退屈な数学の授業が終わる。
「なあ、今日んとこわかった?」
「寝てたわ」
「マジかよ。いやもう騙されんぞ。お前そんなこと言ってテスト毎回80点台じゃん」
「マジだって。昨日ずっと配信見ててさあ……ほら、昨日『ホーンテイカーズ』の戦果報告配信あったじゃん? 1時近くまでやってて」
「ハンターパーティの? お前ってハンター志望だっけ?」
「違うけどあの人ら歌も出してんじゃん? あれ最近の奴すっげカッコいいんだわ。曲提供にプロ呼んでてさ。稼いでるとそういうとこ違うよなー」
「俺はそれこそ本国のアイドルの方が好きだけどなー」
「今どきシンガー専業なんて流行んねえって。ストーリーが足んねえよ。ほら聞いてみろよ。この動画の……この辺から」
年頃の少年たちは青春と小さな自由を持て余して、華やかな夢を見る。
今の時代のトレンドは、ハンター。
かつては扱いに高い才能を必要とされたが、技術が進んで格段に扱いやすくなった魔法装備を手に、グループでモンスターを狩って人類を守る若者たち。
彼らが戦う姿はスマホなどの映像機器全盛の世の中で、ひときわ輝かしく取り上げられ、モンスターからの領地奪還を目指す
派手で勇壮な戦闘風景は本人たちの手で日々動画としてネットに投稿もされ、その鮮烈な活躍風景と合わせて、仲間内の日常で親しみやすさを演出し、ときに趣味の域を超えた音楽活動やダンスで、さらに貪欲に人気を得る。
魔法武装を駆使した命懸けの戦いと、気の合う仲間たちとの楽しい生活、そして夢の高収入、クールなパフォーマンス。
ハンターたちの全ては、少年少女たちからは輝きに満ちて映っている。
もはやそれに比べれば、安全な場所で歌い踊るだけの芸能人や、ルールに縛られてもがくスポーツ選手などは、軒並み色褪せて見えてしまうほどに。
そんなクラスメイトたちの熱の入った雑談を聞き流しながら、ヒューガ・ブライトンは反りかえって伸びをした。
数学そのものは嫌いではないが、教師の語り口に変化がなくて眠くなる。
先にあった語学、歴史の授業で集中力を消費していたので、なおさら厳しかった。
入学したての頃はどんな授業でも興味を持って聞けたんだけどな、と、少し懐かしく思う。
優等生をやっているつもりだが、勉強に真剣だとは胸を張って言いづらい、という微妙な塩梅が、そのままヒューガのクラスでの位置になっていた。
浮いているわけではないが、一番には頼られない。
勉強でも運動でも、クラスで10番目以下にはならないが、3番以内には入れない。
これといってハマっている趣味もないが、別に同世代の話題についていけないわけでもない。
一目惚れされるほど美男子でもないが、嘲られるほど醜くもない。
どこまでも中途半端な、背景以上主役未満の男。
それが、ヒューガという少年だった。
教室を後にすると、窓の外に広がる光景に目を細める。
直線的な真新しい建物で構成された、清潔で安全な街。
活発に自動車や
この街が、まだ生まれて10年も経っていないというのは、眺めるたびに不思議な気分になる。
ノーザンファイヴ。それがこの街の名前。
かつて人が支配し、そしてモンスターたちに奪われた大陸に、新たに築かれた再侵攻の砦。「前線都市」と呼ばれるもののひとつだ。
先進的な魔法技術を使った電力・水・食料の効率生産を基盤とし、ほぼ独立した生活維持能力を持つ前線都市では、都市間の移動の自由が大きく制限される代わり、高い生活・教育水準が約束されている。
この街に来るまではどんな生活をしていたか、なぜあんな生活で生きていられたのか、全く思い出せなくなるという住民も多い。
そんな輝かしい未来都市だが、やはり寝ているだけで一生幸せ、とはいかないのが世の中というもの。
都市内の最低限の仕事による収入では、工場生産の魔力生成ペーストや、それを焼き固めただけの「
必然的に、住民たちは高収入を求めてハンターを志すようになる。
何しろ、中型犬クラスのモンスターでも、一日一頭もハントすれば、子供一人の家庭なら天然食料で充分養っていける。
だから、この機能美溢れる先進都市には、それに似つかわしくない狩人たちが想像以上に多く、またそうなろうとするものも多い。
鞄を持てあますようにブラブラとさせて帰路を歩いていると、通学路近くの運動公園でハンター指導講習をしているところに行き会った。
ハンターは特に資格制ではないが、基本を学ぶためと称して、こういった有料指導が時々行われる。
内容は様々で、自称経験豊かなハンターが自らの体験談を滔々と語るだけのものや、ハンター用魔法装備の整備実習、あるいは武術練習よろしく並んで型稽古なんていうのもヒューガは見たことがある。
どれも一回や二回嗜んだ程度で身につくものではない。暇を持て余した三流ハンターの小遣い稼ぎとしかいえないものが多々あるのだが……。
そんな胡乱な訓練に励む者たちの中に、ヒューガは見知った顔を見つけて立ち止まった。
金色の髪をポニーテールに結った、小柄な少女。
まるで小動物のように明るくかわいらしい雰囲気を纏う、しかし真剣に使い古しの
それに気が付いて、彼女は素振りをやめてパッと笑顔を作り、手を振った。
「ヒュー兄ーっ♥」
少女の名はジュリエット・ティリオン。一学年下の16歳。
ヒューガとは、この街ができたばかりの頃からの友人にあたる。
街の事情で、似たようなタイミングでできた知り合いは多いのだが、幼馴染……というのが一番妥当な表現だろうか。
当時、出会ったばかりの彼女の母がヒューガの歳を聞いて「ジュリよりひとつお兄ちゃんね」と言ったため、そのままジュリエットには兄呼ばわりされているが、別に血縁関係はない。
「……ジュリ。わざわざ槍の訓練とかやってんの?」
「電槍はハンターの基本にして切り札って言われてるんだよ? 知らない?」
「あんまりそういうネットの格言っぽいの、信用しない方がいいと思うぞ」
ヒューガはジュリエットの持つ電槍を無造作に取ってつつく。
電槍は、非常に基礎的で出力の低い、光刃形成型の魔法武装だ。
量産性特化の低コスト設計ゆえ、発振部から5センチ以内しか殺傷力がないという光刃を、相手に少しでも安全に押し付けるため、「柄を伸ばせばいいじゃない」というシンプルな発想で作られたという。
とにかく安いため、ハンター初心者を中心に使用者は多い。
だがどうにも刃が小さいため、小柄なモンスターでも一撃で仕留めるのは難しく、セオリーとしては数人がかりでめった刺しにするものとされ、見栄えはあまり良くないし「使いようによっては上級者の狩りでも出番が」なんてこともまずない。
これしか買えないならもう少し我慢して、もう少し攻撃力の高い魔法武装を用意できるまで待った方がいい、というのが、ヒューガの知る電槍の評価だった。
そんなヒューガの無遠慮な態度に、講師をしていた中年男が不機嫌そうに割って入る。
「困るなァ。一応有料のセミナーなんだ。受けてない子が備品に勝手に触るのはよしてくれ」
「へいへい」
ヒューガとしてもあまり興味がある道具というわけでもないので、素直に手放す。
しかしオンボロにもほどがある電槍だった。一応刃は出ていたが、いつ使用不能になるか分かったものじゃない。
おそらく、他人が狩場で遺棄したものをコソコソとかき集め、講習に使っているのだろう。
こんなケチなハンターの講習で本当に実力がつくとは思えないし、そもそもヒューガはジュリエットがハンターに向いているとも思っていなかった。
「ジュリ。……あんまりママさん心配させんなよ」
「べーっだ。ヒュー兄いつもそれなんだから」
ジュリエットには煙たがられるが、いつも苦言を呈している。
いつか怖い目に遭った時に、ヒューガのその苦い顔を、少しでもやめる言い訳にしてくれればいいのだが。
「ヒューガ。ジュリちゃんにハンターになってほしくないの?」
一応、講師にまた絡まれないようにと少し距離を置いて眺めるヒューガに、話しかけてきた少年がいる。
ヒューガはチラリと彼を見て、溜め息をつきつつ答えた。
「クライス。……あいつはネットで盛りに盛られた動画見て能天気に憧れてるだけだろ? 生き物殺して、たまに殺される……ってのを、あんなキラキラした顔で理解してるとは思えねえんだよ」
ヒューガの呟きに苦笑を返したのは、男子にしてはやや長めの髪の柔和そうな少年、クライス。
学校ではヒューガのクラスメイトでもあり、元々なんとなくハンターに憧れてはいたものの、自分から行動を起こすほどの度胸はなかった少年だ。
今年になってジュリエットが入学し、学校で「ハンターになりたいから仲間募集!」と騒いだのをきっかけに、ヒューガ伝いに巻き込まれる形で彼女のグループに入っている。
だがヒューガ自身は、ハンター稼業をやるのは否定派だった。
「そこまで考えが浅いわけでもないと思うけどね、ジュリちゃんも」
クライスはジュリエットの方にハンディカメラを向ける。
スマホよりも格段に高性能な、きちんとした動画用のものだ。
あまり高校生が持ち出すのに似つかわしいものではないが、クライスの親は有名な商売人で、小遣いはひと桁違うらしい。
そんなに裕福なら、なおさらハンターなんて不安定で危険なことはしない方がいいのに、とヒューガは思うが、クライスにはわざわざ言わなかった。
自分より成績もいいクライスが、いちいち言われるまで考えていないとも思えない。
幼いころから知るジュリエットにならともかく、会う相手すべてに偉そうに生き方を諭すほどには、無神経でもないつもりだった。
「だいたい、才能に関しては圧倒的だよ、彼女」
クライスが楽しそうにカメラの画面を見つめる。
講習はいよいよ、電槍とドローンを使った模擬ハンティングに移ろうとしていた。
講師が用意した標的用ドローンには、電槍の光刃が当たるとブザーが鳴って止まる機構が追加してある。
それ自体は軍の放出品キットで、改造とも言えないほど簡単に取り付けられるのだが、それとは別にドローンは明らかに変な方にスペックを盛っている形跡があった。
「ガジェットオタクだねぇ、あの講師。あれだけイジるのにいくらかけたんだか」
「変なロケットエンジンみたいなのついてるぞ。あれでちゃんと飛ぶのか?」
「配置バランスは悪くないからまっすぐなら役に立つよ、多分。……あんまりドローンを強化すんのって、もしバレたら結構重い罪なんだけど。子供相手なら撮られないだろうって思っちゃったのかな」
過剰なサービス精神か、あるいはただ自分の趣味を披露したかったのか。
あれに生身の足で追いつくのはかなり難しいはずだ。
しかし、この場の誰が通報しなくても、違法改造ドローンの動画がネットに上がってしまえば、あとは当局に見つからないのを祈るしかない。
後先を考えていないのか、所詮子供相手のお遊びだと舐めているのか。
なんにしても。
「あれで初手ジュリちゃんじゃなければ、あの講師もご満悦だったんだろうけどねえ」
開始の合図を聞くと同時、電槍を脇に挟んだまま、ジュリエットが残像を残して加速した。
ドローンが離陸し、小型ロケットが四発同時に火を噴く……その前に、彼女の電槍が閃く。
20メートルは離れていたのに、到達まで1秒とかかっていない。
「なっ」
講師が愕然とした顔で、虎の子の強化ドローンを見つめ……本来なら電槍の光刃が届くと同時に突き放されて機能停止するはずが、電槍の柄が直撃して、柄とドローンが両方粉砕されてしまう。
「~~~~~~~~~~~~!!!」
夕空の運動公園に、講師の言葉にならない悲鳴が響いて。
「……ああ、あの電槍じゃ反応しなかったかあ。廃品寸前だったもんねぇ」
「めちゃくちゃ楽しんでるな、クライス……」
「人様からお金取って教えようっていうのに、生徒に渡す道具はオンボロで、好きなところにだけ金使ってるのって腹立つじゃない」
柔和な顔でカメラを回し続けるクライス。
怖い奴だなあ、とヒューガは少し引く。別に彼が何をやったわけでもないのだが。
「ちゃんとした講習だって信じちゃったジュリちゃんには悪いけど、痛い目見てくれないと収まらないよね、ああいう悪い大人は」
「キレて弁償とか言ってくるんじゃないのか、ああいうのって」
「やだなあ、だからずっと撮ってるんじゃないか」
こいつは敵に回したくないなあ、とヒューガは友人を横目で見る。
それと同時に、ジュリエットのとんでもない身体能力に関しても、今さらながらひそかに感嘆する。
体は小さいが、ジュリエットはやたらと全身の筋力が高い。
その気になれば助走なしで
おそらく何か秘密があるのだろう。
……自分と、同じように。