたうえに瘴気にけぶる光景だというのに、失禁しそうになる。
が、先頭を走るジュリエットは全く恐れる様子もなく、その顔の下に滑り込んで
ドゴォン!!
タイプビーストの顔が上に跳ねる。
「
「どうでしょうかね。たまたまにも思えますが」
ジュリエットならやりかねない、と全員思っていただけに、思ったよりクレバーな選択に彼らは喜ぶ。
が、ラダンの考えた通りに、ジュリエットがそれを撃ったのはたまたまだった。
属性セレクターの位置を手遊びで適当にいじっていて、たまたまそこに合っていただけなのだ。
それに反動も絶大で、地面に結構な勢いで叩きつけられてしまって、制服のどこかがビリッと裂ける音がした。
「っちち……!! ママに怒られちゃう……!」
すぐに跳ね起きて、タイプビーストの腹下を四足獣のように駆け抜ける。
ジュリエット本人は自覚していないが、その反動による衝撃だけで普通の人間なら死んでいるほどの威力だった。
しかし「服が裂けた」というだけで済ませているのは、ひとえに生来の異常な身体能力のおかげだ。
普通なら顔中、体中の穴という穴から血を噴くほどの衝撃でも、彼女にとってはその程度だった。
そして、その自爆のような衝撃波攻撃で脳を揺らされたタイプビーストは、それでも巨体ゆえに一瞬で全身から力が抜けるということにはならず、それだけではやや行動が止まる程度でしかなく、
それでも、行動が止まるというのは間違いなく「隙」であり。
「今だぁラダン!!」
「ぬおおおおおおお!!」
ラダンがその全身を使って放った100キロ近い「質量弾」は、見事に動きの止まったタイプビーストの左目に当たり、叩き潰す。
それによろけたタイプビーストに対し、今度は右目側にジェフリーが
ジェフリーがいくら身軽と言っても接射はできないし、威力は期待していない。
残り一つしかない目の視界を多少でも遮れれば、ジュリエットの危険は大幅に減らせる。
作戦と言えるのはここまでだ。あとはジュリエットがどこまでやってくれるか。
しかし、ラダンの穿った左目は、確かなダメージとなったが……冷凍弾は、その目に届く頃には大幅に減衰し、まばたき一つで剥がれる程度の氷結をもたらしただけだった。
「チッ……!」
「ジェフ!!」
そのジェフリーの隣にリステルが駆け寄る。
「何しに来たぁ!! 最悪の場面に来やがって!!」
「別に最悪でもないよ。どう転がっても、死体が一つ増えるか増えないか程度だもん」
「イカレ女がぁ……!」
「今は、銃が二本あるってことの方が大事じゃん?」
放散魔力で相殺されるということは、短時間ではあるが「その部分の魔力に隙間ができる」ということでもある。複数本斉射で集中攻撃するのは、
「それでどんだけ意味あんのかは知らんがなぁ」
「やらないよりマシ! ここまで来たらリスクなんて一緒! でしょ!?」
「チッ。
「せーので撃つよ! せーのっ!」
二人の眼球狙撃。
だがさすがに二度目だ。タイプビーストも目を開けたままで食らいはしない。
しかし、それでも。
「へっ。……俺らを気にしてくれるだけで充分だぜぇ!?」
目をつぶり、ついでに食らいつこうと顔を傾け、口を大きく開けたタイプビースト。
その股を抜け、背後に回ったジュリエットが、タイプビーストの左後ろ脚のカカトに、ほぼ銃口を密接させた状態で、
爆発。
ほぼ減衰なしの威力が、叩き込まれる。
引き金を引くと同時に巨獣のカカトを強く蹴り、後方回転して離れることで火だるまを免れるジュリエット。
元々バランスの悪いタイプビーストは、足を一本失って、痛みに咆哮しながら転倒。
この世の終わりのような絶叫と、地響きが天地を揺らす。
食われかけた仲間二人は、危ういところで丸かじりを免れる。
「嘘だろ……」
クライスは仲間たちの奮戦を見ながら我知らず呟く。
そして、ハンタースマホに出ている警告表示に気づき、それを拡大する。
【救援接近中 頭上・足元に注意を 安全確保を最優先に行動して下さい】
「来た……!! みんな、そこまでだ! 助けが来る!! 逃げよう!!」
「来るといってもあと何分ですか!?」
「それよりジュリを!」
「いいからオメェはクライスと先行けやぁ! 足遅ぇんだからよぉ!」
「遅くない!! あんたやジュリが馬鹿みたいにすばしこいだけでしょお!?」
騒ぎつつも撤収の動きを見せる仲間たち。
ラダンだけは残ろうとしているが、その彼らの上を舞うように少女が跳び越えて着地。
「死ぬかと思ったぁ……」
「ジュリ!?」
「ジュリちゃんナイスファイト! ……救援が来なければ勝てたかも」
「さすがに殺るまで戦うのは厳しいかな」
ジュリエットは持っている
銃身が歪み、機関部もひしゃげている。最初の
よくその次にまだ撃てたものだ、と感心する状態だった。
「俺らの銃使うかぁ?」
「助けが来るんならそれで……さすがにちょっとしんどい。あと服がこれ以上破けるとやばい」
「えっ、どこか破けてる?」
「……えっち」
「いや僕聞いただけだよね!?」
うろたえるクライス。
ジュリエットの超人的活躍も含めて配信のコメントは大盛況だが、それを見ている余裕は誰にもない。
「まずいです!」
ラダンが仲間たちを背後に守るようにしつつ叫ぶ。
「奴の脚が再生しかけている……あんな状態からまだ動く気だ……!」
脚の傷口から滴る膨大な量の体液の中から、固形の実体が見え始めている。
もがくように暴れつつ、その目は怒りに燃えているようにも見える。
チャンスは今しかなかった。
「撤収だ! 早く逃げよう!」
クライスが今度こそ全員に号令をかけ、タイプビーストから距離をとる。
そして巨獣は、骨だけのような状態ながら後ろ脚の再生を果たして、四つ足のバランスを取り戻し、怒りの追跡を始めようとして……。
ドゴォン、と脇腹すぐそばで起きた着弾爆発の衝撃で、また転んだ。
「救援っ……でも、どこから……!」
クライスは走りながら見回し、そして。
血のようなオーラを纏いながら空に羽ばたく、黒い悪魔のような「何か」の姿を、見た。